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あの人も来世は猫にと言ってたし

櫻井敦司氏の訃報ののち、2月24日の「バクチク現象-2023-」の放映を待ってから書くことにした記事です。内容については、完全に個人の思い出と気持ちの放出になるため、非常に主観的で、感情的なものであることを事前にお伝えしておきます。ご了承ください。
また、時間の経過とともに不適切だと思った場合は本記事を取り下げ、削除する場合があります。何卒ご容赦ください。

2023年10月24日、および19日はわたしの中で一生消えない日付になった。

小学五年生の3月、一丁前にすでにオタクをやっていたわたしはアニメディアの春アニメ特集に目を通していた。
そこに『トリニティ・ブラッド』の放映情報が記載されており、絢爛豪華で退廃的なノイエ・バロック・オペラの世界観と謳い文句にわたしは酔い痴れた。
わたしの求めていたものがここにあった、そう思った。
(これに前後して、コミカライズ版のあとがきにて原作者の吉田直氏が亡くなられていたことを知り、気が遠くなるほどの衝撃を受けたこともよく覚えている。)

当時我が家は父の自営業の業績が落ち込んでおり、家計の維持に大変苦労していた。
『トリブラ』の放映局と時刻を見ると、WOWOW。毎週木曜日24:30〜。

終わったと思った。有料放送など契約できるわけがない。
そんなこと頼もうものなら、母親は顔を顰め父親はわたしを怒鳴るに違いない……
そう思いながら誌面を凝視していると、ひっそりと「ノンスクランブル枠」と書いてあるではないか。
月の小遣いをかき集めてアニメディアを買い、母親にこの「ノンスクランブル」という奴は何かと尋ねると、「無料放送だ」という。
逆転勝利である。

WOWOWの映るテレビは両親が寝ている部屋の一台しかない。
こうして、毎週木曜日の深夜に抜き足差し足で両親の枕元を抜け、音量を8とか9にしてかぶりつきでひっそりと『トリブラ』を観る暮らしが始まったのである。

さて、このアニメの主題歌を担当していたのがBUCK-TICKである。
毎週、毎週聴いているうちに少しずつ歌詞を覚え、アニメディアに付属していた春アニメ曲集に記載されていたフルの歌詞を見て曲の構成に愕然とし(なんと父親の意向でピアノを習っていたのでABC構成などの知識はあった)、これはCDを買うしかないと決意したのである。

アニメディアに引き続き、またしても小銭をかき集めて駅前の小さなCD屋で親父さんに「BUCK-TICK!?シブいね!」などと言われながら買った『ドレス』は、わたしの中の音楽体験に太い楔を打ち立てることになった。

ジャケットを見れば、嘘みたいに長い髪の美青年がこちらを恐ろしい形相で睨め付けている。裏面には、他の男性四人が。いずれも田舎の小学生はまず見たことがない外見でそこに写っており、いたく衝撃を受けたのを覚えている(ちなみに、その後通っていたピアノ教室の友人にこのCDを貸したところ完全に人生が狂ってしまい、彼女はThe GazettEとアリス九號.とDIR EN GREYのファンになり、ツアーを全通するようになってしまった。責任をとった方がよいのだろうか)。
ブックレットを見てみると、『ドレス』のほかいくつかの曲の歌詞と、バンドメンバー、それにレコーディングにかかわった人々の名前が書いてあった。
ほう、ボーカルはこの人で、ギターは……どれが誰なんだ?
そう思ったわたしは、奇しくも父親の自営業のおかげで自宅にあったPCとインターネット回線で、彼らを調べることにした。

