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家族の半分は発達障害

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発達障害者とその家族からみた世界や日常生活。学校の事、仕事の事、投薬の事、二次障害の事などをまとめています。
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2020年9月の記事一覧

続)インチュニブ ADHDのお薬やめました 1ヶ月半経過

現在、小4の次男、発達障害(ASD/ADHD) ADHDのお薬、インチュニブを飲まなくなって、正確に何日経ったのか…ちょっと分からないけど、確実に1ヶ月半は経っております。 と言うことで、インチュニブをやめてからの様子を残しておきたいと思います。 インチュニブを自ら飲まなくなっていったのは、夏休みに入ってから。これまでであれば、ある程度飲み忘れる事はあっても、自然な流れでお薬を飲んでおりましたが、夏休みに入ってからは本当に飲まなくなっていきました。夏休み中と言うこともあり

社交性 コミュニケーション能力 空気を読む

社交性 コミュニケーション能力 空気を読む ↑なんで同じ扱いにしたがるのかが、良くわからない。全部別物でしょ?あれ?誰も同じ扱いにしていない?なんだか、全部コミュ力みたいなことにして片付けてる気がする…。能力とスキルも違うでしょ? そして、それらができる、ある、方が良い。これも変なのと思っている。 社交性、社交的、社交の場これらが得意とか、そうした能力の高い人とかそういう場が好きな人の中には、空気を読まない、空気を読めない人はたくさんいらっしゃる。なんなら、そういう人ほ

私の挑戦

私が子育てを初めてからずっと挑戦してきたこと。それは、子どもたちの良さが何なのかを見つける事。 特に兄弟を育てることになってからは、違いがある二人に対して、それぞれの良さを常に見つけようと、できる限り発想が柔軟になるようにと思っている。しかしながらそれは非常に非常に難しい。 子どもたちは、それぞれにいろいろな特徴を持っている。その特徴をどのように捉えるのか次第で様々な事が起こる。良し悪しでは無くて本当に様々な事が起こる。その様々な事が起こる中で、下手をすると特徴を恨んだり

過去記事を振り返る 家族にうつ病患者が居たということ

嵐の中に居た感覚はあります。ただ、嵐だからそのうち去るとなぜかその時思ったんですよ。とても自然になぜかそう思っていました。 ぜーんぶ吹き飛ばされてめちゃくちゃになっても、災害大国の大和魂的な、淡々と粛々とガレキを片付ける姿みたいなことを想像していました。 実際の災害に比べれば、特にガレキは無いわけで、後は感情的なものをとっとと片付けるみたいな。こう言う言い方をすると、当事者の方には失礼なのかもしれませんが(・_・;)まあまあドライな私です。 わかり合えないし、どうするこ

きじとらリボンちゃん召喚【再掲載】

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑ 我が家にかわいいかわいいリボンちゃんがやって来たのは、夫がうつ病一年半目、息子が一学期の終わりに学校へ行けなくなってその後迎えた新学期、9月の連休を控えた頃の出来事。 『猫が飼いたい』 『猫と暮らしたい』 『ね~こ!ね~こ!』 毎日のように息子たちが私に言ってきました。確かに、うつ病の

夫、救急車で運ばれる 学校へ行けなくなった息子はその時

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑ 夫のうつ病は数年間続きました。今回は、まだ一年半目くらいの頃のお話し。 当事は、兄ちゃんが3年生、弟が1年生。弟は夏休み前に学校へ行けなくなり、そのまま突入した夏休みの初めの頃。発達障害の診断も下りていませんでしたし、まだ猫たちは我が家におりませんでした。引越し前に飼っていた猫が亡くなっ

うつ病の夫の話をどこまで聞くのか 私の取捨選択[再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑ 家族にうつ病患者がいたからといって、あまり私の生活に変化はなかった。いつも通り粛々と生活していたように思う。いろいろと気を付けて行動していたつもりではあるけれど、それはやはり、うつ病の相手のためにしたことではなくて、私のためにしたことばかり。 前回も書いたけれど、家族を守るためには私が元

