ブランニュー・ギャンブル、原神。
(この記事は、原神で10万円課金した原神中毒者によって書かれました)
ギャンブルには、新しい形が生まれている。
それはパチンコでも、競馬でも、宝くじでもない。
原神である。
既存のギャンブルと違うのは、金そのものが戻ってくることはないということだ。なんと、お金は戻ってくる日は永遠にこない。
では原神のプレイヤーたちは何を求めてこのギャンブルに参加しているのだろう?
それはレベルなどといった、ギャンブルの参加者にしか意味を成さない、資本のような数字たちである。
これらの数字こそが、ギャンブルに参加するものたちを繋ぐ。孤独な人々はこの数字をつくりあげることによって、はじめてこれまで話したことのない人や、会ったことのない人たちと繋がる。
この数字をつくるための代償として、最も流動性の高い現預金が、時間が、生きる意味が、吸い取られていく。
映画やドラマやアニメは見るだけでいい。原神は明らかにコストパフォーマンス並びにタイムパフォーマンスが劣悪である。速読する人々や倍速で映像作品を消費する人々から、原神は最も縁遠い。
だから原神をしない人々は困惑する。
おまけに彼らのしていることは、苦行そのものでしかない。
一般的なコンシューマーゲームの数倍に及ぶ数十時間をかけて原神の世界、テイワットを冒険する。
任意のキャラクターおよび武器を、冒険して得た報酬たる原石、または3万円から6万円をかけて引く。
キャラクターや武器や装備品(聖遺物と呼ばれる)の育成を、毎日毎日、永遠に続ける。
それでもやめられない。
キャラを当てられなかったときや、どうにか無理やり当てて育てた時の苦労話はどれを聞いても面白い。
現実の報われない話は、聞いてもしゃべっていても気が滅入る。しかし空想世界の原神での報われない話を聞いたりしゃべったりは、なんだかんだで面白く、同時に安らかになれるのだ。
こういうのは反復強迫とフロイトが言ったらしい。
原神はプレイ人口も多く、話がしやすい。
現実の報われない話をしたくなくなった人には、きっと平穏を得られる場所になるのだと思う。
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