まずはじめに観たのは、Youtubeに何者かがアップしていた『ドレス』のMVだったと思う。
ジャケットでこちらを威嚇するように睨め付けていた青年が、しっかり化粧をして、まるで男女の区別すら失うような美しさで椅子に腰掛けていた。
なんだこれは、と思った。
次に、ホンキートンクかエレピのような音色がギターから出ていることに目を回しそうになった。
なんだ、このバンドは。
次に、『ドレス』のリリース年がわたしの生まれ年だということを知って卒倒しかけた。
11年も前……平成5年……1993年に、こんなことをやっているバンドがあったのか!
そう思うが早いか、片っ端から関連検索に出てきたMVを漁り、メンバーの顔と名前を瞬く間に暗記し、当時公式サイトにあったB-T-Bの連載や、角川『トリニティ・ブラッド』公式サイトに寄せられたコメントを読み耽った。
美しくて、ちょっと変で、揃いも揃ってなんかちょっと口下手な彼らのことが一瞬で好きになった瞬間だった。

ここでわたしは真っ先に「他のCD」が欲しいと思った。
東北のド田舎にはセルCDを十分に揃えている店舗など小学生の足で行ける範囲にはなく、あと小遣いも月500円だったこともあり、時折町に来る古物屋とレンタルCDでその欲を満たしていくことになる。

そうして揃えていったCDを聴いていく中で、あらゆる作品で繰り広げられる音楽の奇妙さ、少しグロテスクで卑猥で、生と死と、善と悪と、正と邪の境目が曖昧になるような世界観。
そして何より、「彼ら」の正反対のようで時に心地よく混ざり合う詩作が、わたしを掴んで離さなくなった。

先述のとおり、実はこの時期はわたしの人生でも過去最悪クラスに家庭環境が荒んでおり、父はわたしと母を怒鳴り、祖母は母に嫌がらせを繰り返し、ストレスで神経が極限状態だった母がわたしに八つ当たりをするという状況が続いており、離婚をしようとしても父がわたしを人質に母を恫喝するので無理、という大変にしっちゃかめっちゃかな有様であった。
地元も治安がよいというわけでは決してなく、周囲も荒れている家庭の子が多いのか小学校では問題行動や暴力沙汰が絶えず、あきらかに育児放棄を受けている子がクラスに必ず一人はいたし、仲のいい友達も両親の離婚やらで軒並み家庭崩壊の危機といった状態で、なんとクラス担任はそんな暴れん坊たちを恐怖で支配するとかいうことをしでかしていた。
さらに言うと、わたしはこの記事でも時折登場するピアノ教室で体罰を受けていた。
つまり、「人生生きててもしょうがないし、どうにかして店じまいしちゃおうかな」と本気で思っていたタイミングだったのである。

そんな最中に出会ったBUCK-TICKだった。
「彼」の生い立ちについては調べればいくらでも出てきて「しまう」ため割愛するが、それを知ってか知らずか引き寄せられ、いつしか彼の詞の世界に逃避するようになっていった。
小学校、中学校、高校、大学……長い時間をかけて、音楽に身を投じて夢想する世界に、煌々と月が輝く夜を、ぽつんと灯りがともるキャバレーを、冷たいコンクリの部屋を、温かく湿った褥を、子どもの頃の閉塞感と抜け道のような光を幻視しながら、まるで逃げ道のしるべになるように、そして優しさで乾いた喉を潤すように。誰かを傷つけてしまったことを、自分に刻まれたスティグマを赦すように。癒すように。

わたしも「彼」と「彼ら」の織りなす世界にダイヴすることで、繋がった命のうちの一つだったわけだ。

大学に上がって、バイトを始めて、ライブに行くようになり、社会人になって収入が増えて、もっと通う頻度が上がってきた矢先の新型コロナの流行。
大学在学中に父が脳出血を起こし、母が心臓を悪くしていたこともあり、間違っても家にコロナを持ち帰れないという緊張感のさなか、ライブどころではなくなった。
その頃にはがっくりと収入が落ちていたわたしは、やむを得ずファンクラブの更新を諦めた。

