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能動文なのに受身を表わす?

こんにちは。タタール語やチュヴァシ語を研究している boltwatts です。今回は、新コーナー「研究紹介」の第一弾ということで、チュヴァシ語の「能動文なのに受身を表わすっぽい文」を見ていきたいと思います。

これについては、先月末の2021年度ユーラシア言語コンソーシアム (CSEL) 年次総会で発表しました。以下のリンクから発表題目をご覧いただけます。

毎年3月末に京都で開催されるこの総会、一人当たり発表12分・質疑3分で、一気に30人ほどが発表するという、なかなかすごい会です。

発表で取り上げた、「能動文なのに受身を表わすっぽい文」は、例えば以下のようなニュースの見出しです(あまりいい例ではありませんが…)。

Арҫын виллине тупнӑ.
Arśïn villi-ne tup-nä.
男の死体-を 発見する-(完了)
「男の死体が発見された(直訳:男の死体を発見した)」

「AがBをVする」という能動文が受身文になると、「(Aによって)BがVされる」となります。つまり、能動文の主語Aは主語ではなくなり(なくてもよくなり)、能動文の目的語Bが受身文では主語になり(Bを>Bが)、動詞Vは受身形になります(Vする>Vされる)。

ここで上の文を見ると、直訳は「男の死体を発見した」(BをVした)となっています。「男の死体」は目的語のままで主語にはなっていませんし、動詞「発見した」も受身形「発見された」になっていません。なので、上の文は能動文です。しかし、日本語に訳すときは受身文「男の死体が発見された」(BはVされた)で訳すと一番しっくりきます。なぜでしょうか?

それは、上のような文では、「誰が」発見したかが表されていないからです。重要な情報は、「何が」発見されたかです。この点で、上のような文は受身文に似ているといえます。

チュヴァシ語には「BがVされる」という受身文もありますが、受身形にできる動詞が限られているからか、「BをVした」のような主語なし能動文がよく使われます。同じテュルク系のトルコ語は、色々な動詞を受身形にできて、受身文が日本語に比べてもたくさん使われるので、かなり違いますね。

ところで、「イデル=ウラル通信」で最近訳した記事で、この「能動文なのに受身を表わすっぽい文」だらけの記事がありました。発表したばっかりだったので、ちょっと驚きました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。これからもたまに、自分のやっている研究をかみ砕いて紹介してみようと思います。ではまた。

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