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【推理小説】『黄色い菓子の謎』第20話(最終話)

20.終章

丸一日振りの我が家である。ここに来て急に疲れが出た九子は、居間にごろりと横になった。すると、その目線の先に図録の背表紙が見える。その瞬間、どこかで見たことがあると思っていたあの卵型の正体を思い出したのだった。
図録をめくると、<ファベルジェの卵>が載っていた。あの写真にあったものとそっくりな。
その製作者である金細工職人の名を冠す<ファベルジェの卵>は、十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、ロマノフ王朝の皇帝へ献上するために作られた。金や宝石で彩られた贅沢華美な飾り物には、様々な趣向を凝らした仕掛けが施されていたという。その後、革命の混乱に乗じて国外に散逸した<ファベルジェの卵>は、全五十八個の内、いまだに所在がわからないものも多い。
その国の諜報員が、活動資金のために祖国から渡されたのか、あるいは、いずれ祖国に返すために散逸品を蒐集していたのか、その意図は不明である。ただそれは、その人物の思いと共に別離を前にした己の血筋に託された。
それが本物の<ファベルジェの卵>であるとするならば…。十億円超の値がつく歴史的宝物が、マーケットの地下深くに埋まっていることになる。田舎の何も刺激がない寂れた商店街の一角に、そんな秘密があるとしたら…。妄想であるにしてもなんて面白いことだろうと、九子は一人笑うのだった。
時刻は午後八時半。昨日から着たままだった服を脱ぎ、先に風呂を済まそうとしていたら、ポケットの中から入れっぱなしのレモンケーキの包装紙と、覚えのないガムの包み紙が出てきた。丁寧に折りたたまれた包み紙を開くと、そこには緑色のペンで描かれた九子の似顔絵。その横には、<九ちゃん、今日は、ずっといっしょにいてくれてありがとう>という言葉も添えられていた。
あの子とは、面と向かってお喋りをしなくても、言葉にならない何かで通じ合っていたような気がする。自身も子どもの頃に変な儀式をせずにはいられなかったし、人前でうまく話せなかったからわかる。湯舟の中で、九子はそんなことを思っていた。そして、またあの姉妹に会える来週末が待ち遠しかった。
昨日からの疲れをお湯でさっぱり落とした九子は、髪も乾かぬうちに机に向かって一心不乱に作業を始めた。ペンや色鉛筆が机の上にどんどん広がっていく。やがて真っ白い画用紙に、色とりどりの絵が広がっていった。
――ただいまー。道が混んでて遅くなっちゃった。お土産買ってきたよー。って、んん?
帰宅した夫が目にしたのは、机に突っ伏し寝息を立てる九子の姿だった。その手元にある画用紙を見た夫の顔が次第にほころぶ。
そこには、あのレモンケーキの包装紙にあったレモンの絵が白地に黒の点描で忠実に模写されていた。それを背景に、駄菓子屋の姉妹を漫画化した絵。二人で仲良くシャボン玉を吹いている。その泡の一つ一つは光り、桃色、赤、水色…それから緑、青、橙、紫、と様々な色の玉となって浮かんでいた。それが表の装飾で、裏面は一転して黄色一色。昔の店の看板にあるような素朴な字体で、<レモネード味>とその中央は白抜きされていた。
――斬新!いい感じだなあ。
その声で目を覚ました九子は、驚いて飛び起きた。そして、改めてただいま、おかえりと言い合うと、お互いに話したいことがいっぱいあるといった顔で一方はお風呂に、一方は台所へと向かうのだった。今日の晩御飯は長くなりそうである。もうすぐ午後十時。まだまだ夜は続く。
・・・
さて、ここからは後日談。次の土曜日、九子が約束通りに駄菓子屋へ行くと、入り口に真新しい黄色いのれんが揺れていた。二代目の屋号が染め抜かれている。中には、お茶会に招待されたという、婆様、じいさん、ワイフの姿もあった。
頭にリボンでおめかしした姉妹が手を引いて案内してくれる。クロス敷きのテーブルには、おかみさんお手製のレモン型のレモンケーキがかわいく並べられていた。
その後、外出許可をもらった二代目と彼を車で迎えに行っていた写真館主人も合流したのだが、そこで披露された写真に一同驚くこととなる。
――先週頼まれたフィルム、現像したら何が出てきたと思う?お菓子の帖面、それも初代のレモンケーキの作り方だよ。季節ごとの分量から、小麦粉、砂糖の種類まで事細かく書かれていた。やっぱり親子だねえ。考えることが同じだ。フィルムの中に隠すなんて。
という訳で、来週は初代のツィトローネンクーヘンを囲む会が開かれることになりそうである。
(了)

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