見出し画像

✈️1:ペルー

初めまして。bonと申します。
父がペルーと日本とスペインのクォーター(ペルー出身)、母が沖縄出身なのもあり、幼い頃から飛行機に乗る機会が多く、色んな経験をさせてもらいました。ここでは今までの旅行記を綴っていこうと思います。



海外旅行というと私が生まれて0〜1歳の頃、父と母が乳児の私を連れて父の故郷、ペルーへ連れて行ってくれたのが初めての海外旅行(帰省?)だ。もちろん幼かったので私は記憶はない。
ペルーへ2〜3週間滞在の後、ロサンゼルスのディズニーランドへ旅行して帰国した。その後父方の祖母は亡くなっている為次行った時は会えなかった。


小学1年生の時、父が私をペルー・リマへ連れて行ってくれた。2月末から2週間程小学校を休んでの旅行だ。小学校の先生は「学校では教えることができない体験があるから」と休むことに好意的だった。
アメリカでのトランジットが長く、父と空港内の長椅子で寝て身体がバキバキになった思い出だ。なんといっても日本からペルーまで移動に24時間以上あるからだ。
リマに到着して父の実家まではタクシーで移動した。父の実家には父の姉家族2世帯が三階建ての家で暮らしていた。当時の私のスペイン語力といえば簡単な会話やSi(はい)やNo(いいえ)くらいだったが父と母はスペイン語でやりとりしていたので言ってる事はなんとなく理解できるレベル。
父がいる時は父に通訳してもらっていたがいない時は日本語とスペイン語で話していた😅よく通じていたものだ。

実は観光はほとんどしていない。
毎日家の前の公園で遊んだり、スーパーや市場に行ったり、夜遅く従兄弟の大学に車で迎えに行ったり、年の離れた従姉妹の友達に紹介してもらって子犬を触らせてもらうなどが日常だった。
公園で遊んでいると、自然と近所の年の近い子供と遊ぶようになっていた。男の子2人、女の子1人、水鉄砲で遊んだ。会話はどうしていたかいまいち覚えていないが子供ながらにフィーリングで意思疎通していたと思う。笑

ペルーの食文化といえば“クイ”を食べる文化がある。クイとはモルモットのことで、モルモットをまるまると太らせて食べる。父の実家ではモルモットを食用として飼っていた。しかし食用とは思わず私がペットのように可愛がっていた為、親戚達には私の姿が奇妙に映っていたそうだ。(大人になり、父から聞いた)
また、私は好きになれなかったがアロスコンレチェというミルク粥がある。昔からミルクが苦手なのでどうしても好きになれなかった。チチャ(紫トウモロコシのジュース)も始めは慣れなかったが飲み続けていると飲めるようになった。
アロスコンレチェ以外はペルー料理は結構美味しく、好きになるものばかりだった。

約2週間の滞在で、戻ったら学校もあるというのに髪の毛をクルクルにパーマしてもらった私は帰国後母にかなり驚かれた。何故パーマにしたのかまでの理由は覚えていないが恐らくお姫様みたいになれると思ったのだろう。
空港では親戚達と涙の別れとなった。
一度はペルーに住むことも考えたが小学1年生以来ペルーには行けていない。


今思えばペルーの日常生活を体験できる貴重な経験だったと思う。ただ、もし次にペルーに行く機会があればマチュピチュやナスカの地上絵等の有名観光地も行く事を視野に旅行したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?