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CDレビュー「Singles(Blu-Ray Spec2 CD盤)」


■リッピング不可だったCDが再リリース


 
今回のCDレビューは、中島みゆきの「Singles」。
実はこのCDは持っている。
1986年にポニーキャニオンからリリースされた初盤。
なぜまた購入するかというと、先日FLACにリッピングし直したときに、読み取りエラーが出てリッピングできなかったからである。
そのことを見透かされたかのように、こんな古いCDが再リリースとなった。
まさか40年以上前のCD、同じ仕様で再発売になるわけもなく、
リマスタリングが施された上で高音質CD Blu-Ray Spec盤での再リリースだ。
 
このCDに収録されているシングルの半分くらいは、アナログレコードでリリースされたものなので、収録曲全体をリマスタリングというのは当然と言えば当然。
このCDに収録されているシングルの頃までは、シングルのB面(カップリングとは言わせない)は、アルバム未収録のものが多く、シングルでないと聴けなかった。
アナログレコードの時代にはシングル盤をちまちま集めていたが、このCDが発売になり、その必要がなくなったのでとても重宝した記憶がある。
 
1975年から1985年までにリリースされたシングル20枚が収録されているが、なぜか曲順は新しいものから並べられている。
1970年代のものは、さすがにアレンジ、録音とも時代を感じさせるものが多い。
収録曲の中で印象に残っているのは、10枚目のシングル「あした天気になれ」のB面「杏村から」。
素朴でスローなフォークソング調の曲に、中島みゆきの主要テーマの1つである「都会に出てきた地方出身者の心情」を歌っている。
この曲は、FMラジオでエアチェックして繰り返し聴いていた。
 
 

■中島みゆきというシンガーソングライターとの出会い


 
中島みゆきというシンガーソングライターを知ったのはまだ小学生の頃。
「わかれうた」のヒット以降、FMラジオからその曲が流れてくることが多く、その曲が気になっていた。
当時NHK-FMで平日昼間に「ひるの歌謡曲」という番組を放送していた。
その名のとおり、歌謡曲、演歌が中心だったが、当時のニューミュージック系の歌手も特集で取り上げられることがあった。
1週間ニューミュージック特集が組まれ、その中に中島みゆきの日があった。
これは是非聴いてみたいが、当時自分は小学六年生。
義務教育の最中なので平日は学校に行かなくてはならない。
そこで、母親に頼みFM番組のエアチェックをしてもらった。
当時使っていたステレオラジカセでFMラジオを鳴らしたままにして、番組の放送時間に合わせて90分(片面45分)のカセットテープ(TDKのD)をセットしておいた。
あとは、放送開始に合わせて録音ボタンを押すのだけを母親に頼んだ。
学校から帰ると、無事に録音がされており、貴重な音源をその後も繰り返し聴くことになる。
 
放送されていた曲は、リリースされて間もないアルバム「臨月」からの曲が中心。
アルバム9曲中6曲を流してしまうというとんでもないことを当時のNHKはやっていた。
その6曲の他に放送された2曲のうちの1曲が「杏村から」だった。
 
中島みゆきのシングルの曲しか知らない小学生の自分にとって、アルバム「臨月」の収録曲は衝撃と困惑でしかなかった。
年の離れた兄を持つ同級生の影響で、生意気にも小学3年生ぐらいからFM放送(とはいってもNHK-FMのみ)を聴くようになっていた。
まだまだ、洋楽を聴くような年齢でもなく、ローカルのリクエストアワーから流れてくる邦楽を聴いていたが、小学生ながら思っていたことがあった。
どうしてラジオから流れてくる曲って、愛だの恋だの歌っているものばかりなのだろうと。
その理由が分かるようになるのはだいぶ先の話だが、小学生の自分には十分不思議なことであったのは間違いない。
テレビやラジオから流れてくる歌は、聴く人を楽しませるために作られているのかもしれないと、ぼんやりと感じていた。
 
しかし、である。
初めて聴いた中島みゆきのアルバムの曲は違った。
1曲目の「あした天気になれ」はシングルカットされていて既に聴いていたが、そこから未体験ゾーンに突入する。
普段テレビやラジオから流れてくるような曲は全くない。
むしろ、その対極にあるような曲ばかりだ。
聞き流すなんてことは許さない曲ばかりで、嫌でも曲の世界に引きずり込まれてしまう。
2曲目にかかった「あなたが海を見ているうちに」は、中島みゆきの当時の十八番、男女の別れの風景を歌った歌だが、寂しげなイントロが長いこと続いた後の歌詞は、とにかく映像的で、田舎の小学生男子が見たことがあるはずのない、寂しげな海辺の風景がありありと立体的にイメージされた。
歌を聴いてそんな経験をしたことがなかったので、そんな風景を思い浮かべた自分自身に驚いていた。
 
