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「青春18×2-日本漫車流浪記-」レビュー(その1)~紀行エッセイと映画・2つの「青春18×2」~

※ネタバレしかありませんので、映画をご覧になってからお読みください。

■原作が気になって仕方ない

成り行きで見た映画「青春18×2 ―君へと続く道―」にすっかりはまってしまい、関連する映画「Love Letter」と「余命10年」も見てしまった。
監督や関係者のインタビューもかなり読んだ。
そうなると気になるのが、原作である。
原作があって、映画化の企画が台湾で始まったということだが、脚本も書いた藤井道人監督のインタビューの中で、バックパッカーのアミがカラオケ店でバイトするのは原作にあるという話をしていて、原作がどの程度映画に反映されているのか気になって仕方なくなってきた。
 
原作は単行本化されているものの、和訳はされていないため、単行本をGoogleレンズで翻訳しながら読むしかないかと考えていたところ、単行本化されるずっと前の2014年にブログで公開されたエッセイ(旅行記)が、まだウェブ上で公開されていることが分かった。
そのブログをスマホで開いたら、親切なGoogleさんが「翻訳しますか?」と聞いてくれたので、お言葉に甘えて日本語に翻訳してもらったエッセイを読むことができた。
 
ところどころ、日本語訳がおかしくなっているところはあったが、十分意味は推測できる範囲だったので、ストレスなく読めた。
サブタイトルにある「漫車」というのが、日本語で言うところ鈍行列車のことだというのを初めて知った。
 
ブログの冒頭に作者の注釈があって、このエッセイが映画化されること、自分で小説化して出版されていることが書いてあった。
もともと、作者が日本を青春18きっぷで旅行した時の旅行記(実際に作者が撮影した写真もある)で、映画化にあたり作者本人が加筆して小説化したらしい。
そういう経緯からすると、加筆前のブログエッセイが映画脚本のベースといって差し支えないだろう。
ちなみに、ブログのハンドルネームは「bluefoxing(藍狐)」、小説化した時に(本名かどうか知らないが)ペンネームとして「ジミー・ライ」という表記を使ったらしい。
映画の原作は、あくまで単行本化されたジミー・ライ著の小説版ということになっている。

■映画の原作忠実度は予想以上

原作を読んで正直驚いた。
話の大枠は原作どおりだが、アミの設定等は映画オリジナルと監督がインタビューに答えていたので、映画の半分以上は映画オリジナルだと思っていたのだが、まさかの原作忠実度の高さよ。
帰国したアミが亡くなっていたというのは、絶対映画オリジナルの設定だと思っていたのに、あっさり裏切られた。
初恋の甘酸っぱい思い出を辿る感傷的な旅を思いつきで始めたが、一転衝撃的な事実が判明するというマンガみたいな、、いやマンガというよりは一昔前の携帯小説みたいな展開が原作にはあった。
 
しかも、このエッセイの構成が、過去と現在が交互に書かれているとか、アミの死については、それを途中で若干匂わせながらも、最後まで読者に示さないとか、その構成自体が映画オリジナルではなく、原作どおりだったということも驚きだった。
(エッセイと言いながら、その構成は小説的である)。
映画を見た段階では、どう考えても映画化に当たって考えた構成だということに疑いを持っていなかったので、完全に裏切られた形だ。
 
この映画は、エッセイを読んだエッセイを読んだ台湾のプロデューサーが映画化の企画を考えたということだが、このエッセイの内容であれば、なるほどドラマチックで、この話を映画化しようと考えても、何ら不思議ではない。
この原作のとおりに映画化したとしても、台湾でのエピソードが少々足りないのでそこを補えば、映画としてのテイストはかなり異なるものの、いちおう映画になってしまうぐらいの話ではある。

■アミの病気と旅の意味

このエッセイは、基本的には個人の旅の実話で、その内容も現実的でリアリティーがある。
映画でアミが患っている肥大性心筋症のような難病ではなく、エッセイの中でアミが亡くなった病気と思われる子宮頸がんなら、その発見過程も含めて現実に十分起こりうる出来事だ。
ただ、エッセイの中のジミーとアミは、あまりにも現実的に(アミに至っては功利的に、といってもいい)行動していて、このまま映画にすることには躊躇を覚えるところだろう。
(原作の中のアミは、無計画に台湾に行き、途中でお金が亡くなったので、カラオケ店で住み込みのバイトをして、帰国してからは、世界一周旅行のための資金を貯めるため地元の会社に就職している。24歳で台湾に旅行に行くまではフリーターだったようだ。)
この映画の監督のオファーを受け、脚本を書くことになった藤井道人監督も、この原作を読んだ時に、これを自分なりにどう映画にするか非常に悩ましいと感じたはずだ。
 
