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言語にも落ちる戦争の影:「味方」と「敵」に分けられる借用語

こんにちは。チュヴァシ語も研究するタタール語講師の boltwatts です。私は、「イデル=ウラル通信」というブログで、ロシア中部・沿ヴォルガ地域のメディアの記事を日本語に翻訳し掲載しています。

訳者の視点から」コーナーでは、訳した記事に対する私自身の考えや、原語の面白い表現などを紹介しています。

今回紹介する記事はこちらです。

記事の要約

バシキール人作家が、バシキール語に入り込んだ借用語について意見を述べています。「祖国」ロシアの言語であるロシア語から入った借用語については、「どうにかしようとするのは時間の無駄」、「ロシアに住んでいるのなら仕方ない」、「知識人も使っている」などと述べ、容認する姿勢を見せています。一方で、「敵国」の言語である英語やドイツ語などから入った借用語については、「よその、耳になじまない単語」であるとし、それらを使うことは「自分たちの言語を汚すこと」である、などと述べ、「敵性語」とばかりに排除する姿勢を見せています。筆者は、それらの借用語の代わりになるバシキール語の単語はあるとし、それらを使うように呼び掛けています。

訳者の感想

戦争になると、どうしても「敵性語」のような主張が出てきてしまうのでしょう。しかし、外国語からの借用語を使わないようにするのは不可能です。筆者もコラムで、цензура「検閲」(<ラテン語)、экран「画面」(<フランス語)、концерт「コンサート」(<イタリア語)、 канал「チャンネル」(<ラテン語)、аудитория「聴衆」(<ラテン語)、руль「ハンドル」(<オランダ語)、журнал「雑誌」(<フランス語)といった借用語を使っています。筆者は、これらが外国語からの借用語であるということを知らなかったのでしょう。外国語からの借用語は基本的に、いったんロシア語を経由して(発音がロシア語化されてから)、バシキール語に入ります。なので、おそらく自身が使い慣れたものに関しては、「味方」のロシア語からの借用語だと思っているのでしょう。仮に筆者がこれらの借用語が外国語からのものだと知っていたとしても、これらをバシキール語の単語に置き換えるのは不可能です。言語に政治を持ち込み、借用語を「味方」と「敵」に分けて、言語からの排除を呼びかけるのは、愚かというほかありません。

(トップ画像の出典:http://kiskeufa.ru/index.php?dn=news&to=art&id=5438)

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