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「セプテンバー楽曲」の季節到来、半公共空間の快適さについてメモ

2020年9月4日(金)

相変わらず蒸し暑い。昨日は雨予報ながらそんなに降らなかった。今日もここまでは似たような感じ。昼過ぎからは日が差してきた。この週末はどれだけ台風の影響があるのだろうか。写真は2019年9月の不穏な神戸港。

先週から続いていた身体の不調が、昨日の夕方スッと解消した。まるで「憑き物が落ちた」かのように。協力会社の社長さんが請求書を届けにいらしたのでついでに少し話してお見送りしたら、ダルさや頭痛が消えていた。社長が何か持ち帰ってくれた?

暑熱ストレスに加え、冷房病じゃないかとの疑念も。ちょっと前までは鉄の自律神経調整システムを誇り、どれだけクソ暑いところとクソ寒い冷房エリアを行き来しても全然平気だったのに、年を取るとこういう目に見えない部分も弱ってくるのか。

お声がけをいただき急遽参加することになった、半屋外・半公共のスペースに賑わいを作り出すプロジェクト。この時期の新規案件はありがたい。比較的制限が多い場所に心地よさを生み出すには…とつらつら考えた備忘録。

言葉や数値やデータなど定量的で、社会全体でほぼ統一された基準で運用されている情報は、しっかりオーガナイズされているべし。そのことが表に出すぎる必要はないが、適当にやってしまうとユーザーの不安が増え、信頼感が生まれない。

場の空気や雰囲気、天気、風、自然光など、心地よさに大きく関わるが定量的でなく制御が難しい情報は、思い切ってその環境に任せてしまう。全てを人間が管理できると考えず、敢えて緩さや余白の部分を大きめに設けることが、ユーザーのリラックスにつながるのではないか。

統制と放任、真逆に振れたふたつの運営方針のバランスをいかに取るか。外とつながっている境界が曖昧な空間は、作り込み過ぎない「いい加減さ」をどこまでアリにするかを、最初からイメージしておく必要がありそう。程良く放っておかれる快適な空間って、なかなか少ないと思う。

毎日の通勤時は、iPhoneに入れたDJアプリのオートミックスで、ずっと音楽を聴いている。家で音楽を自由に流せないので、音に浸るのは朝夕の移動している間だけ。

毎年9月に入ると、戯れに「セプテンバー楽曲」ばかり聴いたりする。タイトルに「セプテンバー」と付くだけで、AORやシティ・ポップ的なものが多くなる法則?夏の終わりと秋の始まりをつなぐ季節ならではの、微エモなニュアンスが通底しているような。

Earth, Wind & Fire「September」

モーリス・ホワイト総帥が現役だ、尊い…

竹内まりや「SEPTEMBER」

作詞:松本隆、作曲:林哲司、琴線に触れて泣ける名曲。Night Tempoの影響で「PLASTIC LOVE」がリバイバルしてるのとか大歓迎。

あとは

松任谷由実「September Blue Moon」

一風堂「すみれ September Love」

ROUND TABLE「One Day In September」

ってあたりかしら。オッサンが選ぶとどうにも古い…

おまけの“セプテンバー歌謡”。

びゅーちふるず「朝ごはんの歌」

アースの「September」をそのままいただきました!ってな具合の潔さ、無邪気さがたまらない。9月関係ないけどな。

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