特に話のキーとなる、アミの死の原因については、映画にするなら原作のままの設定にはしないとしても、では、どんな病態にするかという点については、いろいろな選択肢があったと思う。
その中で、自分が監督した映画「余命10年」の病態に近い難病を持ってきたというのは、「余命10年」が大ヒットしたからということが理由ではないだろう。
藤井監督も「余命10年」を監督するまでは、PAHという病気そのものを知らなかったと思う。
このような病気が実際にあることを知らなければ、映画にするのにあまりにも都合がよすぎて(物語を作りやすい、展開させやすく、かつドラマチック)、企画段階で却下されてしまう可能性もある。
「余命10年」の映画の中では、PAHを罹っている主人公の現実的な日常が淡々と描かれている。
服薬は必須、行動制限が多く、旅行は体調がよくてもせいぜい日帰り、普通の仕事には就けない(できても在宅勤務)。
「普通」の日常生活は送れないが、その人の外観は一見すると「普通」に見えるというギャップ。
若いが故に短くはない中途半端な10年という余命を持て余すような毎日。
(映画の中の「やることがなさすぎて暇すぎるから、早く死なせてくれないかな」と投げやりに言う主人公の言葉が胸に刺さる。)
その葛藤を抱えた日常を丁寧に描きながら、物語を展開させるきっかけとしての恋愛を描く、そこがこの映画の肝だが、その葛藤を抱えた日常を主人公が飛び越えてしまったらどうなるか。
難病を患い家族から「過保護」にされている「余命10年」の主人公茉莉は、自分の運命を半ば諦めていて突拍子もない行動は取らない(恋愛すらしないと心に決めていた。)
仮にその茉莉が自分のやりたいことを諦めず、家族の反対を押し切ってでも、自分のやりたいことをしていたらどうなるのか。
現実的には考えにくい状況だが、映画の中なら成り立つのではないか。
「余命10年」の主人公茉莉のアナザーストーリーを「余命10年」の監督は考えていたのかもしれない。
 
映画の中のアミの病気については、さすがに「余命10年」のPAHをそのまま持ってくることはしなかった。
PAHであれば、旅行するなら酸素が必要なので、酸素を持って海外旅行とか、さすがにリアリティーがなさ過ぎる(そもそも機内に持ち込めないか)。
そこで、アミの病気として選んだのが肥大性心筋症という難病だ。
アミのキャラクターシートには「不治の難病」と書いてあるが、この言い方は少々正確性を欠く。
たしかに、寛解に至るような治療法はないようだが、PAHに比べて、10年後の生存率は格段に高い。
 
しかし、突然死のリスクは肥大性心筋症の方が高いという点が重要だ。
「余命10年」のように、中途半端な「余命」を持て余す状況ではなく、明日突然自分が死ぬかもしれない恐怖はアミの病気の方が大きい。
でも、これといった治療法はなく、突然死のリスクを減らすために、運動制限をしながら服薬治療を続けるしかない病気だ。
成人なって発症した場合、比較的高い生存率が示すように、自然と症状がなくなってしまう場合も多いらしい。
ただ、小児で発症した場合は症例そのものが少なく、病態がよく分かっていないので、生存率そのものがはっきりしない。
いろいろ経験したいのに、運動も出来ず、旅行にも行けず、自宅でじっとしていなくてはいけない子供になってしまう。
自宅でじっとしていても突然死のリスクは付きまとう。
自宅でじっとして突然死の恐怖におびえて暮らすのか、明日死ぬかもしれないなら自分にやりたいことをやって死ぬのか。
台湾との合作映画で台湾を旅する主人公が病気であるという設定にした場合は、旅に出る理由として「明日死ぬかもしれないのは、自宅でじっとしていても、自分の好きなことをやっても同じ」という条件は必要だと思う。
そこで、劇中で具体的な病名は示されていないものの、設定としてこの肥大性心筋症という難病が選ばれたと思われる。
 
それはともかく、「青春18×2」の脚本も手がけた藤井監督は、原作どおりアミが帰国後に病気が見つかる設定ではなく、難病を患っているのを知った上で、アミが大好きな絵を描きながらバックパッカーとしての旅に出ている設定に変更している。
その狙いは、「アミにとっての旅の意味」を映画的に明確にしたかったということになるのだろう。
原作のままでは、アミはただの旅行好きのバックパッカーでしかない(原作中では、アミがありきたりな「自分探しの旅」をしたいということさえ示されてはいない)。
それでは、旅がテーマであるこの映画の意味づけとしては、あまりにも浅薄なものになってしまう。
もちろん、アミが難病を患っているという設定は、物語の展開上非常に都合がいいという事情もあるので、このアイディアは、脚本作成のかなり早い段階で決まっていたのではないかと思う。

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