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【推理小説】『黄色い菓子の謎』第9話

9.消えたトロフィー

九子は、十時間程前に立ち寄った駅前の喫茶チェーン店に戻って朝食セットを食べていた。テーブルに広げたレモンケーキの包装紙、古新聞、三枚の写真。それらに関連性があることはなんとなく見えたが、偽物のレモンケーキがマーケットに置かれていた理由やその中身の意味はよくわからない。ただ九子には、それが自分に対して何か大事なことを一生懸命伝えようとしているのではないかと感じられていた。
中身に関しては、フィルムの現像が完了しないことには進まない。しかし、これには日数がかかることがわかっている。すぐにできることといえば、洋菓子店の関係者を探して話を聞くことである。あと一時間もすればマーケットが開く。たこ焼き屋のじいさんなら、消息を知っているかもしれない。
九子は、珈琲を一口飲むと、一人静かに昨夜から今日までの出来事を思い返していた。ちょっとの息抜きのつもりが、随分長い散歩になってしまった。そして今、なぜか探偵のようなことをしている。
改めて、手に入れた三枚の写真をじっくりと見てみる。自分が撮ったものではないので確かなことは言えないとしつつも、写真館の主人の見立てでは、店の外で撮った家族写真が一九五〇年頃のもの。小学三、四年生頃の二代目が写っていたことから逆算したのである。同様の方法で割り出すと、店内の写真一枚目は、高校生頃の二代目が写っているので、一九五七~一九五九年頃。もう一枚は、二代目が修行に出た後で、店が火事で焼ける直前の一九六四年。これは、撮影した父親に同行した写真館の主人の記憶にあった。
比較するとしたら、同じ角度から同じ場所を写した店内の写真二枚である。どちらの写真にも中央に木製の硝子戸の陳列棚があり、中に数種類の洋菓子が並んでいるが、白黒写真なので具体的な菓子名まではわからない。
変わらずにあったのは、<ツィトローネンクーヘン>の貼り紙である。これに添えられた絵が、九子のポケットの中にあるレモンケーキの絵と全く同じだった。婆様が言っていた、初代自慢の本場ドイツのレモンケーキ。味は変わっても、包装紙の絵は二代目に引き継がれていたのだ。
陳列棚の向こうには、小柄な初代夫婦が並んで写っている。その背後には、洋菓子のコンクールで獲得したと思われる賞状やトロフィーの数々。店内は隅々まで掃除が行き届いており、硝子も木目も清潔に拭き上げられている様子が白黒写真からでも伝わった。
一枚目から二枚目までに変化した点を挙げるとしたら、初代夫婦が年を重ねて白髪が増えているということと、修行に出た二代目の姿が写っていないということだろうか。
この時、初代夫婦は五十代半ば。その顔に、大きな戦争を挟んで洋菓子店を続けてきた人たちの逞しさが滲み出ている。しかし、その後の火事がこの店の歴史を一旦途絶えさせてしまった。
寄り添う初代夫婦の温和な目を見ていると、養子の息子を大切に育てたであろうことが想像できる。だからこそ、二代目は同じ商店街で洋菓子店を再興したのだろう。しかし、レモンケーキの包装紙の絵は引き継いだというのに、その味を変えてしまったのはどういった理由からだろう。屋号も変えている。途絶えていた十年間に何かあったのだろうか。
そんなことを考えながら互い違いに二枚の写真を見ていた九子は、とある箇所に違和感を覚えた。それは、天井近くの飾り棚にある数個のトロフィー。一枚目にあって二枚目にないものが一つだけあったのだ。後の時代に増えるならわかるが、減るとは一体?
そのトロフィーは、いかにも洋菓子のコンクールらしく卵型をしていて、遠目からでも目立つほど優美な装飾が施されていた。
ここで感じた、何か記憶の奥底に埋まっているような感覚。九子は、卵型のそれをどこかで見ていた。仕事柄、美術に関する雑誌や新聞記事はこまめに確認するようにしているから、おそらくそこで触れたことがあるもの。しかし、具体的にそれが何か思い出すことはできなかった。
そうこうしているうちに、そろそろ時刻は午前九時。マーケットの開店時間である。
九子は、おかわりの珈琲を味わいもせずがぶがぶ飲むと、たこ焼き屋のじいさんを探しにマーケットへ向かって出発した。

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