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【ただ、生きものとして在りたい。】

僕の人生の目的は、
『ただ、生きものとして在りたい。』
そんなことに気づかせてくれた大切な1ヶ月間。
ぜひ最後まで、お付き合いくださいね!

改めて、こんにちは!
#バリスタくん  ことKAIです☕️🍷🌊
本日から6月!過ごしやすい季節で、気持ちが良いですね〜!

さて、最近はもっぱらインスタ中心にSNSの発信をぱったりとしていなかったのですが、4月末に(電撃w)退社してから今までの1ヶ月をどんなことを考え過ごしていたのか、整理がついてきたので久しぶりに書いていきたいなと思います。


29歳、無職の1ヶ月

2024年4月末に退社してからは、特に次は決めていなかったので一旦無職に!!笑
この年齢で、次も決まっていない中で無職になるのはリスキー?な感じがしますが、結果的には人生の中でも記憶に残るであろう1ヶ月になりました。

社会人として一番の時間を占める仕事がなくなったので、全て自己責任でゼロから自分の人生について再考する時間を過ごせました。

その中で個人的に決めていたことは、
尊敬する人にできる限り多く会いにいく
②めっちゃ読書する
③めっちゃ自己を考える時間をつくる
④めっちゃ楽しむ

①は自分の力だけではどうしようもないですが、有難いことに沢山の方が時間をつくってくれ会うことができました。そこの中でのお話やエピソードでは学ぶことが沢山あり、それについて考えて、、、
またそこで紹介していただいた本を読んで、考えて、、、
そんな感じです。
このサイクルが、結果的に④めっちゃ楽しむ、に繋がっていてまるで人生のご褒美のような時間でした。

生きているもの、死んでいるもの

"死んでいるもの"という言葉はインパクトがあるので、あえて目次で使わさせていただきました。
"生きているもの"とは何なのか?

そもそも”生きもの"とは何なのか?

いきなりですが、
僕がこの1ヶ月で最も影響を受けた本をあげるならば。

興味深かったので、今後もこの本の内容をnoteで発信していきたいなと思います。

泉谷閑示さんは、精神科医であり精神療法を主にされている方です。
興味がある方は、リンク貼っておきますね。

この本の章の中で、
「生きているもの、死んでいるもの」について記載されている事柄をいくつか抜粋してみます。

人に出会った時に、
「この人は、生きたエネルギーに満ちているな」と感じることもあるし
そうでないなと感じることもある。
直感とか第六感と言っても良いでしょうが、
そういう判断が瞬時にできる力を
私たちは皆持っています。
それは人間についてのみ分かるだけではなく、
例えば食べ物でも感じ取ることができます。
栄養分析ではほとんど一緒でも、
機械的に電子レンジでチンして出てくるものと
誰かが心を込めてつくったものの違い。
確かに何かが違う
そういう違いについて、
「生きているもの」「死んでいるもの」という呼び方で
区別してみたいと思う。

※一部文章変更、省略してます

「「普通がいい」という病」泉谷閑示

生きるとはこの世でもっとも稀なことである、
大抵の人間は存在しているにすぎない。

『オスカー・ワイルド全集』第3巻「箴言」より

この本の根幹になってくるのですが、泉谷閑示さんはこの本の中で、
心と身体(自然)
・頭

を分かりやすくと書き分けてくれています。
抜粋した上記の内容はまさに、
"頭だけにコントロールされずに、心と身体の声を聞く能力を磨いていくこと"、と僕は受け取っています。

十分に下準備をした上での、即興を大切にする』ということですね。

そしてさらに深掘ります。

メメント・モリ  (= 「死を想え」、「死を忘れるな」 )

メメント・モリ。
僕はこの本で初めて耳にしましたが、ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」という言葉です。
死というものを隣に置いてみてはじめて、今の自分の生き方が本物なのか偽物なのかが照らし返され、明らかになる。
だから、
よく生きるためにいつも死を忘れてはならないという古くからの警句だそうです。

10,000年も生き永らえるであろう者のように振る舞うな。
死の運命は既に迫っている。

古代ローマ 哲人皇帝マルクス・アウレリウス「自省録」第4巻 一七より

死は我々と不可分な関係にある。
それは外にあるのではない。死は我々自身なのである。
生きることは死ぬことである。
※中略
生きることは前進すること
未知なものに向かって進むことであり
この前進は我々に出合うためになされるのである。
※中略
我々は生きることによって死に、
生きながら死ぬ。

詩人 オクタビオ・パス「弓と竪琴」

死ぬ死ぬ言っていると心配されてしまいそうですが笑笑

僕は、この人生という旅路で本当の自分自身に出合うために生きたい。
そう感じさせてくれた内容がメメント・モリでした。

※コヴィー先生『7つの習慣』の「終わりを思い描くことから始める」ですね!

ただ、生きものとして在りたい

様々本の内容を抜粋してきましたが、僕の行き着いた先は「〜にやりたい」「〜成し遂げたい」などが最初ではなく、
"まず僕自身がどう在りたいか"が大切なことに改めて気づかされました。
その人生の目的に向かっていく手段として、「〜やりたい」「〜成し遂げたい」がある。
今までの人生の中でも大切にしていた、至極シンプルで大切な人生の指針に改めて触れられたのでした!

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生きることは未知なものに向かって前進することであり、
この前進は本当の自分に出合うための旅路である。
確かに何かが違う、
そんな生きたエネルギーに満ち溢れていよう。
『ただ、生きものとして在りたい。』

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おわりに

ここまで読んでくださった方、
お付き合いありがとうございました!!

この本、間違いなく今年の個人的ベスト3に入る本!時間なんて忘れて読みいっちゃいました。

その中で睡眠について面白い章があったのでご紹介しますね。

慢性的な不眠とは、
「今日という1日を生きた手応えがない」という
未練があることを示している。

「「普通がいい」という病」泉谷閑示

ほぉ、面白い切り口!!!
ちなみに僕は不眠で悩んだことないっす!笑
良い感じってことかな?www

この章も他の章もかなり興味深いので、是非読んでみてください。

ではまた!!


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