映画ドラえもん 全40作レビュー
映画ドラえもん 全40作(1980年〜2020年)を一気に観て全作品のレビューを書きました。まずは結論から書きます。★1〜★5で評価した結果はこうなりました。
【★5】宇宙小戦争、鉄人兵団、パラレル西遊記、魔界大冒険、大魔境
【★4.5】宇宙開拓史、恐竜
【★4】竜の騎士、月面探査記、ひみつ道具博物館、ドラビアンナイト、太陽王伝説、海底鬼岩城、新・大魔境
【★3.5】新・日本誕生、日本誕生、アニマル惑星、ふしぎ風使い、無幻三剣士、翼の勇者たち、ロボット王国、ねじ巻き都市冒険記、新・鉄人兵団、新魔界大冒険、新・宇宙開拓史、宇宙英雄記
【★3】南海大冒険、宇宙漂流記、ブリキの迷宮、南極カチコチ大冒険、銀河超特急
【★2.5】ワンニャン時空伝、創世日記、雲の王国
【★2】人魚大海戦、奇跡の島、宝島、新恐竜
【★1.5】のび太の恐竜2006
【★1】のび太と緑の巨人伝
第1位 (★5)「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」:子供の頃も今も、一番好きなドラえもん映画!
本作品は1985年公開、映画ドラえもんの6作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
自分達の作ったプラモデルに、スモールライトで身体を小さくして乗り込み、小人の世界の戦争に勇者として参戦する。…もうこの時点で超絶ワクワクしますが、実際に期待を裏切らずメチャクチャ面白いです。私は子供の頃、この映画に心を鷲掴みにされ、こういう設定の妄想をどれだけしたか分からない位、大大大好きでした。スネ夫の作った戦車のプラモに乗り込み、隊列を組んで「かべ紙 秘密基地」から出撃する時の誇らしさ、高揚感!
人間の世界とは別の世界に行き、その世界の危機を救う英雄になる。映画ドラえもんの大半がこのフォーマットの物語ですが、この作品の英雄度は群を抜いています。
共闘することになったピリカの自由同盟の仲間達・ゲンブさん・大統領パピが、大変な敬意を持ってのび太達と接しているからです。敵の諜報機関ピシアも強力な敵としてのび太達を警戒しています。子供達にとってこの事がどんなに誇らしいか!例を示すと、
パピ「ありがとう…(涙)。地球の人はなんて親切なんだろう。ピリカ星を代表して深く感謝の意を表します。」
ピシア・ドラコルル長官「うーむ、恐るべき軍備だ!こいつかぁ地球製の武器を一手に作っておるのは。重要人物だ、こいつもマークしろ!」
自由同盟の仲間達「自由同盟本部へようこそ、5人の勇士たち!」
ゲンブさん「あなた方に来て頂いて、我が自由同盟は百万の味方を得た思いです」
自由同盟の仲間達「地球の最新鋭兵器は凄い性能ですなあ」「我々も頑張ろう」
自由同盟の仲間達「ピリカ国民は、あなた方の友情を決して忘れません」
子供達を1人の人間として扱い、十分な敬意を持って接している大人は存外に少ないです。常に「所詮、子供だから」とみくびられ、大人顔負けの立派な意見を言っても「子供だてらに大人みたいな事を言っちゃって(笑)」と言われてしまう。
子供達がこの映画を観れば、普段大人たちに削られた自尊心を取り戻し、勇気を回復することができるでしょう。「良い子でいなさい」というメッセージが込められたPTAが喜びそうな映画よりも、この映画を子供達に観てもらいたいと思います。
それにしてもドラコルル長官の「恐るべき軍備だ!」のセリフは最高ですね笑。シリアスなドラマの中に、コメディっぽいおかしさが同居している。藤子漫画の真骨頂という感じで大好きなシーンです。
この映画はシナリオも物凄く良くできています。序盤で敵のピシアが登場してから終盤までずっと、一進一退の攻防を繰り返して最後は勝利!最高です。シナリオが一本道で分かりやすいのも良いです。
この映画は準主役としてスネ夫に脚光が当たる数少ない作品でもあります。ちなみにこの作品の3作前、2作前はそれぞれジャイアンと静香ちゃんが準主役でした。
3作前(大魔境)→ジャイアンが準主役
2作前(海底鬼岩城)→しずかちゃんが準主役
本作(小宇宙戦争)→スネ夫が準主役
スネ夫「負けるもんか!ピシアがどんなに恐ろしい相手でも…。僕のプラモが相手になるぞ。」
プラモで5台の戦車を作るスネ夫はカッコいいです。
スネ夫「落ち着いて、静香ちゃん。ハンドルは軽く。そうそう…上手い上手い静香ちゃん。ラジコンに触るの本当に初めて?」
