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私は誰にどう思われたいのか

noteの更新が滞っておりましたが、元気でやっておりますボンボンです♫(о´∀`о)

何も書くことが無くなってしまいまして…何も書くことが無いのに無理やりひねり出すようにして書いた下書きがどうにも自分で嫌になってしまって迷走しておりましたwww

私という生き物の浅〜い感じに嫌気がさしまして(^_^;)だから自分の事がキライとかってわけでは無くて、むしろスキなんです。ただ、ちょっと自分に飽きたんですよ。で、しばらくお休みしてみたわけです。自分で自分のことを面白がりたい!それがボンボンという人物なのに、飽きちゃったら何も面白くないっていう。で、そんな自分に飽きちゃった私を楽しんでみようかにゃあなんて思ったので、こうしてまた書いております。


私は誰にどう思われたいのか

世間体というのはあまり気にした事は無い。いや、正確には気にした時期だってあるのだけど、多分、元来持って産まれた要素の中にそういう感覚が薄い上に、世間体を持ち出してこない親に育てられたから、世間体という言葉から遠い所に居る。それが災いすることも確かにあるのだけど、けっこう気に入っている。


結局の所、私は私に認められたい。
ただそれだけ。

誰かの為にを続けていくと、私は『のに』さんに捕まってしまう人だから。

『のに』さんは誰かって?

『あなたの為に〇〇したのに』
『みんなの為に良かれと思ったのに』
『私はあの時我慢したのに』

あぁ〜(;´д`)『のに』さんだけには捕まりたくない。

こじらせて、周りを巻き込んで、ネガティブキャンペーンをしながら蟻地獄を量産してしまう。

誰かに見せるための私を持とうとすると、私が潰れていく。だからやっぱり、私は私の為に生きて、私が私に認められるように生きられていれば、誰かにご迷惑をかける事を最小限にできるし、誰かをもしかしたら助けることができるかもしれない。

不思議なことは、大層なことをしたから私は私を認めるわけじゃないって事。何かすごい事をやったら私のことを私は認めると勘違いしていた時期があった。それは、単に誰かに認められる為の作戦だったみたい。誰かに認められる事を追いかければ追いかけるほど、私は私の事なんて認めないらしい。

私が私を飛び出して、身の丈を超えても世の中の為にはならないし、私の周りの人達や私と繋がってくれている人達を不幸に追いやってしまうかもしれない。

私の身の丈を超えたハッタリはできない。私の存在が危ぶまれてしまうから。

私が私の事をバカにできない。過小評価や自己嫌悪のその先に行き着く終着駅が、身の丈の駅なのか。たとえ途中下車したとしても、終点までたどり着ければ、身の丈はほんのわずかだけ成長していく。

だけど真面目にやりすぎるのもダメなようだ。どうやら、私は私を面白がっていられる状態が一番生き生きするらしい。

苦しい事とか辛い事とかがある時は、そこから脱出する事が一番で、それに向けてパワーを集中すればいいから、割と単純明快でやりやすい。けれど、一段落したり、安定したりした時の自分の保ち方というのはなかなか難問だった。

人生において、これほど一段落した事がこれまでに無かったのてすよ。ずっと何かに追われたり、突き動かされたり、ずっと焦っていたような節があって。それは一生懸命で輝いているのだろうけれど、本人的にはかなり重労働。だからなんとかしたくて様々な事をしてきた。そしたら本当に一段落しちゃったんです。こんな経験したことが無くて、あまりの凪状態に飽きてしまうという(^_^;)

燃え尽きたとかじゃないのです。無気力でも無いし。むしろ状態がいいことに戸惑っているのかもしれにゃい。



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