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「青春18×2ー日本漫車流浪記ー」レビュー(その3)~紀行エッセイと映画・2つの「青春18×2」~

※ネタバレしかありませんので、映画をご覧になってからお読みください。

■アミの絵は二重のオマージュ

アミが絵を描きながら旅をしているというのは、原作にはないが映画の中では非常に重要の設定のひとつになっている。
これも「余命10年」から借りた設定であり、「余命10年」では主人公茉莉が小説を書いている設定だが、その「小説」を「絵」に置き換えたのが「青春18×2」だと考えて間違いないと思っている。
「余命10年」の劇中で、主人公茉莉が病床で小説を書いているシーンがあるが、「青春18×2」では小説が絵本に置き換わっているだけで、ほぼそっくりのシーンがある。
もはや、藤井監督はこのことを隠す気はないと思うほど、そっくりだ。
映画「余命10年」の主人公茉莉が書いている小説「余命10年」は、恋人・和人へ自分の本当の気持ちをしたためた「ラブレター」だった。
「青春18×2」では、アミの描いた絵日記的な絵本がジミーへの「ラブレター」になっている(アミの母親のセリフで「この絵本はアミがジミーに宛てたラブレターだと思う」と明確に言っている)。
この「創作物をラブレターとして渡す」というプロットは映画「余命10年」から取ったのは明らかだが、「小説」を「絵」に置き換えた理由は何だろうと考えたとき、このプロット自体が映画「ラブレター」のオマージュにもなっているのではないかと思われる。
 
映画「ラブレター」の回想シーンの最後では、主人公の亡くなった恋人(藤井樹(男))が中学生の時に、同姓同名の同級生(藤井樹(女))の自宅を突然訪ねて、図書室から借りた本(プルーストの「失われた時を求めて第7篇」)を返しておいてくれと頼む。
藤井樹(女)はその行動を不思議に思うが、久しぶりに登校して初めて藤井樹(男)が既に転校してしまったことを知る。
頼まれた本は図書室に戻すが、その本の図書カードの裏に藤井樹(男)が藤井樹(女)の似顔「絵」を書いていたことを10数年後に知る。
これがこの映画のタイトル「ラブレター」の正体(のひとつ)なのだが、「ラブレター」を書いた本人が亡くなってから、その相手が「ラブレター」を読んでラブレターを書いた女性の真意を10年以上経ったあとに知るというのは、映画「青春18×2」の映画「ラブレター」オマージュぶりから見れば、そのオマージュのひとつと考えて間違いないだろう。
 
文字だけの「ラブレター」よりも、絵の「ラブレター」は映像として描きやすいが、映像化するには劇中で使う本物の絵が必要になる。
劇中のアミが描く絵は映画のキーポイントのひとつで、誰の絵でもいいわけではない。
それを、藤井監督が実姉に頼んだというのは、たまたま実姉が絵本作家であったということだけではなく、その絵を知っており信頼が置けるというのも大きな理由だろう。 
これは藤井監督が、自分の信頼のおける役者ばかり使いたがるのと同じだ。
藤井監督の実姉よしだるみさんは、劇中の絵本だけでなく、台湾のカラオケ屋の壁画も描いている。
映画の撮影現場で壁画を描いた監督の実姉は、映画の中のアミのように人気だったらしい。

■不思議な縁

映画「青春18×2」のホームページに興味深い映画の制作経緯が書いてある。 
藤井監督は、祖父が台湾出身ということで、台湾を舞台にした映画が撮りたかったようだ。
藤井監督が20代の頃に、台湾の映画関係者を回り、映画監督としての営業活動を行ったことがあるらしい。
その時は営業活動の成果は出なかったが、藤井監督(というか所属する会社)に台湾の映画関係者を紹介してくれたのが、映画「青春18×2」でカラオケ店の店長役の北村豊晴氏。
北村氏は、自身も映画監督で俳優でもあり、ずっと台湾を基盤としている。
カラオケ店の店長が日本人という脚本は先の出来ていたと思われるので、日本語と台湾語を話せる役者ということで、北村氏をこの映画に起用したと思われるが、なんとも不思議な縁を感じる。
藤井監督が20代の時に行った営業活動で会った台湾の映画関係者のひとりが、この映画の台湾側のプロデューサーのロジャー・ファン氏。
その時は映画にはつながらなかったが、その後の藤井監督の映画を見て、このファン氏から藤井監督へこの映画の監督のオファーを出したそうだ。
 
