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satuei#2.75

こんばんは。ぼん、です。
今日は僕が【解像度を調整したい人間】という事に気付いたので、そちらを記事へしました。


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9月に購入したフジフィルムのx-pro3というカメラを手放した。
どうしても欲しくて買ったのに、手にしていた2か月の間に撮影へ使った事は一度もなかった。※ただし前記事satuei#2.5の散歩写真は全てx-pro3で撮影

何故手放したのか?それは
【撮っていてワクワクしなかったから】

慣れていない操作性で思うようにシャッターを切れないからか?と考え毎回バッグへ忍ばせ、撮影前と撮影後に練習をする。
使って手に馴染ませる。
そんな事を繰り返していたのですが、EVFを覗いていても全くドキドキしなかった。

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SONYで撮影をしている時はドキドキするのにフジフィルムだとドキドキしない。それは何故だ?
元々フジの色が好きで、編集で色味や表現を近づけさせている上で【そもそもフジの機材で撮影した方が早いのでは?】と考えて購入したというのに。

購入した値段も値段なのでしっかりと悶々としながら、その理由を考えてみた。

ここで言い訳をさせてもらうとx-pro3は素晴らしいカメラだ。
豊富なフィルムシュミレーションや設定・フジ特有のレンズ描写は他社にはない強み。撮って出しで調整が必要ないほど、求めている1枚が撮れる。
僕自身、何枚か撮影した写真の中で満足のいった写真や新たな気付きになるキッカケとなった写真が撮れた。
理由を見つけてあとから考えると、機材がダメだった訳ではなく僕と合わなかったというだけだった。

そんな素晴らしいカメラなら手放さないのでは?
と僕はならなかった。
その理由は僕が【解像度を調整したい人間】だからだった。
(ここまではx-pro3で撮影。以下は全てSONY)

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自分で感じて触れて見て納めたい・手に入れたいと思った熱いもしくは冷めた瞬間を、ファインダーを覗いて写真へ落とし込む。

出来れば全ての情報を納めたい、時間さえも。だがそれは無理な話で、時間という物も閉まえない。

切り取った時間のわずかな情報という切れ端を記録するのが写真で、
雑多に溢れていた情報が、肉眼からEVFへそして液晶へとろ過されていく。
この【熱と情報量をコントロールしたい=解像度を調整した人間】だ。

この調整というのはどういった事か。

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帰宅してから写真の編集をする。その時には、
現場の熱を取り戻したい、写真を撮ったあの瞬間よりもより燃え上がらせたい。
と編集をすることもあるし、
一旦フラットになって情報量を調整して見る物をセレクトしたい。
と思うことがある。(こちらが理想)

これが【解像度の調整】であり、デジタルの強みの一つで僕自身の手段でもある。

これがx-pro3では出来なかった。上手く説明出来ないのだけれど、
EVFを覗いた時点から撮りたい物がぼやぼやとしてしまう。SONYで慣れていた文字通りの機材の解像度の違いも原因の一つだと思う。

ここで誤解をしてほしくないのは、センサーサイズの違いではないという事。フルサイズもaps-cでも、描写の違いではなくて、僕自身の感覚の違い。話を戻そう。

写真を撮っていて全く楽しくなかった。けれど出来上がった写真を見ると【何か良い】と思う事が多かった。
けれど、それは何か違う。
ワクワクしないアトラクションへ入り、終わったら【案外楽しかったよね!】と思うのも、たまになら良いが、毎度これだと心配が勝つ。
入り口が苦行になる。
だからx-pro3を手放したのだ。

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金銭的には損をしたのだが、この事を気付けたのでとても良かった。この記事を書くきっかけにもなった。

特性が分かったからこそ空気化する。その中で選択肢を選ぶ、道具として選ぶ事が出来る。
モニター、タブレット、iphone、SNS。視覚・聴覚・触覚を通じて入ってくる生活の解像度がどんどん上がっていく中で、自分に合った解像度に調整したい。

僕は【解像度を調整したい人間】だと気づけた。
これは大きな成長だと、自分で納得している。

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