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私がライブに行くときの話


以前のnoteで少し話題に出した「とあるバンド」というのは「あらいやかしこ」というバンドのことだ。
初音ミクで楽曲を作っている「梨本うい」さんという人が組んでいるバンドで、自身が作詞作曲したものを歌っている。
初音ミクが歌っているもので有名なものは「ペテン師が笑う頃に」や「死にたがり」が上げられる。
どちらも少々過激な歌詞なので、心が元気な時に聞いて欲しいと思う。
 
この「あらいやかしこ」というバンドを追っかけ続けて早11年近くになる。
病気になる少し前からライブに行くようになった。
そこで出会った数人とは、今でもネット上やライブに行った時お話する程度の交流関係を維持している。
私にとってライブはファンであるバンドも目当てだが、終わった後友人と語り合う時間もとてもかけがえのないものだと思っている。
 
車椅子になった今、ライブに行くことは以前ほど簡単ではなくなった。
まず頭を悩ませるのはライブハウスというのは大抵地下にあり、階段を登り降りしないといけないということだ。
更にやっかいなのが大抵のライブハウスの階段は狭い通路でできており、記憶の中では手すりがなかった気がしていた。
そのため、都内のライブハウスはなかなか行けないと足踏みするようになってしまった。
 
次に心配していたのは、私のような人がライブに行っていてどんな目で見られるかというところだ。
インディーズバンドが利用するライブハウスはキャパシティが50~100くらいの場所で、限られたスペースを皆が譲り合ってお互い気持ちよくライブを観覧できるように気遣っている。
そんな中、車椅子という結構な幅を取る自分が入って良いのか、という不安があった。
コロナのお陰でライブも多少毛色が変わった。
お互い押しくら饅頭のように押し合う「モッシュ」と呼ばれるものや、客席に向かって飛び込む「ダイブ」というような人と人がもみくちゃになるような激しい動きは今のところ私が行くライブでは見られなくなった。
そのため、私が立ち位置にさえ気をつければ大きな事故は起こらないような状態になったのは有り難いと思う。
 
退院後初めて行ったのは兵庫県にある「尼崎tora」というライブハウスで行われたものだった。
なぜここを選んだのかと言うと、ライブハウスのオーナーがあらいやかしこのドラマーさんで多少気心がしれているのと、ライブハウスが地上にあるので出入りがしやすそうだと思ったからだ。
 
行く前にきちんと問い合わせとすり合わせを行い、車椅子で行っても大丈夫だというお返事をいただきとても安心したのを強く覚えている。
当日は、とても楽しかった。
バンドリーダーの梨本ういさんがコロナ禍のオンラインライブで「また、会えますから」と言っていたのを励みにリハビリを頑張ってきていたのでその旨を伝えることができた。
それだけで胸が一杯になった。
 
その一歩を踏み出したのをきっかけに、今まで年に1回くらいのペースでライブに通うことができている。
サポートをしてくれる友人には感謝をしてもし足りないくらいだ。
沢山の人に助けてもらって、私はライブを見ることができている。
その有り難さを忘れないように、これからもファン活動を続けていきたい。




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