手ブラーマンの逆襲
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最近街に手ぶらで歩いている人、いわゆる手ブラーマンが少なくなったと思う。大学生でもサラリーマンでもお年寄りでも、ほとんどが何かしらの荷物を持って歩いている。
これは日本のダンディズムが衰退してきた証拠ではないだろうか。
たとえば、北野映画でビートたけしが自ら主人公を演じる時、『その男』でも『ソナチネ』でもほとんど作品において彼は手ぶらである。なぜなら、仕事とか便利とか、どーでもいいからだ。しょっちゅう便利や仕事を考えている時点でダンディではない。
なので、ぼくは服を買うときは、シャツでもズボンでもポケットの数で選んでいるところがなきにしもあらずである。ポケットが多い→いっぱいモノを入れられる→手ぶらができる、からだ。
近所の古着屋で買った、4つポケットがついている上着2点
その点でいくと、乃木坂46のヲタクやってた頃、ライブにも頻繁に通ったのだが、公式が売るアパレルグッズには毎回不満だった。普段着とコーディネイト不可能な色合いやデザインに対してではない。ジャージにもベースボールシャツにもポケットがひとつも付いてないからだ。ライブのような非日常の空間こそ手ぶらで楽しみたいのに。
乃木坂46の公式アパレル2点
思えば、アップル社の創始者S.ジョブズは最後の有名手ブラーマンだったかもしれない。元ヒッピーという過去もそうだし、人前に出るときはいつも包茎手術の広告モデルのようなタートルネック、プレゼン時に持っているのは発売する製品ひとつというスタイルを貫き、何よりiPhoneという製品こそが手ぶらの具現化だったはずではなかったか。
また、たしか忌野清志郎も言っていたではないか。
「必要な物だけが荷物だ」と。
ジョブズや清志郎が見たら嘆かわしいほどダンディズムの消えた現代日本。
そういうぼくも、外出するときは小さめとはいえショルダーバッグを携えている。中には、手帳やメモ帳等の筆記具、ミラーレス一眼、pomera、読みかけの文庫本、ハンドタオル、ポーチ(予備のスマホ、USBコード、ICレコーダー、手鏡、メガネ拭き等がイン)が入っている。
これらの荷物には潔さがまったく感じられない。メモやカメラ、音声記録はスマホ1台で十分だし、そもそもスマホの充電が切れたら切れたでいいではないか。そう思いながらも、いざ外出するときはどうしてもショルダーバッグを手放せない。
そんな腑抜けなぼくだからこそ、ダンディズムの最終形態、手ブラーマンに憧れる。仕事にも近所のコンビニにも戦場にも月面にも新婚旅行にも常に手ぶら。そんな手ブラーマンに会い、お話を訊き、ダンディズムを身につけていきたい。
我こそは手ブラーマン!という方がいらっしゃいましたら、こちらの記事コメント蘭、またはbonnieidol1982@gmail.com までご連絡いただけると幸いです。
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