このあたりの経過を知ると不思議な縁を感じるが、自分のルーツでもある台湾で映画を撮ってみたいという想いと行動がこの映画の監督オファーを呼び込んだと考えると、この映画に賭ける藤井監督に想いは相当なものであったことは間違いのないところだ。
 
この映画の中でジミーが出会う人たちのように、不思議な縁でこの映画が成り立っている。 

■藤井監督の手腕

旅を始める時は思いつき、興味本位、感傷的な気持ちだったが、「結果的に」自分の青春を終わらせる旅になった原作者とは異なり、映画の中のジミーは明確な意思をもって、「アミに会いに行く旅」つまり「自分の青春を終わらせる旅」を始めている。
このジミーに関する脚本変更に、藤井監督のこの映画で言いたかったことが集約されているように思う。
読者には重要な情報を最後まで示さないという手法も原作から借りつつ、ジミーが旅を始めるずっと前からアミの死を知っていたという重要な情報を最後に示すことによって、自分の言いたいことを際立たせる、観客に考えさせる、感じてもらう、そういう効果を最大限に(やり過ぎと思われても)発揮させることを狙っていたのだろう。
 
映画を見てからずっと腑に落ちなかったジミーとアミの旅の理由の設定について、原作を読んでようやく腑に落ちた、納得できたので、原作を読んで本当によかったと感じている。
原作を読んでから改めて映画の脚本を考えると、これまでの映画監督としての経験も踏まえた上で考え抜いて、このベタな企画をなんとか自分らしい映画にしよう、さらにアジア各国で商業的な成功もさせたいという、藤井監督の静かな執念すら感じる。
 
また、原作を読んだことによって、原作にはなかった映画オリジナルのシーンがどれか分かった。
バイクの二人乗り、ランタン祭り、音楽のシェア聴きを加えるあたりは、単に監督の好みもあるかもしれないが、映画を見た後だとこれなしでは考えられないぐらいの、はまり方と見せ方になっている。
また、これも原作にはないジミーが旅の途中で出会う人たちとのやりとりとその見せ方は、映画監督としての技量を思い知らされるところだ。
(主人公が秋田のネットカフェに寄って、女性店員と仲良くなるエピソードが原作にあったとは驚きだ。主人公のジミーを津南のランタン祭りに連れて行くためだけの映画オリジナルの設定だと思っていたのに。)
 
全編通しての美しい映像は、映像的な描写がほとんどないエッセイ(写真はあるが)とは対照的で、それこそ映画でこそ可能なものだと思うが、誰でも作れるものでもない。
自分的に解釈すれば、藤井監督の映画は、目新しくもない普通の醤油ラーメン(中華そばといったほうがいいだろうか)を作るのに似ているような気がする。
珍しい材料・技法は使っていないが、材料を吟味し、必要とあれば材料を求めて現地に行き、自分が信頼の置ける材料を選び、自分の持てる技術を総動員して、丁寧に作り上げる。
どこか一つでも手を抜けば、陳腐になってしまいかねないありきたりのメニューを食べた人の心に響く一杯にする。
音楽に例えるなら、シンガーソングライターが他の歌手に提供した曲ではなく、職業作詞家、職業作曲家が作った曲の匂いをこの映画に感じていた。
藤井監督の作る映画は、作家的というよりは職人的で、つくりが丁寧できっちりした印象がする。
藤井監督は、映画「余命10年」の監督のオファーを引き受けるにあたって、四季の撮影をその季節に撮りたいという理由で、撮影期間は1年間という条件をつけたそうだ。
現実的な撮影条件を考えると、かなりハードルが高い、監督のオファー自体を撤回されかねない条件だが、このあたりにも藤井監督の職人的なこだわりを感じる。
得意ジャンルがあるとしても、特定のジャンルにこだわらず、オファーがあれば様々なジャンルの映画を撮っているという点も職人的である。
映画「青春18×2」にも原作があり、それに映画オリジナルのモチーフとして、既存ものを組み合わせて作られているように見えるが、この組み合わせ方が絶妙で、その組み合わせ方に藤井監督の作家性を感じる。
成熟したエンターテインメントでは、真の意味での新規性、革新性は望めない。
こうした時代に、藤井監督の職人的な仕事というのは、改めて評価されていくのだろう。 

■原作についての疑問

映画「青春18×2 ―君へと続く道―」の原作「青春18×2 ―日本漫車流浪記―」は、映画を見た方ならぜひ原作を読んでほしいと思うほど興味深い内容だった。
原作が書かれたのは2014年3月(ブログに記事がアップロードされた日付が残っている)、その18年前に台湾でジミーがアミと出会っているから出会ったのは1996年の夏ということになる。
原作中にも出てくる映画「Love Letter」の台湾での公開が1996年8月だから、ジミーの高校生最後の夏休みとぴったり符合する。
アミの顔の記憶は曖昧になっているのに、アミと一緒に見た映画は覚えていたのか。
 