教官となって静香ちゃんに戦車の操縦を教えるシーンもいい。
静香「スネ夫さん!来てくれたの!」
スネ夫「仕方ないじゃない…女の子ひとりで危険な目に遭わせられないし…」
静香「大丈夫よ!ラジコンの力をもっと信じなさい!スネ夫さんの作ったラジコンじゃない!」
遅ればせながら(笑)静香ちゃんを助けに来るスネ夫もいい。
その他でこの映画の好きな所。
(1)オープニングにハリウッド映画のオマージュがたくさん使われていて面白いです。ジャイアンがMGMライオンのように吠えるのは笑いました。
(2)うさぎのぬいぐるみが行方不明になり、「大好きなぬいぐるみだったのに…あぁぁ〜ん。」て泣いちゃう静香ちゃん激萌えです。自分の身代わりにパピが囚われてしまった事に責任を感じて泣く静香ちゃん(2回)も可愛い。基地の隅に隠れたスネ夫を置いて出撃し「あたしだって怖いわよ…でも、このまま独裁者に負けちゃうなんて、あんまりみじめじゃない!やるだけの事やるしか無いわ!」目に涙を浮かべながら勇気を振り絞る静香ちゃん、素敵すぎます。
(3)ラストで無事に再会したのび太と静香ちゃんが手を取り合って目に涙を浮かべるシーンは完全に恋人同士ですねw
(4)主題歌は「少年期 / 武田鉄矢」です。映画ドラえもんにたくさんの主題歌を提供した武田鉄也も、藤子・F・不二雄先生も一番好きな曲として挙げている名曲です。
第2位 (★5)「のび太と鉄人兵団」:映画ドラえもん史上最高の感動シーン
本作品は1986年公開、映画ドラえもんの7作目です。「新・のび太と鉄人兵団」として新ドラ版でリメイクもされています。
この映画のラストシーン、リルルと静香の永遠の別れは、映画ドラえもん史上最高の感動シーンだと思います。書きながら思い出すだけでもちょっと涙が滲んできます…。
私が好きなこの映画の要素を4つに分けて説明します。
(1)ミクロス
スネ夫のロボット、ミクロス。コメディ要員として優秀で、思わず声を出して笑ってしまうほど面白いシーンが満載です。こういう、コメディとシリアスの同居こそ映画ドラえもんの一番の魅力だと思うのですが、これが成り立っている作品は思いのほか少ないです。その中でもこの作品はそれが高いレベルで成り立っていて、ミクロスのお陰です。
(2)家の中で のび太が静香をロボットから救うシーン
このシーンがとても良いんです。
のび太に駆け寄り抱きつく静香「良かったぁ…のび太さん、怖かったわ」
家の外からジャイアン「(ロボットが)居たぞ。のび太、早くしろ〜!」
のび太「ちぇっもう…いいところなのに…」「すぐに戻る!ここに居てね!」
すぐに仕事に戻るのび太。うーん、めちゃくちゃいい男!
(3)地下鉄入り口でのび太がリルルに銃を向けるシーン
このシーンでは、リルルが祖国メカトピアのスパイとして果たすべき義務と、人間に対して親しみを感じ始めている感情との間で葛藤している様子が描かれます。自ら祖国を裏切るほどの決心はまだできていない。でも、敵であるのび太が撃って止めてくれるなら祖国に対する義理を立てつつ、人間達を助ける事ができる。だから、のび太に「撃つぞ」と言われた時、すごく嬉しそうな顔をするんですね。子供の頃はそんな事に気づく由も無かったですがちゃんと登場人物の細かい感情にまで心を配って製作されています。
(4) 映画ドラえもん史上最高の感動シーン
最初に書いたように、ラストシーンが映画ドラえもん史上最高といえるほど素晴らしいのですが、これは原作の素晴らしさだけでなく、抜群の演出と抜群の静香の演技(CV:野村道子)あってのものです。
抜群の演出というのは、ここで悲しみ一辺倒ではなく、#1.悲しみ→#2.喜び→#3.悲しみ、という持ち上げて落とすような演出をしているんですね。具体的に説明します。
リルル「今度生まれ変わったら…天使のようなロボットに…」
静香「リルル…あなたは今…天使になってるわ…」
#1.ここで別れの悲しさに涙を流すも、
静香「2人は…ずっと友達よ」
リルル「お友だち…!」
(握手)
#2.この瞬間、深い悲しみの中にも関わらず、初めて心が通じ合った喜びによりなんと2人に笑顔がこぼれます。
しかし次の瞬間、非情にも突然の別れが。静香と握手しながらリルルの存在が消滅します。
#3.「リルルーー!」静香の慟哭。そしてこの時の野村道子さんの演技がもう迫真過ぎて…(絶句)
