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「青春18×2-日本漫車流浪記-」レビュー(その4)~紀行エッセイと映画・2つの「青春18×2」~

※ネタバレしかありませんので、映画をご覧になってからお読みください。

■もしも原作どおりに映画をつくったなら・・・

映画を見た後で「Love Letter」と「余命10年」を見て、さらに原作を読んだら、驚きと納得が渋滞してまった。
ブログのエッセイは、「読み物」として意外性もあり、十分面白い。
その上で、作者自身がブログエッセイに「加筆」して小説化しているので、ますます小説版を読んでみたくなったが、Googleレンズの翻訳機能は使えるのだろうか?

今は、この原作どおりに映画を作ったならどんな映画になっただろうという妄想に駆られている。
原作のストーリーそのままでも、十分映画にできそうなドラマ性のある内容だが、泣きの要素がぐっと少なくなり、客を呼べそうにもないので実際にはこのまま映画化されることはないと思うが故に妄想である。

原作と映画とで大きな違いのひとつが、アミのキャラクターである。
映画の中のアミは、36歳の藤井監督が自分が18歳だったらこんな女性を好きになるだろうという理想を清原果耶が演じるのを想定して作り上げたというだけあって、非常に魅力的だ。
こんなの誰だって好きなってまうやろ。
ジミーじゃなくとも、DT高校生ならイチコロだよ。
これまで比較的真面目で、おとなしい役が多かった印象の清原果耶だが、この映画では、快活で、ちょっと思わせぶりな大人っぽい感じが見事にはまっている。

映画の中で、ジミーがアミの好み男性のタイプを聞くシーンで、アミがジミーの気持ちを見透かしながら「へー、気になるんだー」とちょっと茶化しながら、アミから見たジミーとは反対のタイプ(4歳年上でアクティブなタイプ)を答えるというシーンがある。
清原果耶の答える時の表情、声のトーン、完璧です。
「アミに狂わされたい。アミを映画に誘って、アミに『これってデートだね』って言われたい」という投稿もあったが、気持ちは分かる。
この後、アミがポップコーンをジミーに食べさせるシーンがあるが、ポップコーンをジミーの口に押し込むという激し目のボディタッチをしている。
こんなことをしておきながら、映画「Love Letter」を見てアミは泣いちゃうんですよ。
それでなくとも女の涙に弱いのに、映画を見る前との振り幅。
この映画を見た女性作家さんが、清原果耶演じるアミのファムファタール性を指摘し、「コケティッシュで清らかな白い悪魔」と評していたが、その通りだと思った。
還暦を過ぎた父親が「このぐらいの年頃はアミちゃんみたいなタイプにやられちゃうんだよな」という感想を漏らしていたという投稿もあった。
清原果耶演じるアミがあまりに魅力的すぎたのか、心の古傷に触ったらしい男性も多く、「純朴なジミーをたぶらかしてアミはけしからん!」という感想も多かった(映画の中盤までのアミはそうかも)。

だが、原作で描かれているアミは映画のアミとはかなり異なる。
映画でアミとジミーがそれぞれ自分の好きなタイプを言うシーンがあるが、原作にはジミーの理想のタイプが具体的に書いてある。
1:髪は長く、自分より4歳年上(つまり22歳)
2:身長は168cm(168cm限定なのがいかにも高校生)
3:外見は台湾の有名歌手・俳優の周惠民

周惠民


4:穏やかで親切な性格
恋愛経験のないDT高校生丸出しの理想像だが、原作のアミはこの理想像からはほど遠い。
1:髪はショートカットで、自分より6歳年上(つまり24歳)
2:身長は168cmよりもずっと低い。
3:外見、特に顔については記述はないが、「笑うと牙が見える」という八重歯についてのネガティブな記述のみあり(すでに記憶が薄れている模様)
4:かなり自由奔放な性格。バックパッカーをしていて、途中で旅の資金がなくなったから海外のカラオケ店に飛び込みでバイトを申し込み、泊まり込みでバイトしてしまう。
  さらに、バイト代の値上げの交渉を店長へしている

