発達障害児のかんしゃくには文脈を変えよう[再掲載]
我が家の発達障害児(ASD ADHD)次男は、かんしゃくを起こしたり、切り換えできない、こだわり過ぎている。そんな困った状態によく陥ってしまっていました。
これに、まともに付き合っていると、こちらも感情がガンガン動きます。もう、子どもと一緒になって感情の渦に巻き込まれて、大声を出して怒鳴ったり、ひっぱたいたり、つねったり。こちらも正気では居られません。
まともに付き合ってしまう。
正面から向き合ってしまう。
これが非常に良くない。と学びました。
まずは、まともに付き合わないことです。無視すると言う方法を習いましたが、効果のある時と無いときが私にも息子にもあります。どうしてかと言えばたぶん、私が無視しきれてないから。もちろん、どんな方法も万能ではないので、いろいろな方法を私が持っていた方がいい。
どこで、目にしたのかもう忘れてしまいましたが、発達障害児のかんしゃくには、方向性を変えると良いと言う情報を手に入れて、私たち親子にはどうやってやったらいいのだろう。と模作し始めたのです。
文脈を変えよう
私が行き着いたのは、文脈を変えることでした。重要な事は、突然、何の前触れも無く、急激に息子の興味のある話題に転換してしまいます。
実際にあった我が家のケースで、ご紹介しますね。
その当時の息子
車が大好き、クラシックカー、スーパーカー、スポーツカーなどが好み。
元電車おたく
その時の状況
習い事のスイミングスクールに行きたくないと訴え、かんしゃくが止まらなくなり泣き出す。どうにか、車に乗せて向かってはいるものの、ブーイングが続き、あれが嫌だ、こうだから行きたくない、帰りたい。のループ。
息子『なんで!スイミングは行きたくない!やめたい!帰りたい!先生が嫌だもん!友達が俺に嫌なことしてくるもん!絶対やだ~!帰りたい』
放っておけば、ずーとこのループからぬけだせません。しばらくして
母『あっ!あそこで信号待ちしてる車!あれ母ちゃん乗ってみたいなぁ。あれなら、母ちゃんでも運転できそうだし、うちは狭い道を入って行かないといけないから、あれなら大丈夫そうだよねー。』
息子『え?どの車?』
母『ほら、あのシルバーの軽自動車。形も好きだなぁ』
息子『ああ、あれはエブリーだね。確かに。あれなら母ちゃんでもいけると思うよ。』
母『だよね。あの新型のやつは形が四角に近くて、お豆腐みたいで母ちゃんああゆうのけっこう好きだわ~』
息子『ああ母ちゃんは、四角い車が好きだもんなー。N boxとかもいいんじゃない?』
母『Nbox の方がおしゃれだね。母ちゃんはより四角いフォルムがいいからエブリーのがいいわー。でもシルバーはなんか微妙だなぁ。もっといい色あるといいのにね』
息子『俺がみたことあるのは、黒とシルバーくらいかな。新型のやつでしょ。あんままだ見かけてない。』
母『ちょっと気にかけて見ておいてよ。頼むね』
息子『ああ、いいよ』
母『そう言えばさ、スイミングスクールにあなたみたいに車が好きな子いなかったっけ?』
息子『ああいるよ。今ちょうど同じ級のやつなんだけど、そいつは小学校が違うからスイミングでしか会えないんだよな』
母『おっと。ちょうど踏み切りの遮断機が降りたから、何の電車が来るのか当てっこしよう。お母さんは特急だと思うな』
息子『えー!じゃあ俺は銀色のやつ!』
母『じゃあさ、今日はそのスイミングのお友だちに一週間ぶりに会えるね』
息子『あー。確かにね。あいつは、俺と同じでスポーツカー好きだからな。ブガッティとか知ってるし』
母『母ちゃんはスポーツカーは興味ないからなあ』
母、息子『きた!』電車通過
母『えー!特急じゃなかったー』
息子『まじか。えー。銀だと思ったけどなー。帰りも電車通らないかなー。』
母 ニヤニヤ
息子『もう!しょうがないなっ!今日はあいつとスポーツカーの話してくるよっ。あいつは俺よりもまだ知識無いかもしれないし』
母『それはわからないよー。その子はあなたとは違う方向性の車を知ってるかもしれないんだから』
息子『確かにね。俺はクラシックカーが好きだけど、あいつは違うかもしれないしな。とりあえずマクラーレンの話は前にしたからまた違うのも聞いてみるか』
母『そうそう。楽しみだねぇ。さっ、着いた着いた。いってらっしゃーい』
息子『はーい』
こんな会話を意図的にしていきます。これが、かんしゃくを無視すると言うことなのかもしれませんが、私の感覚では無視って、黙るとか何もしないと言うようなイメージだったので、私の中では、無視していると言うよりも息子の話している文脈を離れて、息子の好きな情報やストーリーを新たに始める。そんな感じです。
切り替えできない特性から、モルモットが回し車を走り続けるように、ずーっと下りれずにいたのを、自分の好きな情報やストーリーが出てきたことで、回し車からさっと降りて来れるのです。
これが分かってしまってからは、ものすごく楽になりました。
発達障害特性の百ゼロ思考は時に扱いが難しいと感じます。定型発達にある、ちょうどいいとか、まん中と言う事が、彼らには感じられ無いのです。
だから、こちらが一生懸命になってまん中を強制したり、これがちょうどいいのと教えたとしてもいつまでたってもそれは無意味な時間となってしまうことでしょう。
百ゼロ思考に乗っかるのです。
定型ならば、百~ゼロまでの中間をカウントする時間が必要で、中間をグラデーションで移行する癖がついています。
けれど、発達障害特性の百ゼロ思考と言うのは、一秒前まで百だったものが、今、急にゼロになってしまう。本人的にはそうではないのでしょうが、周りから見ているとそのように感じます。
ちょうどいいを教える事や、まん中をダウンロードするためには、まず、相手のやり方の文脈に入らなければこちらの話を聞いてくれません。相手が私の話を聞いてもいいよと言う状態になるまで整えてあげなくてはならないのです。
百ゼロ思考そのものは、全く悪いことではありません。特性は生かされて輝きます。ループすることを止められないこだわりや、切り替えできずに、もがいている状態から救うのは、彼らの中にある別の特性である百ゼロ思考なのです。
切り替わって落ち着いてからなら、真面目な話しでもちゃんと聞いてくれます。ループから抜け出せない苦しみから、解放するきっかけを作ってくれた人の話しなら聞く気になるものです。
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