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創造には「重箱の隅を楊枝でほじくる」のも有効

 細かいことに興味を持ったり、あれこれ詮索したりする考え方や性癖をどう解釈したらいいのだろうか、などと思うことがある。
 結論から言えば、正解などはないと思う。個人の価値観や人生観に拠ることになるのだから。
 以下は、私が過去に地元紙に発表したコラム(のようなもの)に手を加えた雑文だ。

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 丸形が多い食器の世界にあって、四角な重箱はそこそこに個性的だ。
 で、その個性が原因となって、隅っこの食品が取りにくくなるのは事実。「重箱の隅を楊枝でほじくる」(重箱の隅を楊枝でつつくともいう)ということわざがあるが、これを考えた人は、なかなか鋭い観察力と洒落っ気のある感性をもっていたようだ。
 「重箱の隅を楊枝でほじくる」の意味は言うまでもないが、どうでもいいような細かいことに対してあれこれ詮索することだ。

 意味はほぼ反対になるが、重箱にまつわることわざには次のようなものもある。話のタネに取りあげてみる。
 「重箱の隅を杓子(しゃくし)で払う」というのもある。四角い重箱を丸い杓子で払うと、やはり隅っこに払い残しができることから、細かいことにこだわらず、大雑把に扱うことを言う。
 同様の意味で、「重箱で味噌を擂(す)る」というのもある(なぜ味噌なのかはわからないが)。擂るといえば、一般的には胡麻のほうがポピュラーではないかという気もするが、この人は味噌に何か特別な思い入れでもあったのだろうか。

 などと、どうでもいい思いをめぐらせていた矢先、「擂り粉木で重箱を洗う」というのを見つけた。これはすごい。ちょっと考えただけでも、かなり難儀な作業であることがわかる。
 あの擂り粉木で、あの重箱を洗う。そもそも、四角だとか隅っこだとかというレベルの問題ではない。これを発想した人物、ただものではあるまい。

 というわけで、あれこれ詮索しはじめるときりがないのだが、こういったことはあくまでもことわざでの話。日常生活では、あまりあれこれほじくっていると疎ましく思われたり嫌われたりすることもあるだろうから、ほどほどにしたほうがいいようだ。

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 ということなのだが、クリエイターにとっては別問題で、「重箱の隅を楊枝でほじくる」ような観察眼や研究心が必要だと私は思っている。文章に対しても漫画に対しても、有効な方法であると確信している。
 たとえば私は、電柱や鉄塔を見ても、「あんな山の中にまで鉄塔が立っていて、時代劇の撮影地を探すのは大変だろうなあ」とか、町なかの電柱を見ても「こんなに複雑に張りめぐらされていて、工事をする人はよく間違えないものだ」などと思ったりしている。
 そういうぐあいに、普通の人なら気にしないようなことをしばしば詮索している。こういうことは無駄に思えるのだが、現実にはおおいに役立っているのだ。
 私はほじくる、ホジクリエイター。

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