見出し画像

近世演習発表のまとめと反省

はじめに

これは「国文 Advent Calendar 2019」の1日目の記事です。

こんにちは。とんと申します。
現在文学部国文学専修3年で、もともとは理系で入学して情報系の学科に一度進んだものの、やっぱり日本の文学がやりたくて転学してきました。そんな私に学科のメンバーはすごく優しくて、国文が大好きになってしまい、今回このアドベントカレンダーを企画するに至った次第です。
国文の人たちの興味についてより深く知るための手がかりになるのではと思い、これからの記事をとても楽しみにしています。

企画しておいてなんなんですが、私自身国文学という分野についてよくわかっておらず、卒論の内容も未だ決められていません。なので、「専門は?」という質問に答えられません。そんなわけで書く内容も迷っているのですが、この間の近世の演習発表が面白かったので、レポートに書くことがなくならない程度にそれについて書こうかなと思います。


近世文学について

日本文学における近世とはおおよそ江戸時代のもの全般を指します。日本史で習う浄瑠璃、黄表紙、浮世草子、俳諧あるいは、近松門左衛門、松尾芭蕉、本居宣長などは聞いたことがあるのではないでしょうか。

江戸時代には出版の技術が発達してきていたため、それ以前よりも多くの町人に本が流通するようになっていました。平安時代くらいの本は「写本」と呼ばれ、人が手で書き写すしか本を増やす方法がなく、また当時のものが現代に残っていることも多くはありません。しかし江戸時代に出版された本は「版本」と呼ばれ、現代で出版社が本を発売するように本が流通していきました。そのため、研究者たちが当時の本を見られる機会も圧倒的に多いです。

それに反して、みなさんが高校までの国語で習うものは、
現代文→近代以降の評論、小説。古くても漱石や鴎外
古文→中世以前、枕草子など。新しくても平家物語
くらいで、江戸文学はあまり教科書に載りません。
私の印象ではその原因として、江戸時代の文学は笑いを求めたものが多かったからかな、と思っています。有り体に言うと、教科書に載せられるほど真面目なものが少ないのです。※1

そんな笑いを求めた文学のなかで、今期の演習では宿屋飯盛(石川雅望)が編集した『万代狂歌集』をテーマに、狂歌について調べました。※2
狂歌というのは、和歌の形式(57577)を踏襲しつつ当時の卑近な話題を詠み込んだものです。江戸時代に狂歌が流行り、そのなかで著名な狂歌人の歌を集めたものが『万代狂歌集』です。かの有名な『古今和歌集』のように、「春の歌」「夏の歌」などの部立(ぶたて)のなかに狂歌を並べているのが特徴です。
今回はその『万代狂歌集』(1)の15番歌

  牛島なる別荘にて春をむかへて   田逢義
竹町や小梅の里にうけち松 けさしも春にむかふ島台

について、演習発表の反省を兼ねて書きたいと思います。
和歌や狂歌は57577のリズムが心地良いと思うので、ぜひ声に出して読んでみてください。読み方は、「たけちょうや/こうめのさとに/うけちまつ/けさしもはるに/むこうしまだい」です。


予備知識1. 作者

この歌の作者は「田逢義」となっていますが、「田逢義」という人は探しても見つかりません。狂歌人の名前は今で言うペンネームがほとんどなのですが、決まったものではなくその時々にノリでペンネームを作ってしまうことが多かったようで、調べていくと「万歳逢義(まんざいおうぎ)」※3という名前で普段活動していた人と同じ人なのでは、ということがわかってきました。

この万歳さんは江戸後期、浅草に住んでいた人で、代表作に『あさくさぐさ』という狂歌集があります。これはお兄さんの浅草市人(あさくさいちひと)さんが亡くなった際に追想として編集したもので、お兄さん想いな人柄が想像できます。

予備知識2. 詞書

57577の歌の前に、「牛島なる別荘にて春をむかへて」とありますね。この歌に対する説明文を「詞書(ことばがき)」と言います。和歌と同じです。

ここでいう「春」というのは「新年」を意味しています。年賀状に「新春」とか「迎春」と書くのと同じです。
『万代狂歌集』の始めに来る「春歌」という部立のなかには、「春」つまり「新年」を祝う狂歌が集められています。この歌はその15番目に並べられた歌です。

