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青春の童貞合宿免許(三)「童貞は竿を畳み、合宿免許へ」

 

(1637文字)

 何年か前の正月休みに田舎に帰省した折、実家の押し入れという押し入れを開けてやっと探し当てることができた。
 自動車免許教習所で使っていた資料一式だ。
 教本や問題集、教習生手帳に加え、合宿所を選ぶ際に参考にした「ローソン合宿免許パンフレット」や交通費の領収書まで残っていた。その中でも教習生手帳があったのは思わぬ収穫だった。
 自動車の教習所では、生徒は一時間の教習が終わる度に教官から手帳にハンコを押してもらう。当然、履修した科目をクリアしていないと判断されたらハンコは押してもらえない。履修科目の欄全てがハンコで埋まらないうちは卒業試験を受けさせてもらえない。
『免許がない!』という映画で舘ひろしが教官に「ハンコくれよ!」と迫るシーンがあるが、まさしく生徒の心境はあんな感じだ。
 手帳によると、ぼくが自動車免許教習所に入校したのはその年の六月十一日。路上試験を合格し、合宿を後にしたのは七月六日だから二十五日間、合宿で生活をしていたことになる。
 教本が入っていたケースをさらってみると、底から一本のヘアピンが出てきた。
 確証はないが、おそらく「彼女」が合宿免許の時に付けていた物だろう。今となっては、たまたま紛れ込んだか、彼女から貰ったのかも思い出せない。貰ったんだとすれば、彼女がぼくより一足先に合宿免許を卒業した日だろうか。

 松竹芸能の東京養成所を卒業し、バイトも辞めて川越のアパートでひとり無為の日々を過ごしていたぼくは、秋田の遅い桜もすでに散った頃になってアパートを残したまま実家に戻った。
 実家に戻っても仕事を探すでもなく、無為な日々は続いていた。どうしても時間を持て余してしまう日は、自転車で5分程の距離にある沼に最近めっきり増えたブラックバスを釣りに行って過ごした。
 夕方になると、幼なじみの健ちゃんが仕事先からそのまま車で釣りに駆けつけてくることも多かった。健ちゃんはこの春で社会人生活3年目に入っていた。学生の頃から成績優秀なヤツだったが、勤務先の工場ではすでに「主任」に昇進したとか。釣り場の近くに停めてある「エスティマ」という車からも健ちゃんの充実した社会人ぶりが伝わってくるようだ。
 
「そうやって毎日ダラダラしてるんだったら、合宿の教習所に行って自動車の免許でも取ったら」
 そう提案してきたのはたしか母親だったと思う。
 母親は続けて言った。
 「会社勤めする時に必要になるんだし」
 ぼくは小さい頃からまったくと言っていいほど車には興味がなかったし、就職も現実感が湧かなかったが、教習所に通う費用は親が貸してくれるというし、親元にいて小言をいわれるよりはマシな気がしたのでその提案に乗ることにした。
 コンビニに置いてあった合宿免許のパンフレットを読むと「大学生で混みあう夏休み前がお得」と書いてある。免許を取る時期としては悪くないようだ。
 合宿免許の教習所は、パンフレットに乗ってある中で料金が一番安いところにした。
 料金は宿泊シングルプランの三食付き、交通費も支給で、二十四万一千五百円。
 マニュアル車の教習はオートマ車より二万円ほど高額だったが、親が「絶対、マニュアル車にしろ」と言うのでそれに従った。
「やっぱ自分でギア変換しなきゃクルマの醍醐味は味わえないよ」
 そんなカーキチの発想ではなく、親にはおそらく農作業時に必要な軽トラの運転手を確保したいという魂胆があったのだろう。

 そうして6月11日の朝。
 ぼくは、トートバッグ大の布袋に三日分の下着と洗面用具を詰め込み、実家最寄り駅の横手駅からJR北上線に乗って福島県会津市にある合宿免許教習所に向かった。
 合宿所の最寄り駅に着いたのはお昼近かったと思う。駅前には合宿所の名前の入ったワンボックスカーが停まっていた。ぼくが乗り込むや、後部シートにはすでに生徒とおぼしき女性が一人乗っていた。ぼくから遅れること数分後、色白で坊主頭の青年が乗ったところで、ワンボックスカーは発車した。

(続く)


青春の童貞合宿免許(一)「童貞に届いた松竹芸能からの卒業通知」

青春の童貞合宿免許(二) 「童貞はロフトにロックグラスをキープする」

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