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セミが鳴きしきる夏はどこへ行った

 なんでこんなに暑いんだよ、とぼやきたくなる日が続いている。ホントに、なんでこんなに暑いんだよ。

 今年のような異常な年は別として、好きな季節を順番にあげなさいと問われれば、私は、夏、春、秋、冬の順ですよ、と答える。蒸し暑い夏の夜などはまことに不快でうんざりするが、全体的には夏がもっとも好きだ。その理由は、夏はエネルギッシュな季節だからだ。

 陳腐な表現だが、ぎらぎらと強烈に照りつける太陽と、それがもたらす猛烈な暑さと明るさ、地面にくっきりと落ちる濃い影、生い茂る草木。そういうのがたまらなく好きなのだ。

 そして、たくさんある夏の風物のうちで、まず頭に浮かんでくるのはセミだ。どういうわけか、子供の頃からスイカや氷菓ではなく、セミなのだ。
 生まれ育ったところが田舎だからなのか、子供の割りに考え方が老けていたのか、そのへんはわからないが、なにしろ、私は夏といえばすぐにセミを連想する。

 私が小学生だった昭和の中頃はセミがたくさんいた。森や林でなくても、田舎だったから家の周囲でもうるさいほどに鳴いていた。
 蝉時雨という言葉があるが、まさにそれであった、と言いたいところだが、実際には蝉時雨どころではなかった。
 蝉時雨は「蝉が多く鳴きたてるさまを、時雨の音にたとえていう語」(広辞苑)、「多くの蝉の、鳴きしきる声が、大きくなったり小さくなったりして、まるで時雨の降る音のように聞こえるのをいう」(日本国語大辞典)だ。なるほど。辞書とくじは引いてみなければわからない。

 時雨とは通り雨のことだ。私が小学生のときに聴いたセミの大合唱は、通り雨のように、にわかに降り出してたちまちやんでしまうということなどなく、大きくなったり小さくなったりもしなかった。
 ほとんど一定の調子で、朝から夕方まで鳴きっぱなしだった。そんなわけで、前述の〝実際には蝉時雨どころではなかった〟となるのだ。

 昭和中頃の農山村といえば、自然が豊かで山林も多く、里山もあった。道路は舗装されておらず、農業用水路や側溝なども土がむきだしだった。
 空気も澄んでいたし、川の水も地下水もきれいだった。おそらく、冷夏などという変調気味の気候も少なかっただろう。
 地中で長い期間を過ごさなければならないセミの幼虫には生きやすい環境だったに違いない。

 しかし、いまはそうではない。セミの棲息環境は悪化している。それが直接の原因だと思うが、個体数が年々少なくなっているような気がする。数えたことこそないが、確実に減っている。それが残念であり、寂しくもある。

 カブトムシやクワガタムシは養殖され、ペットショップやデパートなどで売られているが、セミも売られているのだろうか。たぶんセミは売られていないのではないか。
 カブトムシやクワガタムシが売られていることを懐疑的に思っている私は、セミが商品化されないことを望んでいる。カブトムシやクワガタムシもそうだが、やはり自然界で自然に育つほうがいい。

 自宅にはエアコンがあっても扇風機しか使わない。エアコンは数えるほどしか使わない。だから暑いが、それがいいのだ。
 中年くらいまで、休日の日中などは汗をだらだら流しながら、ただ、ぼうっとしているときがあった。
 いまは中年を通り越してしまった私は、猛烈なセミの大合唱が繰り広げられていたよき時代の夏の日々に、しばしば思いを馳せている。

 セミが鳴きしきる暑い夏は、いったいどこへ行ってしまったのだ。

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