ふと感じた微かな疑念。
改めて原作のエッセイを読み返す。
 
アミの実家のある場所は、なかなか訛りがきつい。
同じ秋田の男鹿やヒアリング最難関の津軽弁エリアほどではないが、秋田県人ならともかく、東北地方でも秋田県人以外でも聞き取りづらいと感じる。
ましてや西日本人ならたぶん2割ぐらいは内容が理解できないのではないか。
そんなところなのに、片言の日本語しかし話せない台湾人が果たして日本語のヒアリングができるのだろうか?
 
改めてここの記述を見直してみると、アミの母親は秋田弁ではなく、「標準語」を話しているとわざわざ書いてある。
どうも怪しい。突っ込まれることを見越して書いてあるような気がする。
これまでの旅ならば、そんなに込み入った話はしていないし、道を尋ねるぐらいならどうにかなるだろうが、アミの母親から聞いたとされる日本に帰ってからのアミの話は、それなりに込み入っている。
 
もしかして、このエッセイ、作者が日本に行って青春18きっぷで旅をしたのは本当だとしても、アミに関する部分は作者の「創作」なのではないか。
しかし、アミの母親から聞いたとされる日本に帰ってからのアミの話は非常に詳細で現実的、外国人の創作とはちょっと思えない。
台湾でのアミの描写の違和感、18年前の記憶で書いているとはいえ、その粗さと日本に帰ってからのアミの話の緻密さ、現実感とのギャップの理由はなんだ?
そう考えると、アミの母親から聞いたとされる日本に帰ってからのアミの話だけは実話で、作者が日本の旅の途中で日本人から偶然聞いたのではないかと思えてきた。
偶然聞いたドラマティックな話を自分の初恋の相手ということにして話を「盛った」上で、エッセイとして出したのではないか。
 
ジミーがアミの故郷に行く旅を始めた理由が薄弱というか、理由に違和感があったのは、そこがもともと創作だったからではないのか?
日本人女性バックパッカーが金がなくなったからといって見ず知らずのカラオケ店にバイトの申し込みをするだろうかという点は、最初から違和感があった。
台湾でのアミのエピソードも、アミのキャラクターも素人が考えたような粗さが感じられる。
 
もしかすると、アミは実在していて、ジミーは秋田までアミに会いに行ったのかもしれない。
でも、会えなかった。アミの住所にたどり着けなかった。
そこで、アミが日本に帰国してからの話はジミーが想像していたことを事実のように書いたのではないか?
ブログのお墓の写真さえ撮っておけば、辻褄は合う。
 
事実は小説よりも奇なり。
本当に、エッセイの中のアミのようなはっちゃけた女性がいたかもしれない。
映画の原作となったこのエッセイ、台湾人の日本旅行記としてはとても面白く、全体としてみれば、これを映画にしようと考えても全く不思議ではないドラマ性がある。
逆に言うと、2週間前に行ったばかりの紀行エッセイとしては、話が出来すぎているのだ。
たしかに、過去と現在の記述を交互に展開させたり、アミの死を読者には伏せて、最後に種明かしするようなレトリックは、かなり作為的である。
このブログとして公開されたエッセイ、映画化にあたって、単なる単行本化ではなく、「小説」化されているというところも、アミに関する部分の全部もしくは一部が創作あるいは脚色されているのではないか、という疑念を持たせる。
 
しかし、このエッセイ、旅行記が創作だったとしても、この話を映画化したいと思わせる魅力があることに変わりはない。
ただ、エッセイで描かれるアミのキャラクター設定はちょっと雑すぎて、なるべく原作に沿った形で映画化をしようと思った場合でも、アミのキャラクターについては映画化にあたって改変する必要があるだろう。
実際の映画は、最初想像した以上に原作の要素を多く取り入れてはいるが、要所は映画オリジナルになっており、アミの描き方についてはいわんや、といったところである。
そこへ行くと、映画のアミはからかい上手で小悪魔的な明るい年上のお姉さん(しかも絵を描く才能も持ち合わせている)で、監督の願望が反映されているといえ、絶妙なキャラクター設定である。
アミの影の部分との対比を考えると、そのコントラストの高さが映えるし、切なさを倍増させる。
そこは職業映画監督がなせるプロの仕事なんだろう。

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