怒りだって必要な感情

落ち込むことはあっても怒ることはほとんどなかった私が、最近ちょくちょく怒っている。
良い傾向かなとにやにやしている。

『「普通がいい」という病』の著者、精神科医・泉谷閑示氏のコラムに喜怒哀楽について次のようなことが書かれていた。

 しかし、「心」のフタが閉じられた状態だと、「心」で生じた感情は出口を失い、ある順番で「心」の中に閉じ込められてしまうことになる。ちょうど「心」の中に井戸があって、フタに近い方から「怒」「哀」「喜」「楽」の順番で感情がたまっている。この順番は、私が臨床経験を積み重ねる中で明らかになってきた重要な所見である。注目すべきなのは、フタに近い方に、一般的にはネガティブな感情と考えられている「怒」「哀」があり、奥深い場所にポジティブな感情と呼ばれる「喜」「楽」があることだ。上にある「怒」「哀」がそこに居座ったままでは、下にある「喜」「楽」は外に出てくることができない。

怒りの感情が出てきたということは、これからきっとポジティブな感情が出てくるんだろうなと勝手に信じている。

前は「なんとなく嫌だな」を言語化することができなくて、もやもやを抱え込んでしまっていた。
今は「私はこういう理由で嫌だと感じているんだな。でもこれって私に非はないよね?」と言語化出来て、客観的にとらえることが出来てきているのかも。もちろん自分に非がある時もあって、そういう時は今までどおりへこむ。

あと、怒っているとなんとなくエネルギッシュな気がする。何かに取り組む原動力になるんだろうなとも思う。

自分の感情や機嫌は自分で責任を持つべきと私は思うので、むくれたり八つ当たりはしないように気を付けたい。
今日はnoteのネタにして昇華することにした。

怒りの感情を飼い慣らして、上手に付き合って、根っこのポジティブな感情を待ちたいと思う今日この頃でした。

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