転職して家の近くに通勤するようになって、音楽を聴く時間が減った。
新譜を腰を据えて聴く時間も減った。

収入は増えた。そのぶん激務だった。身体を壊した。
世間は「コロナがある」ということを諦めて、制限を緩和した。
実際タイミングとやり方さえきちんと噛み合えば、そう罹患するものでもないということは、この数年で感覚的にわかっていた。

2023年春。新譜が出た。最高だと思った。
制限も緩和されたし、スケジュールを見たら今年もツアーで仙台に来るみたいだし。
夏は行き損ねたけど冬なら。
久しぶりに行ってみよう。会いに行こう。
そう思った矢先だった。

油断した。真っ先にそう思った。
年齢と生活習慣を考えれば当たり前のことだ。
概ね同じ病に倒れた父を見ろ。
いつなにが起きても、おかしくなかったじゃないか。

不思議と、もっとライブに行っておけば……と、後悔することはなかった。
こういうものは、巡り合わせだからだ。自分が行ける状態だったとて、チケットが用意されるとも限らない。もともと金銭面で苦しい時期が長かったこともあり、これは……仕方ない。そう思った。

でも、わたしの人生の北極星を連れて行っちゃうなんてこと、ないんじゃないですか、神様。
どんなにつらい人生でも、どんなに気分が揺れ動く時でも。
どんな格好でも、何が好きでも。
わたしの先を歩くように、「生きられる」ということを示し続けてくれたわたしの北極星を見えなくしちゃうなんて、ちょっと非道いんじゃあないですか。
北極星じゃなくても。
あんなに美しくて、あんなにかわいらしくて、繊細すぎるくらい優しくて、内気で、口下手で、猫が大好きな。
そんな素敵な人がここでいなくなっちゃうなんて、非道いんじゃないですか。

てっきり、5人で後期高齢者バンドになるのだと思っていた。
てっきり、ゴス老爺になるのだと思っていた。
彼のエルダーゴス姿は素敵だったろうな。
あの人が人生を歩むなかで、少しずつ書く詞のテイストが変わってきたのに気づいていた。
これから先、何をするのか。何を書くのか。
どんなパフォーマンスを見せてくれるのか。どんな声になっていくのか。
楽しみで仕方がなかった。

「死」はその人からあらゆる苦痛を奪い去るが、あらゆる可能性を奪い去るものだ、と思う。
荒れる世界情勢と、繰り返し起こる災害を、彼が見ずに済んだのは幸いかも、と言う人もいた。わたしもそう思う。
だけど、それと当時に、わたしは彼に、今後の人生で巻き起こる歓びや幸せを享受して欲しかったのだと、心からそう思った。

人生は辛く苦しいが、辛く苦しく思うということは、生きているということなのだ。
他の星が煌めいていても、北極星のない空は暗い。
他の星の煌めきが、北極星の空白を暗く浮かび上がらせる。
標かもしれないし、杖だったかもしれない。失ってすぐ立ち上がれず、歩くのにも苦労するほど大きかった存在を喪ってしまった。
これから、わたしは人生の北極星を抜きにして、あらゆる辛苦を噛み締めて生きていくのだろう。
それでもパレードは続くし、汽車は進むのだから。
歩調を合わせて、少しずつ前に。できる範囲で。
死ぬまで生きるのだ。そう思った。

そういえば、いつだか、彼がなにかの折に、「来世は猫になりたい」と言っていたのを見聞きした覚えがある。猫。いいよね、かわいいし、気高くて美しくて、自由で。
ぼんやりと、それならわたしも水蝋蛾がいいな、と思った。
わたしも来世は、かわいくて、気高く美しく、自由な生き物がいいと思った。わたしは蛾が好きだ。水蝋蛾のほかにもすきな蛾はいるが、水蝋蛾の翅のまるで外套のような美しさが、とりわけ好きだった。

今いる世界よりいくらか美しい場所で、いくらか美しい姿で。
どこかの世界で、また彼を知れたらと思う。

https://x.com/a_la_folie0248/status/1745879643113357676?s=46


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