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ロマ人について #19歳僕のギリシャ2ヶ月放浪記7

前々回の記事からロマ人について記載しているため、ロマ人の詳細について補足する記事を書こうと思う。続く記事では、実際にアテネにあるロマ人自立支援NGOで1カ月インターンした経験について述べていきたいと思う。

ロマ人?

まずロマ人とは誰なのか、という問いに対して引用も交えながら説明していきたい。ロマ人の起源としては諸説あるが、5世紀あたりに北西インドを起点として移動を繰り返していた民族である説が有力である、しかし、その説に反対する学者も多く、正確な起源については研究結果が乏しい。ただロマ人の祖先と思しき「浅黒い肌の」「異教の」民が15世紀初頭に東西ヨーロッパ諸地域に現れた点に関しては、おおむね見解は一致している*¹。

現在はヨーロッパ(東欧)を中心とした世界各地に1,000ー1,500万人程が暮らしおり、国を持たない民族としても知られている。ロマ人の人口数が曖昧な理由として、呼称の違いが理由の一つとして考えられる。例えば、東欧では「ロマ」、ドイツでは「シンティ」、フランスでは「マヌーシュ」、スペインでは「ヒターノ」といった呼ばれ方がされており、移動を好む民族であったため、定住した地によって呼称が異なっている*¹。過去には「ジプシー」という名で認知されていたが、浅黒い肌を見た当時の人がエジプトから来た人(エジプシャン)と勘違いして呼び始め、その音が濁りジプシーになった説があるため現在は差別用語として認識されている。本記事では彼らの総称として認知されている「ロマ人」に統一して進めていきたい。

ヨーロッパに住んだこともしくは行ったことがある方はわかると思うが、基本的にロマ人は白人系ヨーロッパ人とは異なる肌の色をしているため、簡単に見つけることができる。特にロマ人女性はカラフルで長い特徴的なスカートを履いている方が多く、ヨーロッパの街を歩いているとよくすれ違う。

ロマ人に対する印象

ヨーロッパではロマ人に対してネガティブな感情を抱いている方も少なくはない。その理由としては、歴史的に居住地の移動を繰り返す生活様式であったロマ人がシンプルに好まれていない(今は定住しているロマ人がほとんど)、就学率や識字率が低く定職に就く数が少ない、女性が13歳ほどから結婚・出産(子沢山)をする文化が許容されていないなどを背景に貧困に苦しむロマ人家庭が多く、スリなどの犯罪に走り、ローカル人に嫌われている話をよく耳にした。

道端で物乞いをするロマ人

ロマ人の文化としては音楽が有名であり、ヨーロッパ各国のクラシック音楽やスペインのフラメンコ音楽に影響を与えたと言われているほどロマ音楽は人気がある。実際に僕もギリシャの地下鉄に乗っている際や街角でアコーディオンを弾きながら物乞いするロマ人を多く見かけた。

僕がロマ人について知ったきっかけは、有名な映画監督であるチャップリンの自叙伝を読んだ時だった。本の名前を忘れてしまったが、チャップリンの祖父母のどちらかがロマ人であり、それを誇りに思っていると発言していたことをきっかけに知ることとなった。その後、運よくロマ人に関する大学の講義に巡り合ったこともあり、ロマ人についてより興味を持ち、ギリシャでインターンをすることに決めた。

インターンの記事の前に、世界であまり知られていないロマ人の近代史、特にホロコーストにおけるロマ人史について次の記事で述べたい。実は、僕もポーランドのクラクフ近郊にあるアウシュヴィッツ強制収容所に訪れるまで知らなかった史実である。

つづく。

*¹ 左地 亮子「ホロコーストを想起する ――ロマ・ディアスポラ 共同体の新たな想像をめぐる考察――」2022年、東洋大学社会学部紀要

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