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教えを生きる(BM6)

BM=坊守【お寺を守る仕事や住職の配偶者】

BMの仕事、というのか、BMとは何か?というものの根本にあるのは、やはり「経」だと思う。伝えられてきたお経の中にある、お釈迦様から脈々と受け継がれてきた教えを聴き、(それを聴聞という)そこに自らを照らして、生きているか?というのは問われる。

寺に住んでいると大変でしょ?よよく言われるが、皆が「経」に自らを照らしている、という面では楽なところもある。分かり合えないけど、向いている方向は同じだからね。ということが支えになる。

「人と人は分かり合えない」というのは、人生のいろんな場面で出会う。その中でも「世代間の違い」、とくに戦前と戦後の世代間ギャップというのはなかなかのものだ。

お寺にいれば家族内でも世代間ギャップは日常的なことだし、対面する多くの方も自分とは全く違う時代の中で生きて来た人の方が多い。

でもひとたび正座してご本尊を前にした時、それは見ている方向が同じだから、そこではそれぞれがそれぞれの時代で培ってきた人生感を離れられる。

それこそが、「宗教」、というとアレルギーを感じるのかもしれないが、人の生きる「道」といえば、納得いくのではないだろうか。そもそも仏教はあとからついた名前で、「仏道」が本来的な在り方なのだし。

それぞれが違う時代での感触を重なり合わせながら生きないといけない。自分の親とだって全く違う時間のうねりを生きて来た人同士だ。ばらばらで一緒、なんて簡単にいうが、そのばらばらの中で根をはって生きるのは本当に難しい。

BMでいることの根本には「経」がある、仏さんがある。

そこを生きているか?

そういうことも問いながらBMは走っているのです。


今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。