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自由な生き方ってなに?

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「自由ってなんですか?」とか「自由に生きる為にはどうすればいいか?」みたいな質問をよくされるけど、一言で答えれるほど簡単なものじゃ無い笑

いつの時代にも人類の大きなテーマの中には"自由"があって、先人たちは死に物狂いでこの自由を得るために命をかけてきました。

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※この映画おすすめです

「どこで何をしようが、ぼくの自由」
「私は誰にも縛られずに生きていく」

言葉だけが一人歩きして、捉え方を履き違えする人もやっぱりいてる。自由意思で人をぶん殴って良いとは思わないし、自由意思で海にゴミを捨てていいとも思わない。「俺は自由だ‼︎」と言って全裸で街を歩けば牢屋にぶち込まれるし、不快な思いをする人もいる。自分のエゴを満たす為に子どもを利用してもいいと思わないし、法を破っていいとは思わない。

とは言え自由意思が乏しい人ほど、社会の空気に便乗して、多数派の立ち位置から人の自由を奪おうとする。常識を振りかざして人を束縛したり、理解できない感覚から、自分の中の"当たり前"を守ろうとして攻撃的になる人も多い。正当な必要性がない事まで多数派の意見だからと言って強要するのは、一種の暴力だと僕は思う。

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正論に囚われるほど0か100の答えしか理解できなくなるし、自分の勝手なルールで相手を平気で傷つける。

「なぜ人を殺しちゃいけない」と言う人もいるけど、その人に「あなたも同じように殺される状況にあるならそれを認めますか?」と聞くとそれは嫌だと言う。"自分はいやだけど、人は死んでもいい"なんて理屈は当然通らない。自分の子どもだけを見てる親もいるけど、我が子だけが幸せな社会などありえない。

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※この漫画オススメです

自分1人の力だけで生きてると勘違いしている人もいるけど、産まれてすぐの赤ん坊は母親に守られながら大きくなる。小さかった子どもが親の身長を追い越して、どれだけ生意気な事を言っても、その親にオムツを変えてもらい、母乳を飲ませてもらって大きくなった。

僕はあちこちでいろんな人に話を聞いてもらっているけど、この行動は目に見えない多くの人たちが支えてくれているからできる事。

今着ている服を作れないし、ボコボコの道を誰かが舗装してくれているから目的地へ辿り着ける。電車を時間通りに動かす事も、ホームで腰をかけるベンチも作ることもできない。電気を作ることも出来ないし、その電気を運ぶ送電線が台風で切れても直すことすらできない。

ほとんどの事が出来ないけど、それでもこうやって不自由なく普通に生きていけるのは、見えないところで支えてくれている人がたくさんいるからだ。僕はこの国の"当たり前"が無い国へたくさん行ってきたのでその事がよくわかる。

確実に"在る"事なのにその大切さに気付けない、空気のように当たり前だと思っているけど、誰かがその価値を生み出してくれている。

この繋がりを理解していない人ほど傲慢になり、人の生き方を否定したり、他人の評価に没頭して、自分を認めてくれるコミュニティの中ばかりを見てしまう。

感謝を忘れた生き方に自由はない。
感謝の言葉に縛られて自分の心を捨てるのも違う。

そのバランスを考えながら"調和"を意識して生きていく事が本当の自由だと僕は思う。

慌てても自由を得ることはできない、自由になった気でいても大抵の場合、それは"自由"と言う思い込みだと思ったほうがいい。誰かが与えてくれるものでもない。自分が一歩ずつ成長しながら、いろんな事を理解しながらゆっくりと掴んでいくものだと僕は思う。

だから慌てるな。人には出番がある。それまでしっかりと力をつけろ^_^

ひろのぶ

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