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まりあがいなくなってからのこと

出てくる機会が減っただけで「いなくなった」と言っては語弊がありますが、今では女の子の方の私はほとんど出てこないです。
今日は出てこなくなってから感じたことをまとめていこうと思います。

自分の記憶が途切れない

去年くらいまでは、女の子の私(まりあ)に切り替わっている間、自分(武德)の記憶は薄くなってしまうので、どうしても記憶が途切れ途切れになってしまう感じがありました。

例えば、
男性の方の私でやりたいこと(プラモデルとか創作とか)がある

まりあでてくると中断

再び男の方に戻ってもやりたかったことが何なのか忘れてしまう
といった具合です。

でも最近は、女の子の私の登場頻度が減って、自分のやりたいことを邪魔されていない感じはがすごくします。

同時に「記憶飛び」が起きていたメカニズムを理解できるようになりました。
私は、性別不合で身体は女性で生まれて来ましたが、本来の性別は男性です。男性の自分として生きるのが正しい状態なのに、身体が女性のため女性として生きようとしてしまったため、常に「男性の方の自分が途切れ途切れ」になってしまうのです。

また、体内のホルモンバランスが男性ホルモン優勢で続いていた時期は、記憶が途切れなかったし、自分のやりたいことに集中して取り組めていました。
やっぱり「女性の自分がいない状態が本来の状態なんだな」と強く感じたました。
結局、男女ふたつの性別を交代交代で生きようとすると、どちらかのやりたいことが中断してしまうので、あまり効率的ではない・・・・ということです。

子供時代はふたり一緒にいる時間が多かった

これまで生きていて、体内の性ホルモンなどの影響を受け、時期によって男性の自分しかいなかったり、女性の自分しかいなかったりということはありました。

でも第二次性徴が起こる前の子供時代は、今の自分は男・女どっち?という境目が非常に曖昧で、ふたりが一緒にいるような感覚が強かったです。

昔、子供時代に「ちいさなペットやさん」というおもちゃがありました。
このおもちゃ、非常に良くできていてあまりにも可愛らしかったため中毒のようにハマってしまった記憶があります(笑)

今思い返せば、男の私、女の子の私ふたりともミニチュアなどの小さいものが大好きだったのです。
この「ちいさなペットやさん」は、男の子のおもちゃでも女の子のおもちゃでもなく、男女両方が楽しめるという、わたしたち二人にとってはピッタリのおもちゃだったのだと思いました。

ちいさなペットやさん
(Google画像検索より)

※余談ですが、男の方の私は仮面ライダー変身セットのような遊びにはまったく興味はなかったです。合体ロボットや、ウルトラマン人形の造形の方に興味を惹かれていました。

男女の私たちのふたりが楽しめるものを探してみたい

冒頭にもありますよう、最近はまりあが出てこなくなっため、自分のやりたいことが素直に出やすくなりました。
久々にプラモデルをやりたくなり、近所の模型屋でクルマの模型を買ってきました。

クルマのプラモデルやっているときは男性の私しか出てきません。
女の子のまりあがクルマについて興味をもって言及するということはありませんし、女の方の私には、クルマの何がよいのかが分からないのです。

A.男の私にしか分からないもの

  • プロレス、格闘漫画、男気の強いもの

  • 幽霊、妖怪、オカルト

  • 自動車、バイク

B.ふたりとも分かるもの(中間点)

  • アニメ・漫画(ジャンル問わず)

  • ミニチュア

  • 動物

  • 旅客機(鉄道、飛行機など)

  • ミニチュア模型

  • 人形・お裁縫(子供の時ジェニー人形で遊んでいたのは女の子の私ですが、ジェニーの服作りに精を出していたのは男の私でした…笑)

C.女の私にしか分からないもの

  • 少女漫画(男性との恋愛)

  • リゾートホテル

  • 女性ものの服、美容

クルマの模型ではなく建物の模型のときは、女の子の私も興味を持っているため、前に出てくるような感覚があります。
ちいさなペットやさんの件を思い出してから、男の私が一人でクルマの模型を作っていてもいいですが、どうせなら女の子の私も一緒に楽しめるものを作ったほうがいいんじゃないかな?と思いました。
建物や家の模型作りはとてもおもしろいです。だって、自分が想像した素敵な家を、自分の思い通りに創ることができるのです。
まとまめすと、一人より、二人同時に楽しめるものの方がワクワクが大きいのは毎違いないかなと思います。

今年に入って、男女ふたりの「分離」が進んでからはやりやすくなった

自分の中に男女二人の自分がいると理解していながらも、明確に別々の人間であると分離させなかったのは、世の中の目を気にしていたからというのが大きいです。
ひとりの人間の中に、ふたりの人間がいるというのは、普通の人からしかたらあり得ないことだし、なかなか信じてはもらえないのです。

ただ、性別不合が起因で、自分の中で男女二人の人格が存在するというケースは珍しくなく、信頼している専門家の先生からは「別におかしなことではない」と言われてから、無理に1つの人間として成立させようとするのはやめました。

それまでは、「自分は一人の人間だけど、時期によって性別が変わる」というのが自分の中での理解でしたが、そうではなく、「二人の別々の人間が、一人つの身体を共有しているような状態」という認識になりました。
男女二人の自分の性格があまりにも違いすぎるため、一人の人間に統合することに無理があるからです。

ずっと出していないと、自分のことを忘れてしまうという弊害もある

分離してからはとても快適です。
どっちかが出ているときはもうひとりは休眠モードとなり、ほとんど表には出てこなくなりますが、もう一人の自分に干渉されず、自分のアイデンティティを保ったまま休眠しているので、無理がありません。
お互いがお互いの邪魔をせず、快適に生きられるようになったなと思いました。

しかし女の子の方の私が全く出てこなくなってしまうと、「自分で自分のことを忘れてしまう」という困ったことが起きます。
(過去、私が自分が性別不合であると気づかず女性として無理に生きて時期は、本来の方の性別である男の私がどのような人間だったか自分で忘れてしまい、思い出すまでに5年以上かかってしまったということがありました)
なので、適度に女の子の私も表に出してやり、「自分を忘れさせない」ことは重要な気がします。

自分の中で説明が難しいようなことが起きているのは、とても興味深く面白いけど、性別不合をコントロールするのはとても大変だと思います。
あまり面倒だと感じず、楽しく生きていきたいです。

28歳の時「ゴメン、本当の性別女じゃなくて男だった」を食らった性別不合の当事者です。日常的に男女の性別使い分けを強いられそのまま根付いてしまった奇妙な人生。サポートや紹介していただけるメディアさんも募集しています。