歌詞が映像的と言えば、6曲目の「バス通り」もすごかった。
曲調自体は比較的明るいものの、歌詞の内容は、待ち合わせをすっぽかされてそのまま別れてしまった主人公が、その待ち合わせの場所だった店で、分かれた彼氏が他の女を連れてその店の軒先で雨宿りをするのに偶然出くわすという、要約するととんでもない内容だが、まあそういう歌詞である。
そのシーンの切り取り方の鮮やかさに驚いたが、もっと印象に残っているのは、歌詞に出てくる主人公の所作がまさに映像で見ているような思えるところだ。
中島みゆきという人は、聴き手の五感に訴えてリアルに描写するのが得意だが、特に人の動きにその人の感情までの落とし込んで描くという点については、他のソングライターではちょっと真似ができない領域にあると思っている。
 小指を滑らせてウインドウを叩く
 「ねえ、1年半遅刻よ
 あの日はふたりの時計が違っていたのよね
 あなたはほんとは待っていてくれたのよね」
 
たまたま雨宿りに入った店の軒先で、雨宿りの間に別れた女の噂話をしていたら、店の中からその別れた女に窓をノックされて、今の彼女の前で1年半前の悪行を強烈な皮肉で告発されるという、男にとっては想像したくないシチュエーションだ。
自分にはそのストーリーよりも、主人公が小指をウインドウの上から下に滑らせて叩く映像が在り在りと浮かんでしまった。
 
 雨を片手でよけながらふたり一つの上着かけだしていく
 ため息みたいな時計の歌を聴きながら私はガラスの指輪をしずかに落とす
 
こんな想像すらしたくないシチュエーションに出くわしたら、雨宿りどころではないので、上着を傘代わりにしてでも、その場から逃走するしかない男は何とも情けない限りだ。
その後ろ姿を見て、おそらくその彼からもらって1年半も外せないでいた「ガラスの指輪」を主人公の女が外して捨てるというというシーンだが、ここを「捨てる」ではなく「しずかに落とす」と表現することで、指輪がゆっくりと下に落ちていくシーンが見えた。
映像としては、ゆっくり床に落ちたガラスの指輪のクローズアップで終わることになるが、とにかく人の心情と動きをシンクロさせることによって、極めて印象深いシーンになっていると気づいたのは、それは小学生のときではなくもっと後のことだ。
ただ、その指輪が落ちるシーンが自分の頭の中で映像として合焦したのはとてもよく覚えている。
 
アルバムの7曲目は「友情」という歌だが、歌い出しが
 悲しみばかり見えるから
 この目を潰すナイフが欲しい
という内容で、さすがのNHKも平日昼間の放送するのがためらわれたのか、放送はされなかった(だろう)ということを知ったのは、数年後に高校生になって初めて「臨月」をアルバムフルで聴いたときだ。
これは、小学生には聴かせてはいけない。
さらにそれから10数年後、この曲がコンサートで演奏されたのだが、なんとレゲエバージョンにリアレンジされていた。
コンサートのMCで本人が「この歌を作ったときに私の頭の中で鳴っていたのはこの音だった」みたいなことを言っていて、強烈なインパクトがあったのを鮮明に覚えている。
中島みゆきのコンサートが映像化、音源化されるようになる以前の話なので、今となってはレゲエバージョンの「友情」を聴くことはできないが、音源が残っていたらもう一度聴いてみたいなと今でも思う。
 
この次の曲は「成人世代」。
この「成人世代」とは子供でもないが、完全な大人にもなっていない就職したてくらいの年齢のことのようだ。
 大人の隣を追い越せば しらけた世代と声がする
 子供の隣を追い越せば ずるい世代と声がする
 
小学生の自分は、自分もそのぐらいの歳になれば、こんな風に思うことがあるのだろうかと、小学生にとってはずっと遠い未来に感じていた「成人世代」のことをぼんやりと考えていた。
 
