子どもが夢を持てないのは政治の責任である。

というのを、強く思ったのでタイトルにしてみた。

書いて下書きに入れるうちに、日数がたってしまい、
今日の赤旗にこんな記事が載っていて、
やっぱりそうだったのか。って思った。

9日夜、国会議事堂前「さようなら自民党政治」のデモで、
参加者が、大学卒業後に久しぶりに会った友人が
「30歳くらいで死にたい」とこぼしていた。
という話。

たしかに。
自分は死にたいとは思わなかったけれど、
いつも死にそうなくらいまで働いて、
結局、身体を壊していつも退職に追い込まれていた。
今もそれを繰り返しているようなところがある。
だから共感する。

で、うちの子の話。
学校で、「将来なりたい職業について調べましょう!」
みたいな課題をやったときのコラージュ的?
写真とかを貼り付けて作った資料。がうちに飾ってある。
確か4年生のときだった。
動物園の飼育員になりたい。って書いてあった。
それが特になりたい職業じゃなくて、
学校の課題として選択しただけ。っていうのを
昔この日記に書いたような気もする。

飾ってあるのに、特に深い意味はない。
ただ子どもがもらって帰ってきたのを、
そのまましまうのではなく、
飾っておくことが多くて、
近年、それがあまりに更新されないため、
そのままになっている。

学年が上がるにつれ、
そういう作品作り?があまりなくなったからなのか、
はたまた感染症クラス休業続きでそれどころではないのか、
理由はよくわからない。

前回の銀行員の話を書いてみて、
そのあとJALの労働問題について少し知って、
それであえて。

子どもに大人になってどんな職業に就いてほしいか。
ふと考えてみたんだけど、何もなかった…。
というか、この国で働いて欲しくないとさえ、
思うようになっていた。
びっくり。

この記事が明日、12日の月曜日まで限定の公開ということで、
Amazonラブなうちの人にも読んでもらった。

うちの人曰く、大袈裟だ。都心だけの話。とか、
AIの話が出てくるけど、これはAIではない。とか、
そういう、どちらかというと言い訳っぽい話で少し残念だったけれど。

でも、都心と地方と、システムの格差はすごくあると思う。
ここは当日配送も、まずない。
ごく稀にあるし、一時期はすごくアピールがあったけれど、
今は少し落ち着いたし、
逆にセールがあるとやっぱり日数がすごくかかる印象。
だって人が運んでくれているんだもん。

私も、Amazonが悪だ。って思っているかというと、
実はそうでもなくて、こんな便利なシステムがうまくいったら、
高齢化社会でも生き残れるかもしれないし、
そういう社会も必要かもしれない。って思っている。

そして、『車を所有していない』我が家にとって、
通販生活はやはり、切っても切り離せないものがある。
率直に言ってネット通販がないと生活できないし、困る。

でも、やっぱり。
忙しいとつい、頼りがちで、
誰しもそうだけど負の連鎖が続いてしまう。

気候危機も、暑ければ暑いほど冷房に依存して、
それで電力消費を加速していくけど、
実際は木を植えたりもっと別の方法で涼しくしないと、
この環境破壊は止まらない。

これを読んでいる話は前に書いたから、今日は書評を載せてみる。

ここにケン・ローチの映画のことが書かれていた。
私はこの映画を、映画館に観にいった。
あのときはどこか他人事のように感じていたのに、
今は目の前にその生活がある。
当たり前に受け取る。
そのことに改めて驚愕してしまった。
もちろん、Amazon、困ったときしか使わないようにしている。
なるべく買い物に行くようにしている。

でも、うちの人が毎週のように受け取る荷物を家の中に入れるのは、
私と子どもの仕事になっている。
私はその便利を享受して生活していることは間違いのない事実だ。
そう、荷物を届けてくれるのはいつも、あのお兄さん。

このメール便のことも。

インスタでフォローしているお店が、
(良心的だと思うからそこで買いたいそう思っていた)
このことをただ
<システムに変更があったために>
荷物の届け方法が変わった。
というようなことを紹介していたし、
むしろ前向きな印象で受け止めていることにショックを受けた。


Amazon配達の記事を読むとよくわかるけれど、
このヤマトメール便も、
どちらも働く人は誰でもいいわけではなく、
働く中で技術を磨いてきている。
でもそれは対価として現れることなく、
搾取として成立し、
いつでも切れる労働力としか見られておらず、
今こんな扱いを受けている。

そして自分も似たような労働者だということを
最後に書いて終わりにしよう。

ある事情で、店の通販を拡大することになったらしい。
大きな事情はまだ書けないけれど、
この半年で二人も新しい人を雇い、
まだ仕事を十分に理解しないまま、
その人たちも食べさせていかなければならない。
とにかくたくさん売り上げを作らなければならない。

私は朝から通販のピッキング作業をして、
それをレジの横のパソコンで
出荷通知を送りながら梱包する。
商品を出荷する手続きや伝票は別の人が出してくれるけれど、
(一時期同じ人がやる話が出たけれど、私は猛反対した)
出荷作業そのものは自分一人で、
絶対に間違えてはいけない。

ピッキングの際のデータや出荷の伝票や送料など、
1日に一回は出荷する前に間違いを見つけるけれど、
自分は絶対に出荷作業をミスできないと思う。
お客さん相手の仕事だもん。

その間にレジにも入ることになっている。
平日の出勤は圧倒的に年齢層高めの常連さんだ。
いつものようにいつもの接客で対応する。

そこに最近、国内外買い付けの人も多く、
(いわゆる せどり)
そうすると100枚単位で売れることもあり、
それを昔ながらの電卓の延長線みたいなレジで入力して、
なんならそのあとそのレコードを
希望の宛先まで発送するために、梱包することも結構ある。

そのお客さん相手の間違えることができない業務をほぼ一日中。
続けるようになってしまった。

もちろん時給制。
先月から50円あげてもらったけど、
最低賃金が上がる中なので、
最低賃金より少し上で、
そこらへんに貼ってある賃金と大差がない。

なのに、強いストレスで、
お昼ごはんもままならないときが出てきたり、
お茶を飲もうとカウンターの下でしゃがんだ瞬間、
お客さんがレジに来て、
そのままお茶一滴も飲めないまま退勤時間を過ぎても、
退勤できないことも出てきた。

Amazonの記事を読んでいて、
働く人と自分がすごく重なった。

仕事を辞めないと身体を壊すと思って、
今半分程度に減らして貰っている。
ストレスから解放されて、
今までいかに日常にストレスを感じていたかが、
明らかになった。

気持ちがとても静かだ。
耳鳴りが治ってきた。
まだするけれど、イライラすることがなくなった。

夕飯の支度も嫌ではなくなった。
月に2回も仕事のあとに事務所の会議に出ないといけないし、
とにかく仕事の日の夕飯の支度が苦痛で、
仕事が1分でも上がる時間が遅くなると、
夕飯の時間がどんどん遅くなる気がして、

ヘトヘトで疲れた身体で、
無理矢理作っていたと思う。

今は夕飯を作ることが楽しい。
子どものハンカチを作り始めた。
コロナ渦の学校休業だったとき作ったのが、
どんどん汚れてきているのを、
ずーっとそのままになっていた。

ハンカチ買えばいいのかもしれないけれど、
なかなかいいのがないよなぁ。といつも思う。
今日も長い日記が書けた。
この辺で終わる。