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イチョウの俗信

 拙宅の敷地には、一本の大きなイチョウの木があった。公道に近い、庭の端のあたりだった。大きさを計ったことはないが、幹周りは小柄なおとなの一抱えもあったろうか。
 秋には、きれいな黄色い葉があたり一面に敷きつめられた。ただし、ギンナンが落ちていた記憶はない。ギンナンは悪臭を放つ。落ちていれば記憶に残るはずだが、覚えていないというのは、ギンナンがならかったことを意味するのだと思う。

 そのイチョウの木は、私が高校へ入学して間もなく伐られてしまった。私が学校から帰ってきたときには、いくつかの短い丸太となっていた。
 イチョウの木は、一般家庭の敷地や庭に植えると不吉なことが起きるといわれているのだと、伐った後になって母から聞かされた。つまり、庭木にしてはいけないということなのだ。
 じつは、私が中学を卒業した年の四月初旬に、父が病気で急死した。そのことから、事後ではあるが伐ることになったのだった。

 角川ソフィア文庫「日本俗信辞典」(鈴木棠三・著)によれば、群馬県にはイチョウにまつわる俗信がある。先に述べた「家庭の敷地や庭に植えると不吉なことが起きる」という俗信は広い範囲で伝えられていて、関東では群馬のほかに茨城、千葉、神奈川などでも伝えられている。
 ほかにも、岩手や秋田、長野、愛知、三重、和歌山、京都、鳥取、島根、愛媛など、かなり広範囲におよぶ。

 ほかにも、家の中に持ち込んではならない、家が栄えない、病人が出る、死人が出る、火事が起きるなど(ほかにもまだある)の謂れが、地域によって異なるが各地に伝えられている。

 なぜ不吉な木といわれるのかというと、たとえば群馬では、寺社に植える木だからという。特に有害物質が出るとか、倒れやすいとか、そういうことではない。寺の木という単純な理由からだ。
 理由は各地それぞれさまざまだが、どれも先に述べたように短絡的な発想から出たものばかりだ。

 ほかにも、大木になって屋敷を占領する、落ち葉が多くて厄介などというものもあるが、こんなことはイチョウでなくてもたくさんある。
 イチョウは水分を大量に吸収することから、もしも根が床下まで張った場合は、夏は障子やふすまの開閉に支障をきたし、冬は逆に障子やふすまがはずれやすくなるともいわれる。しかし、話もここまでになるとちょっと信じがたくなる。

 今回はそんな俗信があるということでお茶を濁したが、私はそんなことより、イチョウもギンナンも漢字表記では「銀杏」で通じていることのほうが興味深い。ただし、木のほうは「公孫樹」とも表記するが。




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