大学時代の友人に中島みゆき好きの友人がいた。
その友人はマスコミ志望で、記者になるのが夢だった。
しかし、夢は叶わずメーカーに就職したが、就職して数年後に会う機会があり、こんなこと言っていた。
残業続きの毎日で、地下鉄のホームで終電を待っていると、ふとこの「成人世代」を思い起こすことがあると。
 電車のポスターはいつでも夢が手元に届きそうな言葉だけ選ぶ
 夢破れいずこへ帰る
 夢破れいずこへ帰る
その友人とは今でも会うことがあるが、会う度にその時の友人の言葉とこの曲を思い出す。
 
「Singles」のレビューのはずが「臨月」のレビューみたいになっているが、ようやく「Singles」に収録の「杏村から」の話。
ラジオ番組では最後に流された曲だ。
初めて聴いたときはピンとくることはなく、寓話のような印象だった。
フォークソング調の割と明るめの曲調だったので聴きやすい曲だった。
 街のねずみは霞を食べて
 夢の端切れでねぐらをつくる
 眠りさめれば別れは遠く
 忘れ忘れの夕野原が浮かぶ
 
 明日は案外うまく行くだろう
 慣れてしまえば 慣れたなら
 杏村から便りが届く
 昨日おまえの誕生日だったよと
 
生まれ育ったところを離れて一人暮らし。
慣れない環境に慣れるのに精一杯で自分の誕生日すら忘れてしまう。
そんな環境に自分の身が置かれたときに、初めてこの歌が自分にとって意味があるものになった。
明日は案外うまく行くだろう
慣れてしまえば 慣れたなら
自分を慰めるようにこの歌を口ずさみながら。
 
このNHK-FMの番組の「臨月」の曲たちが、自分と中島みゆきとの実質的なファーストコンタクト。
聴ける音源がFMラジオだけだった中学生まではそこまでではなかったが、高校生になってCDを聴けるようになってからは、その世界に深く魅了されていった。
あれから数十年、今でもニューアルバムを聴き、コンサートにも必ず足を運んでいる。
自分にとって、最も重要なミュージシャンの1人が中島みゆきであることは未だに変わってはいない。
だから、このリマスタリングされた「Singles」もCDで手に入れることにした。
さて、その音の方だが、Blu-Ray Spec CDをはじめ高音質を謳っている「高音質CD」というものをあまり信用していない。
差別化のためにそのような仕様のCDを出しているのだろうが、少なくとも自分の再生環境でその違いをはっきり感じられたことはないので、気休め程度に思っている。
この手の「高音質CD」のはしりは、中島みゆきも採用していた「APO盤」だと記憶している。
CDの素材が通常のポリカーボネートではなく、アモルファスポリオレフィンという素材で作られている。
発売されていた当時、通常のCDより500円くらい高かったが、これは違いがはっきり感じられた。
全体的に音の透明感が増す傾向だったが、特に高音の抜けが明らかに違った。
あのスティービー・ワンダーがこのAPO CDの音を聴いて「これが私の声だ」と言ったとか言わなかったとか。
その真偽はともかく、音の差は素人でも分かる。
この音質差を再生機器で出そうと思ったら、CDプレーヤーを2グレードぐらい上のものにしないといけないのではないかと当時思っていた。
 

■令和の「Singles」も3枚組


予約としてた令和の「Singles」が届いた。
オリジナルはCD3枚組で、通常のプラケース2枚分の厚さのプラケースだったが、最近はこの厚さのプラケースは見ない。
2枚組でも通常のプラケースより若干厚い程度だ。
今回の「Singles」はオリジナルと構成は変わらず3枚組だが、シングルのプラケースが3つという構成になっていた。
ブックレットはオリジナルと同じ、シングルのジャケット写真と歌詞が見開きになっている構成になっている。
プラケースには入らないので、CD3枚+ブックレットは外箱に収められているという「SinglesⅡ」と同じ構成になっていた。
正直場所をとる。
 
さて、いつものようにリッピングをして無圧縮のFLACファイルにしてから音を聴いてみる。
音を聴いてみると、確かに以前聴いた音とは異なる傾向なのでリマスターが施されているのは分かるが、今まで聴いたことのないバランスだ。
1曲目の「やまねこ」は1986年のリリースだが、とにかく低音の音抜けが悪い。
低域が下に伸びているわけではないが、とにかく低音が分離せず、ダンゴになる。
低音楽器のあまり入っていない「冷たい別れ」はアナログ12インチ版で聴いた時の印象に近いが、CDが出始めときのようにアナログマスター音源をそのままCD化したものに近い印象だ。
全体的にアナログマスターをCD化した時の音のざらつきは感じられるが、低音の分離の悪さはちょっと他で聴いたことのないレベルだ。
自分の再生環境、特にヘッドフォンゼンハイザーHD6XXと相性が悪いだけかもしれない。
令和の「Singles」について、高音質CD「Blu-Ray Spec2」については最初から期待はしていなかったが、リマスターの効果は一応期待していた。
しかし、リマスターがちょっと中途半端というか、効果がある部分もあるのだが、ネガティブに働いている部分もあり、全体としてはバランスが悪いような気がする。
自分の環境だけなのかもしれないが、もう少しバランス重視でリマスターしてほしかったというのが正直な感想だ。
 