牛島というのは、現在の東京都墨田区、隅田公園の辺りのことを指しています。隅田川が流れていたり、少し歩くとスカイツリーに着く辺りです。現在でも隅田公園の横、墨田区向島には「牛嶋神社」という神社があり、隅田川を挟んで反対側に浅草寺があります。先ほど作者が浅草に住んでいたことを書きましたが、近くに別荘を持っていたんですね。

予備知識3. 語注

詞書での説明の通り、これは新春を祝う歌なのですが、現在と照らし合わせても「祝い」の要素が見つけ難いです。そこで、言葉についてもっと詳しく調べてみましょう。

・地名について
まず、「牛島」「竹町(たけちょう)」「小梅」は全て地名です。
さきほど書いた牛島という地域の中に、小梅村というところが存在しました。現在も、地図を見ると牛島神社のすぐ横に小梅小学校があるのがわかります。⑵
隅田川を挟んで向かいの、雷門の辺りが竹町です。この竹町に渡場があり、ここから牛島辺りの渡場に当時船が通っていました。

また「うけち松」とありますが、これも同じく墨田区の両国の辺りに、向島請地町(うけちまち)という町が存在していました。この向島請地町の秋葉神社にある千葉松と呼ばれる大きな松が有名だったそうで、うけち松とはこの請地町の松のことを指しているのではないかと考えます。⑶

・ものについて
それから「島台」ですが、これは『日本国語大辞典』⑷に

[一]婚礼や供応などの時の飾り物。州浜台の上に松・竹・梅などを飾り、鶴・亀を配し、尉・姥を立たせたりしたもの。蓬莱山を模したものという。しま。

とありました。
見た目は盆栽のようで、祝い事の時に飾られるものだったようです。中国の蓬莱山に見立てているもので、「蓬莱」と呼ばれることもあるようです。

最後に、「今朝」という言葉ですが、『歌ことば歌枕大辞典』⑸には

昨日とは違う、何かしらの意味をもった特別な朝であることが多い。
具体的には、立春の朝や、鳥の初音を聞いた朝などに、新鮮な驚きを込めて用いられる場合がある。(抜粋)

とあり、単なる今朝ではなく立春の朝であることを意識させられる言葉です。

解釈

では、以上の前提知識から万歳逢義がどのように新年を祝おうとしたのか、見ていきましょう。

まず第一印象として、牛島の別荘にいる逢義が島台を見て新年を感じている様子が伺えますが、この島台には語注にあったとおり、松竹梅が飾られています。その松竹梅と「うけち」「町」「小の里」をそれぞれ呼応させていることにお気付きでしょうか?
つまりこの歌は、牛島に「うけち松」「竹町」「小梅の里」が乗っていることから、牛島=島台と見立て、その島台がだんだんと春に向かう様子を描いています。蓬莱ではなく島台という言葉を用いたのも敢えてだったんですね。

さらにもう一つからくりがあります。
語注の地名についての項をもう一度見ていただきたいのですが、請地町の正式名称は「向島請地町」であり、牛嶋神社が現存する住所も「墨田区向島」です。この「向島」という地名と、「むかふ島台」が掛かっています。いわゆる掛詞です。※4
(私自身が演習発表で指摘されるまで気付かなかったので、わざと気付きづらい書き方をしました。ごめんなさい)

訳してみると、

牛島にある別荘で春を迎えて  万歳逢義
竹町や小梅の里に、請地町の松もある。
ここは、元日の今朝は特に春めいている向島の島台だ。

とでもなるでしょうか。※5

ここまで知った上で改めて読むと、牛島という、島台を模した新年を迎えるにふさわしい土地で、逢義自身が島台に乗っており、自分自身もその環境の中に巻き込まれているという感動が深く伝わってきます。


