その名じゃあんまりだ
子供は自分の名前を自分で付けることはできないから、ものごころがついてから不満に思う子供もいるようだ。
画数が多くて書くのに時間がかかるとか、いちいち読みを説明しないと読めない読み方とか、パソコンでは一回の入力では事が済まない組み合わせほか、けっこう困っているケースがある。もう長い間学校の先生を悩ませ続けているキラキラネームなどもその部類だ。
ほんとうなら実例をあげて記事を書きたいところだが、実例ではやはり問題になるのでやめておき、矛先を動植物に向けてみる。
動植物も人間の子供同様、自分で付けることはできない。そして、名付け親である人間は自分勝手で傲岸不遜でもあるから、場合によってはふざけているとも思える付け方をすることもある。だから、すべてがいい名前になるとは限らない。
発する臭いが由来のヘクソカズラ(屁糞葛)や、亀虫類の一族郎党の総称であるヘヒリムシ(放屁虫)などがいい例だ。ヘクソカズラなどはご丁寧に屁と糞の二段構えという念の入れようだ。
話がそれるが、私は漢字表記できる動植物の名前はなるべくそうするようにしている。学界や新聞などは片仮名表記だが、表意文字である漢字を遣えば、日本人の感性や思い入れを表すことができていいからだ。
屁糞葛や放屁虫などはいかにも臭そうだし、アリジゴクだって「蟻地獄」のほうがリアリティがあり、おぞましさや生態のイメージが伝わりやすくていいではないか。
植物のオオイヌノフグリ(大犬陰嚢)は実の形が犬の陰嚢に似ていることが名前の由来だが、学問上ではこれでも正式な和名である。
名付け親は犬の陰嚢に強い興味があったのだろうが、それにしてもよくぞ付けたものだ。
変な名前をもう少しあげてみよう。
鳴き声が寂しそうなのでナゲキバト(嘆き鳩)。
姿が亀の手に似ている甲殻類のカメノテ(亀の手)。
ほかの海鳥の餌を横取りするトウゾクカモメ(盗賊鴎)。
ゴミムシ(芥虫)の芥はほかならぬゴミのことだし、それより悲惨なマグソタカ(馬糞鷹)もいるというぐあいだ。
別の観点からもう一つ。糞であろうと芥であろうと、ひとつの“物”であることには変わりなく、美醜や気品などは別として、それぞれに性質や特徴、個性といった、人間でいえば“人格”がある。
屁糞葛も芥虫も、印象こそよくないものの、一応はそうした人格を認められたうえで名前を付けられている。
ところが、人格をまともに認めてもらえず、似ている先輩が存在したために偽物や紛い物扱いされているものもある。これはこれで哀しい。
“偽物”ではニセナマコ(偽黒海鼠)や、ハリエンジュ(針槐)という本名があるのがせめてもの救いであるニセアカシア(偽アカシア)などがある。
“紛い物”では、植物のウメモドキ(梅擬)、蝶のアゲハモドキ(揚羽擬)、カミキリムシ(天牛虫)のアオカミキリモドキ(青天牛擬)ほか多数。
何かに似ていることもひとつの人格であるし、それに基づく命名も人格の認め方のひとつと言えなくはないが、それにしてもちょっとね。
ところで、こうした似たもの同士、発見の順序が逆なら立場も逆転していた可能性がある。発見順序が運の分かれ目というわけ。
食品ではガンモドキ(雁擬)がある。雁の肉に味が似ていることから付いた名前で、“雁の肉の紛い物”というわけである。雁の肉は食ったことがないが、ほんとに“雁擬のような味”なのだろうか。
そもそも、いくら昔でも雁の肉などはそれほどポピュラーな食材ではなかったと思うが、よくそれを名前のもとに選んだものである。
ここにあげた名前、特に偽物や紛い物扱いの名前の持ち主には、「その名じゃあんまりだ」と同情したくなるが、そうとばかりも言い切れないと気がついた。なぜなら、馬糞はおろか偽物や擬きにも、先人の洒落っ気や茶目っ気、風刺などの影が見え隠れしているからだ。
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