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母が死んだ日から思うこと

はじめに

皆さんは死について考えたことはあるだろうか

死んだらどこに行く?

かみさまはいるの?

天国や地獄はあるの?

そんな事を考えたことがありますか?

まだ死なないし....

そんな事を考えていませんか?


私は幼少期の頃母を亡くした

癌だった

私は母が死んでからたくさんの事を考えた

この記事では、

そんな私が死について考えた事を書いてある

少しでも皆さんが死について考えてくれたら

私もこの記事を書いた意味があります。

それでは、始めます。



結論

・母の死

・神様の存在

・罪悪感の壁

・死について



・母の死について

私が小学3年生後半の頃に、

母が初めてインフルエンザにかかった

家の中で隔離され、いつも元気だった母が

咳き込み辛そうにしてるのを見て

とても辛かった。

そのインフルエンザで体調を崩したと思ったら

今度は癌が見つかった。

小学校4年生の頃だったと思う。

それからは見ることも出来ないほど

母がやつれていった、

食事が大好きで、母が美味しいと言って

食べたものを出してしまうことや、

抗がん剤治療で腰まであった長い髪が

お風呂で髪を洗うと何の躊躇もなく

髪の毛が抜けていくこと

そして時々、退院した時にカツラを笑顔で

つける母を私は直視できなかった。

その後2回、3回と手術が終わった

しかし、体調はあまり良くならず

学校に行ってる最中に電話がかかってくる事も

二十回以上あった。

最初電話された時は

心臓が飛び出そうなほど驚いた。

しかし、それが何度も続くとなれてしまった

正直にいうが、毎回母に会いにいくと

ピンピンした顔で私を出迎えることもあり、

十回電話された頃には

「またか」なんて思っていた。

今なら自分を殴り飛ばすが、

その頃は何度も呼び出され、

ケロッとしてる母を見て

焦ることがなくなっていた。


そんな時、私が塾から帰ってきた時

電話があった

また病院から電話だった。

私は祖母が家に来てから一緒に行こうと

甘い考えを持っていた

しかも、祖母が来てすぐに電話するのではなく

祖母が家に来てから15分たった後に

電話のことを話した。

そして、バスに乗って

病院について

冷たい体になった

母が待っていた

生まれて初めて、死を見た

これが自分がゴミみたいに

母が死ぬまでやっていたことだ。



・神様の存在

母が死んでから、家に帰って一つ気づいた

「ただいま」を言える人がいない

「おはよう」を言える人がいない

「おやすみ」を言える人がいない

今まで自分がどれだけ恵まれた環境にいるか

痛いほどよくわかった

毎日ベットに入って考える

何度も何度も

「何でママが死んだ?」

「何で俺が生きてるの?」 

「ママにたくさんのものをもらったのに、  お前はママに何を返せた?」

「何で優秀なママが死んで、        馬鹿な俺が生き残ってるの?」

そんな事を毎日毎日毎日考えた。

すると、昔祖母が言っていた言葉を思い出した

「かみさまはみんなを見ているからね」

そんな言葉を思い出して

色々考えているうちに、

いつも1つの結論にたどりつく

「このせかいに神様なんかいない」と

神様を信じている人には悪いが、

私はそう思った

逆に教えてほしい、

「かみさまはなんでママを見殺しにしたの?」


何を見て

何を聞いて

人の死を判断したの?

何度も頭の中をこんな考えが浮かんでは消える

もし、本当に神様がいるのなら

私は目を潰して、耳を引きちぎるだろう 

殺されそうな意見だが、本当にそう思う 

傲慢で自分勝手で自己中心的な考え方と

言われても私は大きな声で言う

「かみさまなんていない」

そして

「この世界は残酷で、醜悪で、       自分は自分でしか守れない」

それが母の死で気づいた事である


・罪悪感の壁

私は母が死んでから今までずっと

罪悪感を持っている。

その罪悪感の理由は、

祖母と母の最後の対面時間を奪った事だ。

私は母が死んだ日

病院から電話が来てるのにもかかわらず、

祖母が家に来たのに

電話の事をすぐには教えなかった。

15分も経ってから、電話の事を話した。

いつも思う

あと、15分早く祖母に伝えておけば

母と祖母のお別れの時間を作れたのに

それをぶち壊したのは、自分だと

祖母から罵詈雑言を言われようと

叩かれようと反論は何一つできなかった

最後に優しく祖母が私を抱きしめたとき

なんていう事をしてしまったんだろう

お前は何をしたの?

何でお前が生きてるの?

その日から私は

一生の罪悪感を抱えて生きていく事を悟った


・死について

みなさんここまで読んでどう思いましたか?

こいつゴミだな

言い訳を書いてるよ

たくさんの意見があると思います。

ここでは母が死んだ後の話をしたいと思います

母が死んだ後、

生活がガラッと変わった。

パパの家に引っ越し

年金関係で揉めて、

葬式では、 

たくさんの人に責められてるような

気分になった。

なぜなら、みんな泣いているのに

息子の自分が涙一滴も落ちないのだから

薄情な息子ですね

ママの葬式は仏教の浄土真宗の葬式でした

そのとき私はこう思った。

「神様はいない。それなのに        都合よく天国や地獄があるのか?」と

考えてみるとあるわけないですよね。

死んだら何もかも終わりだという考えが

胸にストンと落ちてくるように出てきました

私は自分勝手な人間なのでよく思います

「自殺をする人は、            そのお前の命を誰かに譲れと」

この考え方は間違っています

それはよくわかっています。

でも、生きてるうちは

仕事も

住む場所も

ご飯も

着る服も

人間関係でさえ

選び取ることができるのです。

死んだら何ができますか?

何もできない

何も決められない

生きてるうちは選択肢は無限にあります。

これは事実です。

人生のなかで生きるための

逃げはありありです。

逃げちゃダメだと固執することはないのです

惨めに諦めて

たくさんの人に迷惑をかけて

全てを放り出して

それでも

生きていくべきなのです。

それが生きている私たちの

義務なのだと私は思います。

それができないなら、

他の生きていたくても

生きることができなかった人に

命を譲れと私は大きな声で言います。


なんでも選び取ることができるのに、

自殺をするのは、身勝手な奴だと

間違った意見だとは思いますが

私はそう考えています。



・まとめ

まず、ここまで読んでくださった方に

深く感謝を

この記事は言葉使いがいいものではないし

自分勝手な意見を書いたものなので、

間違った意見が多くあります。

ですが、この記事で書いてあることは

私が本当に思ったことしか書いていません。

この記事を読んで

少しでも、この世界は醜悪で残酷なものだと

気づき、今ある幸せがとても大事な

ものだと気づいて欲しいです

また、どうしようもなくなったら

全てを放り出して逃げても良い

ことに気づいて欲しいです

この世界はあなたが思っている

数十倍は広いです

あなたが見てる世界がすべてではなく

あなたが見てる世界はほんの一部なのです

だから、人生で生きるための逃げるのは

ありありです。


最後に

この記事を読んで少しでもみなさんの生活が

よくなる事を心から願っています。


それではまた











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