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母の日に寄せて

今日は母の日。
実は私にとって、今年の母の日はちょっとほろ苦いような、胸がぎゅっと締め付けられるような、そんな気持ち。

なぜかというと、実家の母が入院中であるから。
今年1月に入院し、もう4カ月になる。その間手術もしたし、今のところ退院などの見込みも立っていない。

去年の夏ごろから体調を崩していたのは分かっていたし大きな病院に行っていたのも分かっていたのだが、まさかこういう事態になるとは思わなかった。そのくらい、入院は突然だった。

「親はいつも実家にいる」
「高畠に行けばいつでも親に会える」
「親は元気である」

自分のなかにこんな「当たり前」があったということに、そしてそれは「当たり前のことではない」ことに、この事態になって初めて気が付いた。

そして、改めて母のこと・自分の子どものころを思い出すことが増えている。

母は、高畠の商店街で小さな商店を営んでいた。
いっしょに住んでいた祖母(正確には、父のおばさん)が創業したお店を、お嫁にきた母も手伝い、祖母が高齢で引退したあとは母が一人でお店を切り盛りしていた。

私は子どものころから、働く母の姿を見て育った。
「ありがとさま」「おしょうしな」「お世話さま」とお客さまに言っている母の声を聞いて育った。
お店のことでうれしいことがあり笑う姿や、大変なことがあり溜息をつく姿も見て育った。
そして、祖母と同居しながらお店をして私と弟の子育てをし家事をするという、まさに「暮らし」と「働く」がミックスされている母の姿を見て育った。

きっと・・。いや絶対、私がのちのち「山形の女性の生き方や仕事」に関心をもったのは、こんな母の姿を見て育ったことが根底にあるのは間違いない。

さて、母が高畠へお嫁にきてからずっと開けていたお店も、母の入院に伴い閉めざるを得なくなった。空店舗となったお店には、もう商品もほとんどなく、お客さまがいらっしゃることもない。

がらんとしたお店のなかで、私はたまに、まさか急にこんなことになるなんてなぁと考える。そして、これからどうなるのかなぁなどと考える。

未来のことは誰にも分からない。それは母も同じ。
病院もまだ自由に面会ができる状況でもないようだが、幸い母とは毎日LINEでコミュニケーションが取れている。私が思っていることを恥ずかしがらずにどんどん母に伝えていこうと思いつつ過ごしている。

そして、母がお嫁にきてから営んできたお店は閉店によりなくなってしまったけれど、祖母・母と75年にわたり続けてきたお店を、今度は私が、お店とは違う形でなにかできないかなと、少しずつ模索もしている。

そんなわけで、今年の母の日はちょっとほろ苦い。
でも、私自身も二児の母であることで、子どもたちからもらう「ママありがとう」「ママだいすきだよ」の声がこんなにも温かいんだなと実感もしている。
ありがとうの言葉を、ありがとう。

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