連載・生駒里奈の言葉♯2「自分がセンターに選ばれた理由は、本当に分かりません」(『日経エンタテインメント』2012年3月号)

 (1817文字)

 これから数回にわたって、生駒里奈が“センター”について言及した言葉を紹介する。
 乃木坂46在籍時代、生駒は以下のシングル表題曲でセンターポジションを務めている。

2012/2/22発売「ぐるぐるカーテン」
2nd 2012/5/2発売「おいでシャンプー」
3rd 2012/8/22発売「走れ!Bicycle」
4th 2012/12/19発売「制服のマネキン」
5th 2013/3/13発売「君の名は希望」
12th 2015/7/22発売「太陽ノック」

 これまで乃木坂46に在籍した全メンバーで最もセンター回数が多いのは西野七瀬(Wセンターを含めて7回)で、単独センター回数の最多は生駒の6回となる。

 昨今の大所帯女性アイドルグループにおいて、“センター”について語れる、またファンにとっても語り代のあるアイドルといえばデビューシングルから9作連続でセンターを務めている欅坂46の平手友梨奈を除けば、乃木坂46在籍時の生駒以外にいないだろう。

 今回はその始まりの言葉である。


 生駒が初めてセンターに立ったのは、2012年2月22日発売のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」のタイアップ企画、明治『明治手づくりチョコレート』のTVCMだった。CMがオンエアされたのは2012年1月からだったが、CMの詳細やセンター含めた出演するメンバー(通称“明治選抜”)の概要は前年11月に報じられた。しかしーー。

「集合の撮影のときに、スタッフさんが『立ち位置は、左から○○、××……』って、名前を呼んでいくんですけど、『生駒の立ち位置はここ』って言われて立ったら……俗に言うセンターって言う場所だったんです」

「ダンスレッスンのときにも、同じようなことがあって、『“生駒”と“生田”を間違えてるよ!』って思ったんです。(中略)だから、生駒は一度も『君がセンターね』って言われてないんですよね」(『乃木坂46物語』より) 

 応募総数3万8千人超の中から選び、当時のエンタメ界を席巻していたAKB48の“公式ライバル”がいよいよ本格始動する結成する、というアナウンスにしては余りにも素っ気ない話である。

 この辺の事情については、『乃木坂46物語』に「当時の乃木坂46は、最終オーディションの際に“暫定”で決められたセンターと2番手がいなくなったことにより、明確な立ち位置がなくなってしまっていたのだ」と触れているように、運営側もグループの方向性や売り出し方にある種の混乱を来していたのだろう。(ちなみに“2番手”とは3rdシングルまで活動を休止していた秋元真夏のことである)

 これは私見だが、2012年8月21日のグループお披露目時の暫定センターの“彼女”が不在になってしまったことで、乃木坂46は多少なりとも方向転換をせざるを得なかったのではないだろうか。

 乃木坂46は結成以来、“都内の私立女子校に通う生徒たち”というイメージで語られがちだが(それもAKB48との比較論だが)、軌道修正の上でデビューシングルのセンターに選ばれたのは最も私立の女子校生に程遠いプロフィールと猫背、秋田弁訛りの抜けない生駒だった。


 グループ内での正式なアナウンスもないまま起用されたセンターというポジションに、生駒は繰り返し戸惑いと不安な思いを残している。

「自分がセンターに選ばれた理由は、本当に分かりません」(『日経エンタテインメント』2012年3月号)

「いまだに、なぜ私がセンターなんだろう? と思っています。自分なりに頑張ろうとは思うんですけど、不安もあります」(『FLASH』2012年3月6日号)

 前述した1月12日に行われた『明治手づくりチョコレート』CM発表会で「ぐるぐるカーテン」を初披露し、オーディエンスの前で初めてセンターに立った翌日のブログにも次のように綴っている。

「みなさんにお願いがあります!!

コメントに私の特徴とかいろいろ書いていただけないでしょーか!?

自分ひとりだけでは気づけないことも、周りから教えてもらうことでもっとよくなっていくと思います。

どうかよろしくお願いいたします」

 と、ファンに向けて乃木坂46の選抜メンバーとしてセンターとしての自信を身につけるための助言を求めている。

 この6年後、生駒は自身にとってラストシングルの卒業センターを辞退することになる。今後数回にかけて、その心境に至った彼女の変化と成長を発言と共に振り返っていく。

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