カップ麺の失敗二態
カップ麺を食おうとして湯を注いだ。ところが、半分くらい注いだところでポットの湯が終わってしまった。いつもきっちりと水の量を計って沸かすのに、今日は間違った。なんてこった。
こんな中途半端な状態でまずくならないだろうか。とにかく湯を足さなければならないが、沸くには数分間かかる。
やっと沸いた湯を急いで注ぎ足す。
はじめに湯を注いでからの時間はすでにわからなくなっているから、適当な頃をみはからい、おそるおそる食ってみた。
すると、別にまずくはない。多少味が落ちるのはやむを得ない。
多くのカップ麺は熱湯を注いでから3分だの5分だのというが、それほど深刻に考えなくてもいいようだ。
考えてみれば、食っているうちにだって何分も経過するではないか。日本のカップ麺は優秀なのだ。もっとも、外国のカップ麺でこういう失敗をしたことはないから比較できないけど。
別のある日。
このとき食ったカップ麺は、湯を注いでから5分待つうどんだったと記憶している。
カップ麺に湯を注いでふたをした。そのとたん、客が来た。なんという不運、なんというバッドタイミング。この客がもう1分早く来ていれば湯を注がずにすんだのに。
客と話をしていた時間は、少なくとも20分以上だったろう。私は話をしているあいだ、ずっとうどんのことが気になっていた。
とにかく、長話の客が帰るとすぐにふたを開けてみた。
無残にも麺はふやけ、つゆは麺に隠れて見えないほど少なくなっていた。見るからにまずそうだった。絶対まずいだろうと確信した。
しかし、食ってみないのに捨てるのは空腹と好奇心が許さない。それに、もったいないという気持ちもある。だから一応食ってみた。
やっぱりまずかった。
日本のカップ麺は優秀だが、限界というものは存在するのだった。
長話の人は、昼どきの訪問をやめてもらいたい。
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