23才になってしまったので

21才になった時くらいからその年の抱負の様なコンセプトの様なものを決めてみている。

21才は「バイタリティ」だったので自分なりに動き続けてみた。
結果としてはしんどいことも多かった。とはいえ一定の体力と自分の好き嫌いを見極められる様になったのはこの一年のおかげだろう。
やみくもに、なんてことが減ったのは良いことだと思う。

22才は「余白」だった。詰め込まず、常にゆとりを持ち続ける。要は必要が急に降りかかった時に反応可能にしたかった。自分の現状の詰め込む限界を知れたから、そこに対して少しの余白を開けておくことが大事なのではないかという考えからだ。この仮定は正しかったというのがこの1年間の感想だ。
と同時に「余白」は空きすぎると「空白」となり、不安定さの源泉ともなることを知った。空きすぎもダメ、詰まりすぎもダメ、ちょうどいいを探る一年だった。現状ちょうどいいより少し空きがある感じ。悪くないと思う。「余白」に対する敏感さを持てる様になったのは成長と言えるだろう。

さて、今年はどうするか。

23才は「軽やかに自律」にしようと思う。
「自律」とは自らを縛ることである、と考えてなんとなく避けてきたこれまでを思い返した。何となく空けてある余白を何となく消費していることが意外と多かった。かといってまた詰め込みまくるというのは本質ではない。
「余白」の本質は、軽やかさを保つことにあると思う。必要が生じた時、そこに目的の合致を見たならば即動ける軽やかさ。それこそが自分の求める状態に近いはず。であれば、浪費を避け、目的のある無駄を増やすために自分を律することには向き合うべきではないか。それは自らを縛ることではない。むしろ解き放つことにつながる。
これがこの2年間から自分の導き出した新たな仮説だ。これを検証する1年にする。

毎年これやりたいな、のリストを何となく持っていたけれど、これやらない、のリストを作ってみても良いのかも知れない。とりあえず23才はそんな感じで生きようと思う。

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