このCDについては、もう10年以上は聴いていなかったのだが、高校生の時に買って聴きこんでいたので、40年近くたった現在でも曲も歌詞もよく覚えていることに自分自身ちょっと驚いている。
「杏村から」を聴くと今でもちょっと切ない気持ちになる。
 
あと印象的だったのは「波の上」。
中島みゆき初めてのライブアルバム「歌暦」のラストを飾る曲。
「歌暦」は1987年リリースだが、なんとアナログDolbyで収録されている。
当時アナログDolbyを再生できる聴きなんて持っているはずもなく、通常のステレオでしか聴いたことがないが、21世紀になってしまったのでDolbyはDolbyでもデジタルではないアナログDolbyを再生できる環境はもう消滅してしまった(少なくとも一般人には)。
 
ライブ盤の方を先に聴いていたが、このスタジオ盤もまた趣がある。
シングルのB面にしておくのはちょっともったいない佳曲。
この曲の歌詞にこんなところがある
 
 懲りもせず 明日になれば 誰かに惚れて
 昨日をくぐり抜けた 顔つきになれるだろう
 でも今夜は 少し今夜は イカレたハート
 傍にいてくれるのは優しすぎるTanquerey
 
 遠いエデン行きの 貨物船が出る
 帰りそこねたカモメが堕ちる
 手も届かない 波の上
 
英和辞典で調べてみたが「Tanquerey」という単語は載っておらず意味が分からなかったので英語の教師に尋ねてみたら、「その単語が使われている英文を見せろ」といわれてしまい、そもそも英文ではないので「じゃあいいです」と諦めたのは高校生の頃。
「Tanquerey」がジンの名前(本来のスペルはTanqueray)だということを知ったのはそれから10年以上経ってからだが、高校生に「Tanqueray」がジンだと分かるわけないと思った記憶がある。
酒好きの中島みゆきらしい歌詞だが、別れの曲で、「イカレたハート」に寄り添ってくれるのが酒、しかもジンということが分かると、この歌詞の景色が変わって見える。
大人になってようやく垣間見えたこの歌の主人公の心情。
痛みの先にあるカタルシス、そんな中島みゆきの真骨頂がこの歌にもあった。
 
オリジナルアルバルは以前のように毎年というわけではないが、リリースされている。
ただ、その曲については、この「Singles」の頃とは大きく異なっている。
歌詞は、シーンをあざやかに切り取ったような映像的なものはほとんどなくなり、抽象的なものが多くなった。
まあ、30代の時の歌と70歳を超えて歌う歌が同じ方がおかしいが、古くからのファンとしては、そういった歌も聴いてみたいと思ってしまうのは、あまりにも初めて聴いた歌の印象が鮮やかすぎたからに他ならない。
本当に心を動かされるときは驚きが伴う。
BABYMETALもそうだな。
数十年聴いてきて、今更新鮮な驚きというのはない物ねだりでしかないが、それでも聴き続けているのは、自分にとって特別な存在であり続けているからなのだろう。
 
フォロワーが生まれることがない、誰にも似ていない希代の「孤高の歌姫」も70歳を超えた。
全国を回るツアーは体力的に厳しくなっていたらしく、数年前「ラストツアー」が敢行されたが、チケットは取れたものの、新型コロナで公演自体が中止となってしまった。
あと何回ライブが見られるのか。
ライフワークの「夜会」もその公演形態からして、次があるかどうか分からない。
大都市のみで行うコンサートは行うとラストツアーの際にアナウンスされていたが、ようやく来年行われることになった。
地方なので週末にからめた公演日限定で申し込んだが、見事当選!
夜会以外のコンサートに行けるのは実に7年ぶりだ。
吉田拓郎のようにライブ活動を卒業してしまうミュージシャンもいる中で、みゆきさんはいつまでそのお姿を我々の前に見せてくれるのか。
40年近く経過しても、1987年当時と変わらない「Singles」のブックレットを眺めながら、そんなことを考えている。

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