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昨日、先月の給料が振り込まれたというか、勤め先の明細が出た。

支給約2万7千円に対し、控除額が5万円強ということで初めて見るその差引支給額マイナス2万3千円の明細をみた時、まだ父の給料が手渡しだった頃、一度だけ給料袋をどこかに置き忘れて帰ってきた時のことを思い出した。

普段は些細なことで言い争いの絶えない両親が、
その時ばかりは、何故か笑っていた。
母が僕に「父さん、給料全部どっか置いてきたわよ」って言った時の口調が今月乗り切れば、あとあと笑えるグッドエピソードだよ。
というニュアンスを含んでいたと記憶している。

小学生だった僕も父が給料を落としてきたという大失敗が父の威厳を奪えるレアなコンテンツとしてストックしておけることが異様に嬉しかったし、ひと月の給料がないというギガ家の非常事態にワクワクしたものだ。
結局のところどうしようもないことが起きた時はイライラしても怒ってもどうしようもないな、と笑いながら次に向かおうとするDNAは僕にも引き継がれてる気がしなくもない。
とは言え両親に関しては子供には「お金がないない」言ってはいたが今の僕よりはるかに貯金をしていた上での話かもしれないが、、、。

振り返れば高校を卒業してこっちに出てきて、実家から抜け出した高揚感に浮かれていた無知な僕は急にアパートに来た綺麗なお姉さんに五木ひろしも使ってるよという1mmたりとも惹かれない売り文句の100万円の布団をそのお姉さんとその布団で一緒に寝たいなという純粋な若気の至りの極みで5年ローンで買ったり、よくわからないサービス(その中に有名アーティストのライブのチケットが優先的に取れると書いてあったがまったく取ってもらえず、只管、電話口で謝られるというオプション付)の会員権を80万円で5年ローンで買ってしまったり、から始まり、楽器やら車やら含め収入に対して見合わない借金を多くしていた20代を経て、基本借金はしない方がいいのではという思いに至り、収入に見合った生活を心懸ける一環として30代に差し掛かる頃には一時期、バンドの機材車で暮らしたり、今の住んでるところもスタジオ兼住居としてバンドメンバーで共同生活を送る為に越してきたりといわゆる一般的な価値観におけるお金に余裕があったことは一度もないのだが、貧困を感じることは何故かなかった。(子供がいるとまた違った感じ方をしたかもしれないが) 

そんな生活をしていた数年前、トキロックが病気になり症状が悪化していた時期はその精神疾患に対しての関わり方の正解は見えづらく、失敗もしながら試行錯誤した末、お金よりもそばにいることを優先した。この時期は自分史上最も収入が少なく、その時は月11〜12万円くらいの収入だったので、税金、家賃光熱費、ネットや携帯代、車の保険を引いた3〜4万円で食費と医療費とガソリン代をやりくりしていたが、お金のことで不安になったり不幸を感じることはなかった。その時は今日はトキロックが布団から出てこれたとか、お風呂に入れたとか、散歩に行けたとか、少し笑ったとか、そういうことに必死で貧困を感じる余裕がなかった。小さな希望を共有しながら、時に自分も頭おかしくなりながら過ごした数年間で感じ学んだことが僕らがこれから向かおうとしている暮らしの方向性の礎となっている。

そんな2年半程の月日を経て、徐々にかつてこういう日常があったなという僕らなりの通常運転に近づいた昨年。
今年に入りトキロックの元気が伴い仕事の時間を増やしたり、バンド活動による収入も入るようになったことで僕らの生活にようやく金銭的な余裕も見え隠れし始め、旅行貯金でもしようかだとか、食器洗浄器を買おうかなどと自分たち内バブル期が訪れた矢先に世界的難題が現れそのバブルはひと月持たずして崩壊した。見えない未来を前に今、はっきりわかっていることは以前から模索していた経済活動に依存し過ぎた暮らしから少なくとも僕らは少しづつ脱却していきたいということ。それは完全にお金を切り離すということではなく、お金があってもなくても不幸にはならないもしくは感じない思考回路を形成し体感していくことである。

貧困というものは大衆の価値観や政府の統計的基準で感じるものではない。と言うのは簡単ではあるが、実際は人と触れ合ったりメディアに触れると殆どのことが資本主義にどうしても紐付けされているので、自ずとそう思えないように誘導されてしまう。その中で自分の考えと行動とに矛盾が生じること多き日々であるが、僕の目的は思想活動でも啓蒙活動でもなく、自分の"こうありたい"や、"世界がこうあればいいな"に向かう中でいろんな生き方、考え方の人と触れ合ったりし、すべての人の環境や立場に基づく殺人行為以外の行為を肯定する術の模索である訳で、国や世界のあり方についての争いに参加することではないということははっきりさせておかないと、限りある時間を、予期せぬ望まぬ事態に発展させ望まぬ労力を費やすことになることが、急に闘争本能かなんなのか思わぬアドレナリンが出やすい僕らみたいな人間にはあるのでその点は気をつけましょうを我が家の家訓としている。

話が迂回してしまったが、僕らはやっぱり音楽を作ったり、表現したりすることによって対価を受け取る(それは別にお金じゃなくてもいい)ということが儲かるとか儲からないとかとは関係なく最も心地良いなと感じており、なかなかライブや現場の物販ほどにはなりませんが、今もバンドのオンラインショップのグッズや音源を買って貰ったり、サブスクリプションからの収入が上記の保険料や税金を払えるくらいの助けになっていて感謝してます。

ひと月後、自分たちがどうなってるかわからないけど、どうなってるかわからないことが楽しみでもあります。

今はどうやってでも生きてはいたいなと思えてるので何はともわれ
僕らは元気です。

GD

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