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ぼくとまりあが分離してみてよかったこと


いちばんいけなかったのは、「一人の中に二人の人間がいること」に向き合おうとしなかったこと

武德です。
去年の今頃は、「一人の人間の中にふたり別々の人間がいるのはおかしいこと」だと思っていたので、自分の中で起きていることを人に話すことはほとんどありませんでした。

しかし近年、解離性人格障害に関する情報をYoutubeで発信する人が増えてきました。
漫画家のうういずみ(ペガサスハイド)さんがYoutubeで解離性人格障害に関するエピソードを公開されているのを見つけて、自分とまったく同じことが起きているというのを知りました。これには衝撃を受け、一度自分に何が起きていたのかを整理したほうがいいなと思うようになりました。

ふたりの役割分担

私の場合、生まれつきの性別が原因で、体の方の性別の女の子の自分、本来の性別の男の方の自分がいるので、ストレスから別の人格を生み出してしまう解離性人格障害とは少し背景が異なります。
生まれてからずっと二人がいる。そして、「二人の人間が自分の担当を交代することにより、一人の人間を演じてきた」。そんな状態でした。

内側を担当する武德

今の私です。勉強をするのも仕事もするのもほぼ私であり、茉莉ではなく私のほうがブレインなんだという自覚があります。
私は自分の能力には満足しています。でも、男性の肉体を持たないため、やや自我が不安定だと感じています。
その結果、仕事関係はできるけども、自分のことにはいい加減で、対人関係がおろそかになりがちでした。

外側を担当する茉莉

女性として振る舞ってくれるもう一人の私です。
肉体を持たない男の方の私は、仕事や探究心以外に生きがいを持つことが難しいのですが、肉体がある茉莉は行動範囲が広いためか、自分の人生に生きがいを持っていて、ポジティブです。
その代わり、全くといっていいほど仕事はしません。生産する側ではなく、あくまで消費する担当です。

役割分担をしたことでよかったこと

仕事関係は私だけで十分

まずは、仕事関係。
茉莉は出てこなくていいからねという線引をしました。
その結果、仕事をやりたくないという気持ちで仕事に向かうことがなくなり、生産性が向上しました。

私は遊ばないし、遊ぶのは別の人間に任せる。

私は仕事や諸問題の対処しかしません。それ以外のときは出てこないで眠っているねということにしました。
結果的に、私が悩む時間が減りました。私には、プライベートでの生きがいがあまりないので、いざ、遊んでいいと言われても何をしようかと悩んでしまうのです。
茉莉の方に遊んでもらえるのが一番よくて、その間に私はしっかり休養をとり、仕事に備えていようと考えることができました。

面接はどっちが担当するのか?問題

3年くらい前までは、求職時の面接の場で性別不合のことを偏見を持たれず説明するのが困難だったため、何も話さないで体の方の性別で押し切ってしまおうという方針でした。
しかし、茉莉は自分が仕事をしている訳ではないので、面接の場でうまく自己PRができません。私としても、「私がやった仕事なのに、自分が出てきて自分の言葉で話せない」というが非常に歯痒かったです。

今は、基本的には正直に事情を話し、武德のほうが面接を担当することにしました。
また、必ずしも茉莉で面接対応をすると失敗をするというわけではなく、私ではなく茉莉だからうまくいったということもあります。
使い分けができるなら最強なのですが、一番は、面接が仕事の話で盛り上がって、このこと言うの忘れている状態ですね。

ちゃんと向き合ってよかった

「やりづらいことをやりづらいまま放置する」のがいちばんよくなかったのだと思います。特段、難しいことをしているわけでもなく、二人体制、本当にやりやすい。

先日、記事でも取り上げた、結合双生児のロリとジョージですが、分離手術をすることはできるけども、二人が一緒のほうが生きやすいからこのままという選択をしたというのをインタビュー動画で知りました。

二人が力を併せたほうが生きやすいというケースもあるし、他人がそうは思えないことがあっても、当人たちはこれが一番やりやすいんだなと思います。

これを書いたので、もう私は今日は出てきません。
あとは茉莉が楽しく過ごしてくれると思います。それではまた。

28歳の時「ゴメン、本当の性別女じゃなくて男だった」を食らった性別不合の当事者です。日常的に男女の性別使い分けを強いられそのまま根付いてしまった奇妙な人生。サポートや紹介していただけるメディアさんも募集しています。