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宝くじが当たるらしいので

自宅に、女友達が旅行がてら泊まりに来ている。
二人とも晴れ女だし、観光中もなかなかの強運を発揮していたら、宝くじを買ったら当たると言い出したので、なんとなく付き合うことにした。

そして、絶対当たるから、何に使うかを超具体的に決めろと言われた。

…そう言われましても。
買う時に、神様に、「当たったら半分寄付するんで絶対当ててください」って言っちゃったんやけど。
ちなみに、最大で2億円が当たる、つまり、私は、2億、当たる(らしい)。
隣で、「ワクワクした気持ちが大事だよ」とか言ってるけど、ごめん、もう半分だけしかワクワク出来ない。

絶対に当たる2億円の内、絶対に1億円を寄付することが決まっているなう、である。

というわけで、1億円を何に使うか考えてみる。
1億円あったら…そやなあ、とりあえず、しばらくは悠々自適に、連絡を取りたい人とだけとって、自分の好きなように、誰にも文句を言われずに生きられそうや。

うーん、何が欲しいとかは、正直、特に無い。
けど、この一連の流れで気付いたことは、私の願いは、誰にも迷惑をかけず、口出しをされる余地なく、気の合う人とだけ関わって、好きなところで静かに暮らす、そういう生活を贅沢だと感じるタイプだということ。

勿論、大切な人が病気になると守りたい、欲しいものがあれば買ってあげたい、そういった意味で社会の欲望と繋がってはいるのだけど、豪邸に住みたいだとか、ブランド品が欲しいだとか、もともと人と比べて起きる価値観に興味がない性質なので、そういった見栄から起こる物欲が私には無いようだ。

結局、2億円当たったらどうしよっか、貯金してちびちび使って、そのままいい感じで寿命を迎えるとか、それは充実した人生と言えるやろか。

なんだかんだ、宝くじなんて当たらないほうが、刺激的に、自分で試行錯誤しながら生きていけそうな気がしてきた。
2億円当たるより、当たらないほうが幸せな人生。
お金なんか全然ないけど、宝くじ当たらないかなぁって泣きそうになる日もあるけど、それでも、毎日ギリギリで幸せな日々がある。

それに気付いた今日、2億円以上の価値があったような気がする、3億円分の感謝を彼女に。
ちょっと待て、気持ち的に3億円当たったことにしてしまったら、半分は寄付をするって言ってたアレはどうなる。
…1.5億円、気持ち的に寄付しなきゃなんないのかしら。

まあ、いつかどこかで、もしそんな大金が手に入ることがあれば、自分の手に余るようなお金を、誰かのために使おうと思えるような、そんな心であるといいな、それを幸せだと思える心であるといい、それが幸せな在り方というものではないのかな。
だがしかし、ムダづかい鬼モードの私は生活くるしすぎて、今は想像つかないのであった、ここからまだまだ果てしない旅は続く、2億円当たらんかなぁ、絶対半分寄付するし、やで?

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