おわりに

こんな長い文を読んでいただきありがとうございました。

演習を終えて、「向島」と「むかふ島台」が掛かっていることを見つけたときにこの歌の面白さにやっと気付いた気がします。この短い文の中に逢義が込めた技巧に、みなさんも面白さを感じ取っていただければ幸いです。

国文学とは何か、私もずっと考えているところなのですが、やる意義、動機としては、今回書かせてもらった他に以下の補足に書いた内容に実は面白さを感じていて(ので知識パートですがよかったら読んでください)、日本史で聞くような昔のことや、自分の地域に昔からある伝統文化など、今まで触れてきたから得られる知識と国文で読んで知る知識がつながる瞬間が好きです。

また、東京に住んでいる人や地名に詳しい人には、「結論が当たり前すぎる」と感じられたかもしれません。しかし、知識がない私たちでもこの逢義の歌を楽しめるようになる、その行程が文学だと思います。

これを読んで古典に興味を持ち直してくれる人が増えたら嬉しいなと思います。今日以降、国文のみんなにも記事を書いてもらえることになりました。誘って応えてくれたみなさんありがとうございました。
Advent calendarのみんなの記事もお楽しみに!


補足(読まなくても本文に支障はないです)

※1 江戸時代は日本語の変わり目で、いわゆる古文がほとんど使われなくなり、現代語が使われるようになった時代でもあります。当時「擬古文」という古文調で文章を書かれることもありましたが、この古文と現代文の境界が微妙な時期の文章を国語の教科書に載せることは、教育方針として適当でないと見なされていたのかもしれません。
※2 前期は、人の失敗談などの笑いを集めた『しみのすみか物語』を読みました。こちらも石川雅望が書いたものです。石川雅望は『雅言集覧』という古語の辞書を作るという真面目な仕事をしていた傍らで、宿屋飯盛という名で狂歌を詠んだりしていました。
※3 このペンネームのことを「狂名」と言います。石川雅望の狂名は「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」ですが、これは雅望が宿屋(今で言うホテル)の飯盛(給仕)の仕事をしていたことからきているそうです。万歳逢義の狂名の由来はよくわかりませんが、バンザイと扇を合わせているのでおめでたさを表現したかったのでしょうか?兄の浅草市人は、浅草に住んでいたのでそのまま「浅草の市の人」だと思います。『あさくさぐさ』の著者名としては「大垣逢義」という名義を使っていて、苗字が「万歳」「田」「大垣」と移り変わっていっているのがわかりますが、本名の苗字は「久智」と言われています。
※4 本当は「掛詞」と「ダジャレ」の違いについても書きたかったのですが、長くなりすぎるため割愛します。また機会があれば書きます。
※5 訳出時に注意した点が2つあるので書いておきます。
1つめは、「や」の訳し方について。韻文では俳句の切れ字として「や」が使われることが多いですが(「閑けさ岩にしみ入る蝉の声」など)、ここでは竹町のみを特別に強調しているものではないため、並列の「や」として訳しました。
2つめは、「むかふ」という言葉についてです。和歌で「春」と「むかふ」を一緒に使う際、「春を迎ふ」という意味の場合が多いですが、この歌では「春むかふ」なので「迎える」ではなく「向かう」であることに注意が必要です。「春むかふ島台」と詠むこともできたはずなのに、「春むかふ島台」と詠んだことに逢義の意図をもう少し読み込まなければいけません。春に向かっている=春になろうとしている、というニュアンスを含めてみました。

参考文献

⑴江戸狂歌本選集刊行会『江戸狂歌本選集 第8巻』2000. 東京堂出版
⑵『日本歴史地名大系』【牛島】【小梅村】(Japan Knowledgeより、2019/10/18閲覧)
⑶『風俗画報』【竹町渡】【向島請地町】【秋葉神社】(Japan Knowledgeより、2019/11/30閲覧)
⑷『日本国語大辞典』【島台】(Japan Knowledgeより、2019/10/25閲覧)
⑸久保田淳ほか編『歌ことば歌枕大辞典』1999. 角川書店、【今朝】

役に立った、面白かった、新しいものに出会えたなど、もし私の記事が有益なものになりましたら、サポートをお願いします。