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タタールスタン大統領との思い出

はじめに

タタールスタン共和国は現在、ロシアの共和国の中で唯一、トップの呼称がпрезидент「大統領」です。しかし、それも今年の秋まで。「大統領」の呼称は廃止され、他の共和国と同じく глава「首長」に変更を余儀なくされます。

ソ連崩壊後、ロシア連邦内の民族共和国はトップの呼称が「大統領」でした。しかし、プーチンに忠実であることで有名なチェチェン共和国のカディロフ大統領(当時)が2010年、「国に大統領は一人だけ」と主張し、呼称を「首長」に変更。他の共和国もこれに続きました。

タタールスタンだけが「大統領」の呼称を保持しようと努めていましたが、昨年末にそれを不可能にする連邦法が承認され、とどめを刺された形です。タタールスタンは90年代に独立をちらつかせながら多くの権利を獲得しましたが、中央集権化を進めるプーチン政権によって、じわじわとその権利を奪われつつあります。

プーチン政権時代に、タタール語のラテン文字化は阻止され、タタールスタンで必修科目だったタタール語は選択科目にされてしまいました。プーチンがいる限り、非ロシア系諸民族の発展は難しいかもしれません。

政治は専門ではないのでこれくらいにしておきます。前置きが長くなりましたが、この記事ではタタールスタンの現職大統領ルスタム・ミンニハノフ氏との思い出を振り返りたいと思います。筆者は今までミンニハノフ大統領と4回(対面で3回、オンラインで1回)会って、タタール語で会話したことがあります。

1回目:大統領の東京ジャーミィ訪問(2014年3月)

最初の出会いは、2014年3月に大統領が在日タタール人と会うために代々木の東京ジャーミィを訪問した時のこと。なぜ東京ジャーミィかというと、このモスクはもともと、戦前日本に暮らしていたタタール移民らによって建てられたものだからです。当時、代々木からほど近い下北沢に住んでいた筆者は、スーツを着て、歩いてジャーミィに向かいました。当時の様子は、以下の記事が報じています。この記事の中にある動画は、筆者が撮って送ったものです。

ちなみに筆者はこの時、あの「タタ村さん」と初めて会いました。筆者と同じくタタール語を研究するタタ村さんとは、この時から長い付き合いですが、会ったきっかけはミンニハノフ大統領だったというわけです。

タタ村さんが大統領にお願いしてツーショット写真を撮っているのを見て、私もお願いしたところ、快く応じてくださいました。Бергә фотога төшергә ярыймы?「一緒に写真に写っていいですか?」と聞いたように記憶しています。

2回目:第2回国際タタール語オリンピック表彰式(2014年4月)

次に大統領と会ったのはその1ヶ月半後。タタールスタンの首都カザンで行われた第2回国際タタール語オリンピックの表彰式でした。グランプリを受賞した筆者は壇上に呼ばれ、ミンニハノフ大統領から直々に賞状を手渡されました。その後、マイクの前に立つように促され、Ярар.「わかりました」と答えたような気がします(たぶん)。閉会式の写真は、以下のタタールスタン政府公式サイトに載っています。

壇上での優勝者スピーチで筆者は、支えてくれた人たちへの感謝を述べました。紙を見ながらの拙いスピーチでしたが、後で他の参加者から聞いた話によると、大統領は私のスピーチを感心した様子で聞いてくださっていたようで、それを知った時に嬉しかったのを覚えています。

3回目:大統領のカザン大学訪問(2014年9月)

3回目はそのさらに4ヶ月ほど後、筆者がタタール語オリンピックで大統領から受け取った「カザン大学タタール語学科への学費免除入学権」を使ってカザン留学を開始した2014年9月に、大統領がカザン大学を訪問した時のことです。その時の様子は、以下のカザン大学公式ページで報じられています。

大統領が来るということで、私も来て大統領にお礼を言うようにと先生に呼び出されたんだったと思います。Бик зур рәхмәт, шундый мөмкинлек биргәнегез өчен.「このような機会を与えてくださり、ありがとうございます」と言ったように記憶しています。大統領は私を覚えていなさそうでしたが、お礼を言うことができて良かったです。

4回目:2021年大統領年末記者会見(2021年12月)

4回目は、最後に会ってから7年がたった昨年末、カザン・クレムリンで行われた大統領の年末記者会見でした。なぜか突然、大統領府の職員からSNSに「大統領の年末記者会見で質問したいことはありますか?」というメッセージが来て、オンラインで参加することになったのです。

せっかくの機会を頂いたので、事前に在日タタールスタン通商代表とも打合せを行い、質問を考えました。質問内容(タタール語)は以下の通りです。

Хәерле көн, Рөстәм Нургалиевич.
こんにちは、ミンニハノフ大統領。

Сезнең тырышлыгыгыз белән, Татарстан белән Япония арасындагы мөнәсәбәт ныгый бара. 3 ел элек Токиода Татарстан сәүдә вәкиллеге ачылды. Шуңа без бик рәхмәтле.
大統領の尽力によって、タタールスタンと日本の関係は緊密になっています。3年前には東京にタタールスタン通商代表部ができました。このことに私たちはとても感謝しています。

Бу елларда, бездә татар теле һәм мәдәнияте белән кызыксынучылар арта бара. Мәдәният өлкәсендәге багланышларны да көчәйтү өчен, Япониядә татар мәдәният оешмасын булдыру турында уйлыйбыз.
近年、日本ではタタール語やタタール文化に興味を持つ人たちが増えています。文化面での関係も強化するため、私たちは日本にタタール文化団体を設立することについて考えています。

Сез Татарстан белән Япония арасындагы мөнәсәбәтнең перспективасы турында ничек уйлыйсыз? 
大統領はタタールスタンと日本の関係の展望についてどうお考えですか?

Рәхмәт.
ありがとうございます。

実は以前から在日タタールスタン通商代表と、日本にタタール文化センターのようなものを作れるといいね、という話をしていました。なので、それに対する大統領の考えを聞いてみたいと思っていました。

私の質問の順番は、一番最後でした。時間がなさそうだったので、やや早口で手短にまとめました。大統領は、日本でのタタール文化団体の設立を支持してくださいました。この質問に対する大統領の回答について、詳しくは以下の記事にまとめてあります。

オンラインでしたが、大統領と一番長くやり取りする機会でした。会見に招待してくださった職員の方と、明るく前向きな回答をしてくださった大統領に、改めて感謝申し上げたいと思います。

残念ながら、その2ヶ月後に始まったロシアのウクライナ侵攻によって日露関係は悪化。せっかく大統領から支持を頂いたにも関わらず、在日タタールスタン通商代表と協力してのタタール語・タタール文化広報活動は、短期的には実現困難となってしまいました。個人・民間でできることは続けつつも、いつの日かまた官民連携での文化交流ができる日が来ることを願っています。

おわりに

今年の秋までにタタールスタンで31年続いた「大統領」の呼称が廃止され、「首長」に変更されるというニュースが出たのをきっかけに、現職タタールスタン大統領ミンニハノフ氏との思い出を振り返ってみました。呼称が変わってもタタールスタンのトップであることに変わりはないので、任期は残り少ないと思いますが、今後の活躍に期待したいです。

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