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逃がした魚は大きく見える

〔解説〕

 世の中には、本来の意味が勘違いされたまま定着してしまうことがある。勘違いされる原因は、表現がいかにも正しく思えるからにほかならない。

 「逃がした魚(さかな)は大きい」もそのひとつで、逃がした魚がほんとうに大きかったという意味だと信じている人も少なくない。
 しかし、本来の意味は、「実際は大きかったわけではなく、利益を逃してしまったことによって、大きかったように思ってしまうものだ」ということを言っているのだ(ほんとうに大きかったという場合もあり得るが)。

 類語に「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」など。〝魚〟は〝うお〟と読んでもいい。(※ここまではパロディーでなく事実)

〔さらに解説〕

 元々は「逃がした魚は大きく見える」が正しく、これが通用していた。しかし、いつのころからか「逃がした魚は大きい」に変化してしまった。

 確かに、希望が叶えられなかったり、欲求が満たされなかったりすると、利益を失ったという心理的反動が予想以上に大きくなるものだ。
 例えば、買おうとしていた宝くじを、何らかの理由で買い損ねた場合などはまさにそれで、「あのとき買えていれば大当たりした可能性だってあったのにな」などと悔やんだりすることになる。

 さらに、もしも一等に当たっていたらなどと想像がふくらみ、人も羨むような一等地を買って、シンデレラ城のような家を建てることができたはず、などとエスカレートする。

 そして想像は妄想へと変化し、「誰もが振り向くような絶世の美女と燃えるような恋に落ち、ついに結婚へ。世界の一流スターのような豪勢な結婚式を挙げ、豪華客船で世界一周クルーズの新婚旅行を……」などと目を泳がせながら、バラ色だかモモ色だかの哀しくむなしい夢を見るのだ。

 おお、逃がした獲物は超巨大、シロナガスクジラの群れだった!

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