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“サザエさん祭り”と昭和の郷愁

10月になってすっかり秋らしくなってきたこの頃。振り返れば9月の東京は祭りの洪水でした。神社の秋祭り以外にも街を賑わせたのは、地元民による町おこし系の祭り。中でも東京・世田谷区の桜新町商店街の「桜新町ねぶたまつり」は別格でした。

サザエさん×ねぶたで町おこし

見どころは「サザエさんねぶた」の練り歩きで、第18回を迎えた今年は9月16日に開催されました。

真ん中が長谷川町子先生

漫画「サザエさん」は68巻全巻買いそろえ、子どもの頃から火曜日と日曜日に放映される「サザエさん」は欠かさず見ていた私ですが、なぜか作者の長谷川町子先生が住んでいたという「サザエさん」の核心的拠点には足を踏み入れたことはありませんでした。

磯野家がお出迎え。トラブル続きの波平氏の毛も強靭化され!

そして先月、私はついに決行を試みたわけですが、「サザエさんねぶた」を見て私は強い「昭和の郷愁」に襲われました。

竹ぼうきでチャンバラごっこ

カツオ君と中島君が竹ぼうきで「チャンバラ」をやるねぶたからは、当時、子どもたちが竹ぼうきで、戸外を清掃していた習慣があったことがうかがえます。竹ぼうきは重く、子どもには少し操作の難しい掃除道具でした。

「チャンバラごっこ」も昭和の男の子が夢中になった遊びでしたが、令和の世では「大人が許さない遊び」の1つになってしまったかもしれません。

作品中でも目端の効いた商人になると予想されたカツヲ君

中島君は勉強のできる子でしたが、カツオは「機を見るに敏」な「世渡り上手」な子どもです。のび太君以上にその将来が気になる存在と言えるでしょう。

令和では懐かしい響きになった「バカモン!」

浪平さんの「バカモン!」の絵からは「父権の健在」が見て取れます。当時、家長と呼ばれた父親の存在は家では最も偉い存在で、それが日本社会の最も末端の秩序を支えてきました。

けれども、その確固たる父権も今や崩壊する時代に。「バカモン!」と言われた日にゃ「パワハラ」だのなんだのと、世間が目くじらを立てる令和からは考えられない“お父さん像”です。

昭和の家には増築された物干し台が散見された

1946年~ 1974年まで朝日新聞などで連載されたサザエさんは、まさに戦後から高度経済成長期に突入するまでの日本の激動を描いた「マンガ昭和史」です。

当時はまだ高層ビルなどはなく、遠くの花火も「物干し台」に出れば見えることが、このねぶたの絵からわかります。今ではこうした「物干し台」はすっかり珍しくなり、いまだそれを残している家があると私は「ハッ!」としてしまいます。

踊りの輪にサザエさんの姿も!

「サザエさん」全68巻はテーマごとに何度も読み返すことをお勧めします。マスオさんを軸に考察するのもいいかもしれません。

当時はインテリでまじめなマスオさんが、高度経済下のサラリーマン生活を経て、サザエさんの目を盗みながら、バーやキャバレーを徘徊する夫になるという原作中における変化は、まさに“日本の典型”をえぐり出していると言えます。

当てたかったな、アナゴさんスティック

ちなみに、マスオさんを“悪の道”に誘惑し引きずり込んだのは、他でもないあの浪平さんの甥っ子で記者職のノリスケさんです。

次の開催もお楽しみに!
住所:東京都世田谷区桜新町1丁目
交通アクセス・最寄り駅は東急田園都市線「桜新町駅」


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