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祖父が亡くなった話②

前回に引き続き祖父の亡くなったときの話をする。
ちなみに通夜は「大安」を避けるらしい。

「ご納棺の儀」を終えてから2日後に通夜が行われた。
日曜の午後17時から開始された。

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通夜はご納棺の儀とは異なり喪服を着用して出席する。
私の場合、喪服を買うお金が無かったのでGUでそれっぽいブラックスーツを購入した。上下で税込み8,000円くらいだった。
ちなみに弟はアマゾンで5,000円くらいのを買ったようだった。

GUのは意外と質も良くて思っていたより"ブラック”だった。
気心地は持っているどのスーツよりも良かった。さすがGU。
一方、アマゾンのスーツは黒は黒だがなんとなく深い黒ではない印象だった。そして生地がシャカシャカしているような印象だった。

10代であればこのくらいの質の喪服でも構わないだろうが、50代くらいでこんなの着ていたらちょっと恥ずかしいだろうと思った。

あとは意外に忘れてはならないのが数珠だ。
わたしは持ってくことが頭に無かったので忘れた。
というよりも、買ってすら無かった。
幸いにも母親が予備を持っていたので借りた。

参列した人の中には持ってない人もいて、それほど気にならないので無ければ無くてもいいと思うが、用意できる時間と金があるのなら絶対用意した方がいい。周りの目を考えると。

通夜の手順はこんな感じ
①受付記帳
②着席
③僧侶入場
④お経&焼香
⑤喪主挨拶
⑥通夜振る舞い

①受付記帳
受付係に挨拶をして香典を手渡しし名前を記帳するような手順になる。
文章では伝えづらいが、記帳する用紙には名刺がはさめるように切れ込みが入っていることがある。参列者はその場合、名前を記入しなくても名刺を挟むことでそれを省略することができるのだ。
これは遺族側も後で見返す際にかなり見やすいので、名刺を持参することをおすすめするが、あくまでも仕事関係の人の通夜に限るだろう。

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②着席
基本的に左前の席は喪主以外の家族親族などが着席しているので、そこに座らなければ何も問題はないだろう。
ちなみに祖父の通夜の場合は、緊急事態宣言中ということもあって、詰めて着席せず互い違いにあまり密集しないように配慮がなされた。
空きは目立って寂しい感じもするが、参列者の大半は祖父と年齢が近いためやむを得ない判断だろう。
そもそもよく通夜を行うことができたもんだ。

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③僧侶入場
想像しているような坊主頭の高齢の僧侶が入場してきたときは会場は静まり返った。私はピザーラで配達のバイトをしていたときに常連に寺の僧侶がいたな~なんてことを呑気に思い出していた。
いま目の前にいる僧侶もピザとか食うんかな~、いやさすがにもう高齢だから食わんよな~なんてことを思っていると読経が始まった。

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④お経&焼香
割と長い時間お経を聞いていた。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、飽きるのである。
何を言ってるかほぼわからないけどなんとなく座っている時間が30分程度あった。
その後、焼香を喪主→遺族→その他参列者の順でした。ちなみに喪主は祖父の息子(私の父親)である。

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⑤喪主挨拶
緊急事態宣言中ではあるものの、比較的感染者数も多くない地域でもあったようなので、40人から50人程度の参列者がいた。
あまり人数は多くないようだったが、喪主である父親の緊張は伝わってきた。父親は職業の立場的には人前は平気なはずだし、それなりに慣れているはず、むしろ慣れていないとまずい。
だが、明らかに緊張していたので私は目を瞑ってうつむき耳を傾けていた。

挨拶は、脳出血で施設から緊急搬送され翌日亡くなったこと、すでに10年近く前から認知症で人の判別が困難であったことなどについてだった。

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⑥通夜振る舞い
コロナ渦では無ければ、食事会があったのだろうが状況が状況のため、懐石料理のお弁当が参列者に配られた。これは仕方のないことだ。

通夜は大体3時間くらいで終わった。
ほとんど座っているだけれはあるが疲労感はかなりあった。
父親が僧侶にお布施を渡していたが、金額は60万円とのことだった。
人は生きるも死ぬも金がかかる、それを痛感した。

続く

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