見出し画像

東京で撮る

【layer】
何層にも積み重なった文化の厚みが足元に広がっている。新と旧が入り混じる、未発達で未完成な街。きっとそれは絶えることなく続いていく。この世唯一の永遠なのではないかとさえ思ってしまう。

それは東京にいる限り延々と続く一つの錯覚で、虚と実の境目に僕らは生きているからこの街に惹かれるのだろう。

重なり合う事が出来ず取り残されてしまうスキマはまるで蜃気楼のようで、その日その時その場所でしか見れないかもしれない。人・物・場所・すべてが移ろいゆくこの街でそのスキマが【今】という現実を認識させる。

今確かにここに居る。と強く思い肯定する。だから僕は東京で撮る。


画像1

画像2

画像3

画像4

画像18

画像5

画像6

画像19

画像7

画像8

画像9

画像10

画像20

画像11


画像12

画像17

画像13

画像14

画像15

画像16

日常が日常足り得ていた事に気付くのはいつも失ってからなのだ。と久しぶりに実感した。
それは目の前にあったはずの物が変わり果ててしまった喪失感に付随する少しの高揚感。在るものが無くなり、無かったものが出来上がる。

【今】を見ているはずなのに【過去】を見つめてしまう。日常という概念だけが心の中に残っている。

わざとピントを外したのは、懐かしいの正体にほんの少し気付けたような気がしたから。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?