高校入試に落ちたら(その3)

 15年前の3月某日、ぼくは人生2度目の公立高校入試を受けた。受験したのは、1年前と同じ地元の進学校。
 受験番号は「9」だった。好きな番号というわけではなかったが、前回の「48」よりはマシなような気がした。
 試験を受けた教室には同じ中学の後輩の姿はなかった。受験手続きをしてくれた中学が気をきかせてくれたのだろうか。それともその教室はぼくのような「フリーランス」が固まって試験を受ける場だったのだろうか。

 試験が始まった。最初はいちばん得意としていた国語だった。なんせ国語は前回の入試で80点以上(自己採点)取っており、予備校に通っているときは、国語の授業はサボってもいいんじゃないかと本気で思っていたほどだ。しかし、試験を終えてみると、手応えはあんまり良くなかった。楽観的なぼくでも、「8割いってればマシ」といったところ。
 
 次は、いちばん苦手な数学。序盤の計算問題を解き終え、グラフを使った2次関数の問題に差し掛かったところで、鉛筆が止まった。
 わからないのだ。まだ半分も解いてないのに。タマキンが縮み上がっているのは教室の暖房設備が古いからだけではない。
(これ落としたら、2年連続不合格決まりだな)
 そう考えたことで肚が据わったのか、ぼくはその2次関数の問題をヒョイと通り過ぎて、次の設問に移った。今度も4つの解答欄をすべて埋めることはできそうもなかったが、最初の2つぐらいなら何とか解けそうだ。数学は終始このクレバーな作戦で押し通すことにした。その後の人生でも、ピンチの場面であれほど冷静に行動できたことはない。時間終了を告げるチャイムが鳴ったとき、解答用紙の8割ほどを埋めることができた。しかも、記入したほぼすべての答えに自信があった。

 数学をうまくやり過ごしたことで弾みがつき、その後の3教科に関しては特に苦戦した記憶はない。14時頃だったか、最後の「社会」が終わると、ぼくは合格を確信していた。
 試験後、校舎裏の路地に行くと、すでに母親の迎えの車が待っていた。1年間の浪人生活が終わった喜びと試験を終えた開放感でテンションが上がったぼくは、目の前の雪だまりを思いっきり蹴り上げた。ホーキンスのブーツ(右)が弧を描いて10mほど前方の雪山に飛んでいった。
「やべえ!」
 車のドアを開け、開口一番放ったぼくの言葉に母親が顔を凍らせた。

 1週間後にあった合格発表は父親の車で行った。入試のときの母親と同じ、校舎裏に父親を残して玄関前へ向った。受験生をかきわけ、合学発表のボードを覗き込む。
 はたして、ぼくの受験番号「9」は、あった。
 ぼくは小さくガッツポーズをとると、喜びを分かち合う同級生がいるわけでもないので、すぐにその場を後にした。
「あったっけ!」
 ぼくの報告に父親はそれまで見たことがないほどの笑顔で喜んだ。

 
 念願の高校に入学することはできた。が、その後のぼくは勉強する、成績を上げるということを放棄してしまう。
 合格発表から数日後にあった入学説明会では数学教師から教科書、問題集を渡され、「最初のテスト範囲は教科書の15ページまでだから予習してくるように」と宿題を出されたが、ぼくは一切手をつけなかった。進学校の生徒としては、入学前にすでに終わっていたのである。

 そして迎えた高校入学式。式が始まるのを教室で所在なく待っていると、廊下でぼくの中学時代までのあだ名を呼ぶ声が聞こえてきた。同級生だった石山をはじめ、同じ中学だったヤツらが会いにきてくれたのだった。しばし同い年の先輩たちと再会を喜んだ。
 さらに、入学式が終わり、玄関で靴を履き替えていると、今度はぼくの上の名前を呼ぶ声が。そこには、なんとずっと好きだったYさん! 隣には同じく中学の同級生だったKさんもいる。
「入学おめでとう」た
 1年前、ラブレターを実家に送った恥ずかしさと1年ぶりに会った喜びと後輩になった引け目といった感情が一気に襲ってきてパニック状態になったぼくは、Yさんと一言も話さないで前を見ずに玄関に飛び出した。
 あの時、玄関のドアが閉まっていたらガラスに激突し、確実に死んでいたと思う。
 Yさんが会いにきてくれたことが、高校生活でいちばん嬉しかった出来事だ。そして、いちばん笑った出来事もほどなくして訪れる。

 この高校では1年生は入学早々、放課後に応援団の練習に参加しなければならない掟というか伝統行事がある。男だけではなく、女子もだ。
 入学前に同じ高校の卒業生である兄キに聞いたところ、その練習は応援部団長の「だん、くわぁ(団歌)ーーッ」というかけ声に1年生全員が「セイヤッ!」と前略、裏山の上から呼応し、男子は学帽を、女子はスカーフを振り振り団歌や校歌を絶唱する男塾スタイルだという。
 死にたくなるほどダサいのはもちろんだが、恐ろしいのは2、3年生率いる応援団のシゴキ。進学校とは思えないほど荒っぽく、女子の中には泣き出す子もいるほどだという。名門といわれている学校にありがちな、一種の通過儀礼のような意味合いもあるのだろう。
 ちなみに、入学前の宿題には練習で歌う5曲ほどの応援歌を暗記してくるという課題も含まれていた。

 で、いよいよ最初の練習の日を迎えた。放課後の教室は、いつ恐ろしい応援部員が迎えにくるか、緊張で静まり返っていた。
 ズカ、ズカ、ズカ! と靴音を響かせながら長ランに身を包んだ3年生と思われる男子生徒(大川興行総裁に似ていた)が向ってくるのが廊下側の窓ガラスから見えた。この人はたしか応援部の団長だ。団長は教壇側の引き戸から侵入しようとしている。
 たぶん、団長の構想では「ガラッ!」と荒々しく引き戸を開けるや、間髪入れず「押忍!」のかけ声で新入生に気合いを入れ、その勢いで1年坊主を練習場の裏山に連行、だったのだろう。
 しかし、引き戸の立て付けの悪さまでは計算に入っていなかったようだ。引き戸に苦戦して教室になかなかに入れないでいる。威厳や怖いといった役づくりを放棄して必死に引き戸と格闘している。
 プーッ。
 思わず吹き出してしまった。向こうの声が聞こえないのもサイレントのコメディ映画のようだ。「引き戸vs団長」は2分も続いただろうか。体を斜めにしてなんとか通れるぐらいの隙間を開け、団長は肩で息をしながら教室に入ってきた。
 これが高校3年間でいちばん面白かった出来事である。喜びも笑いもピークを入学早々に迎えてしまったぼくは、この後、自分史の中で「失われた3年」と呼んでいる冬の時代に突入する。
(続く)

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