家族の危機に私がとった行動 私は何を伝えたのか[再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。過去記事ですが、(ΦωΦ)猫写真は最新ですので、猫写真だけでも、お気軽にお楽しみください。 前回のお話はこちら↑ 『~のに』を生まないために、行動や言動に二つの縛りを作った。 ➀私が私に嘘をつかない ②私がしたくてすることは、自分勝手な善意の押し売りと認め、見返りを求めない 夫がうつの時、私は何を伝えたのか。 それは本当に、壊れたレコードプレーヤーのように、同じことを毎日毎日、繰り返し繰り返し伝え続けた。うつを抜けたであろう今

家族の危機に私がとった行動『のに』の生まれることろ [再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 前回のお話はこちら↑  『〇〇してあげたのに』 『我慢してたのに』 『〇〇だと思ったのに』 私は『のに』を恐ろしく思っている。 『のに』は私を支配する 『のに』は相手を支配する 私は『のに』に依存する 『のに』は恐い。私には、とても扱えない。 ひと度『のに』を発生させてしまったら、『のに』は猛威をふるい

夫はうつ、息子は不登校、その時私は [再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。 (ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。 今から6年ほど前。引っ越しをしました。新しい土地、新しい家、新しい人間関係、新しい学校、新しい通勤通学などなど、ありとあらゆるところ全てが様変りした年でした。 この大きな転機が、私たち家族を幸せにもしましたが、大きな転機は、心や身体に大きな影響をおよぼしました。 まず始めに現れたのは、次男が保育園に通える日と

私が決めている事

私が決めている事。 『私は幸せです』 と決めています。毎日意識するようなものでもありませんが、一度答えを決めてしまったので、後は自動的にいろいろな事柄に対応するようになっていきました。 人生には様々な事が起こります。何も起こらないなんて事はありえない。日々、大変な事の連続です。けれど、『私は幸せです』と答えを決めてしまうと、面白いもので脳はその答えの根拠を探し出します。本当に面白いぐらい、私の目に映る世界や感じる世界は、『私は幸せです』を証明するものになっていきました。

輝ける場所は人それぞれ 未来をつくる私のお仕事

どこでどう人生が輝くのか。それは分からないけれど、誰かの決めた輝きになる必要は無いし、誰かの決めた輝きが自分にピッタリだって事もやっぱりある。どの人もそれぞれにやり方があって、どの人もそれぞれの輝ける場所はあるものだろうと私は思う。 例えば、私は定型発達特有の視野を持っている。広角レンズという感じでぼんやりと全体を見渡すレンズだ。 一方、夫と次男はASD特有の顕微鏡のような、望遠鏡のような絞りの効いたレンズを持っている。 両者の見ている世界は、同じ物だとしても見え方も捉

子どもの正義感

発達障害児(ASD/ADHD)次男、小4は、なかなかの正義感の持ち主。そこら辺は、発達障害の特性でもあると思う。ルールを重んじるASD、自閉症スペクトラムの要素だろう。 正義感というのは、とてもパワーが強いもの。100⇄0思考も相まって、善か悪かという事に強烈にフォーカスしてしまうような所がある。それは、とても立派で、様々な問題に気が付くことができるという長所にもなるし、清濁併せ持つものの見かたが難しく、生きづらさをかかえてしまう短所にもなりうる。 どの人もみな、その人の

そうだ。結婚の話をしよう。

私がどうして夫を選んだのか?と聞かれたら、『この人なら』 と思ったとしか言いようがないけど、それじゃあつまらないから、変態の頭の中をちょっと書いてみようと思います。 変態のする事ですので、よい子や我が子にマネさせては、いけませんよ〜(=^・^=) 私は商売屋の娘でして、私も少々商売かじってましたのでね、サラリーマンと一緒になるつもりは、はなから無かったんです。 私は商売にはあんまり向いてない人なのですが、彼は商売にはとっても向いてると思ったんですよ。今思えば、それは発達