外見について記憶が薄れているので、理想のタイプではなかったのだろう。
原作のジミーは映画のように一目惚れというわけではなく、たまたまアミと言葉(英語)が通じるのはジミーだけで、アミの教育係を店長から無理矢理押しつけられて、最初は不満ブーブーだったが、アミと言葉を交わしていくだんだんとアミを好きになっていった。
「『何事も計画通りには行かない』ということをこの初恋で学んだ」、と原作には書いてある。
理想のタイプと実際に好きになるタイプが違うなんてことは普通というか、そもそもDT高校生の非現実的な「理想のタイプ」なんていうものが、自分の周辺にいるわけがないので、結果的にそうなってしまうだけなのだが。
そして、「好きになったタイプが理想のタイプ」ということになるのだ。

バイトをしているカラオケ店でアミが人気者になるというのは、原作にあるエピソードだ。
原作の舞台は、台南ではなく台南近郊の嘉義というところで比較的田舎なので、1996年当時はまだ外国人の女性が働いているのが珍しかったという事情はあるにせよ、ふらっと現れた日本人が人気者になるのだから、原作のアミもみんなに好かれるキャラクターだったのだろう。
バックパッカーの旅の途中で財布をなくしたからといって、店に日本の地名が入っているからというだけで、言葉も通じない外国のカラオケ店に住み込みで働かせてくれと頼み込みに行くという、映画のアミの行動もなかなかだが、原作のアミはもっとすごい。
バックパッカーなのに無計画にお金を使ってしまい、帰りの旅費がなくなったから、外国の見ず知らずの店(店長はもちろん台湾の人)に住み込みで働かせてくれと頼み込みに行く女性は、無謀を通り越して、もはや破天荒といっていい(英語が話せるのはアピールポイントだが)。
そんな破天荒さの反面、映画「Love Letter」を見て涙して(原作のジミーも映画以外の理由で泣いているのではと感じている)、別れ際には「ジミーが4つ年上だったら彼氏にしたのに」と憎まれ口をたたきながら、ジミーにハグして頬にキスする(!)ような原作のアミは、映画のアミとはキャラクターはだいぶ違うものの魅力的な女性であることは確かだ。

ともあれ、原作のアミのキャラクターだと、映画のテイストが全く変わってしまうので、アミのキャラクター・エピソードを映画のように変更した藤井監督の判断は正しいと思う。

アミのキャラクターひとつとっても驚きが多かった原作だが、原作の一番の衝撃は、アミの写真を持っていなかったジミーはアミの姿が記憶の中でおぼろげになっているところ、アミの実家で見せられた18年前に台湾で撮った写真の中のアミが、日本のテレビドラマ「鹿男あをによし」(2007)に出てくる多部未華子にちょっと似ているところだ。
原作のこの部分を読んで、思わず声を上げてしまった。
 多部未華子… 
 ショートカットの多部ちゃん… 
 しかも18歳頃の多部ちゃん…
「そこなのかよ!」と言われそうだが、あの映画を見た後では、アミといえば清原果耶のルックスが完全に刷り込まれているので、今更ショートカットの多部ちゃんに(しかもちょっとだけ)似ていると言われても、脳内で補正が効かない。
原作どおりの設定で映画のキャスティングをするなら、アミ役は清原果耶でなくてもいいとは思うが(原作のアミのキャラクターを演じる清原果耶も見てみたい気もするが)、多部未華子がアミを演じている姿は全くイメージできない。

それでは、原作どおりのアミのキャラクラー設定、明るく、自由奔放で、天然思わせぶり、金がなくなったから海外のカラオケ店に飛び込みでバイトを申し込み、泊まり込みでバイトして人気者になってしまうが、「Love Letter」を見て涙するような女性の役を誰が演じればしっくりくるのか。
俳優としての演技力と言うより、中の人のキャラクターで、清原果耶と同じ事務所の先輩吉高由里子あたりか(実年齢はだいぶ上だが、ジミーの理想の恋人像と乖離があるという点ではいい感じだと思う)。
日本に帰ってからのシリアスなシーンもあるからな。
そんな妄想を楽しんでいる。

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