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、絵が古いという一点を除く全ての点で新ドラ版を凌駕しているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。
第3位 (★5)「のび太のパラレル西遊記」:親子愛を感動的に表現した超名作
本作品は1988年公開、映画ドラえもんの9作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
タイムマシンによる過去改変で、見た目こそそっくりだがみんなの中身が妖怪になってしまった世界。まずこの不気味さの描き方が秀逸です。映画ドラえもんの他の作品は冒険に出かけて家に帰ることが目的ですが、この作品ではジャイアンもスネ夫もしずかも、みんな自分の家族の中身が妖怪になってしまい、恐ろしくて家に居られず、のび太の部屋に集まります。帰るべき家が無くなった所からスタート。
過去に戻って原因の牛魔王を倒し、”現在”に戻りママが妖怪ではない本来のママに戻っている事が分かるや、ママの胸に飛び込んで安心の涙を流すラストシーン。幸せな日常を取り戻した安心感。本当に心を動かされます。
私は子供の頃にこの映画をテレビ放送をビデオに撮ったものを何十回と観ていましたが、小学校の高学年くらい、母親にまだ甘えたいけれど恥ずかしさからそれができない年齢のときに、このシーンを観て自分を重ねていたのかもしれません。
リンレイ少年とのび太を対照的に見せる演出も見逃せません。
のび太がママの胸に飛び込んで甘える事ができる幸せを取り戻した一方、リンレイ少年は両親を失ってしまいました。のび太の幸せ・安心に共感するほど、両親を失ってしまったリンレイ少年の哀しみが沁みます。でも哀しいだけではなく、リンレイ少年の幸せを心から想う新しい父ができた、という希望を用意しているのが本当に素晴らしい。
映画ドラえもんで、親子(保護者)との愛や絆を描こうとしている作品はたくさんありますが、この作品ほどそれに成功しているものはありません。
その他、この映画について。
(1)みんなの中身が妖怪になってしまった世界で野比家の食卓でママ「ハイお待ちどうさま、パパの好物・トカゲのスープ」のシーン、印象が強すぎて30年経った今でも私だけでなく私の親までもが覚えているという…すごいです笑。この妖怪世界の描写はかなり不気味ではあるんですが、同時にどこかコミカルさも持ち合わせているところが、藤子漫画らしくて大好きです。
(2)エンディング主題歌「君がいるから」が素晴らしく、映画ドラえもんのエンディング主題歌の中で一番好きです。
(3)藤子・F・不二雄先生が体調不良だったため、先生が存命中で唯一、先生ではない人が脚本を書いた作品です。
(4)この作品公開が1988年、「ドラゴンボール」のアニメ放映が1986年開始です。もしかしたらドラゴンボールのヒットに影響を受けて、孫悟空をテーマに選んだのかもしれません。音楽などもドラゴンボールの影響を受けているように感じました。
第4位 (★5)「のび太の魔界大冒険」:ワクワクの魔法世界、美夜子さん、よくできたトリック、チンカラホイ!…最高です。
本作品は1984年公開、映画ドラえもんの5作目です。「のび太の新魔界大冒険」として新ドラ版でリメイクもされています。
(1)ワクワクの魔法世界!
もしもボックスを使って朝起きると、世界が魔法世界に一変!この描き方が本当に最高です。
朝、ドラえもんが家の庭で何気なく空を見上げると、空は魔法の絨毯や空飛ぶほうきの通勤・通学ラッシュ笑。ここでBGMも不思議な感じの楽しい音楽に変わって「楽しい魔法世界」を演出してくれます。(このBGMはエンディング主題歌「夢のマジカル」のインストゥルメンタル版です)
なお、このBGMとエンディング主題歌は、現在販売・レンタルされているDVD・VHSビデオでは大人の事情で置き換えられてしまっています。近年はオリジナルに戻される傾向があり、Amazonプライム・ビデオやWowowでの放送ではオリジナル版でした。「夢のマジカル」は本作の大事な要素なので、是非オリジナル版のソフトを選んで鑑賞することをお勧めします。
魔法世界のテレビCMとか魔法世界の様々な描写も本当に楽しく、「こんな世界があったらな〜」というドラえもんらしいワクワク感に満ちています。藤子・F・不二雄先生もここは書いていて特に楽しかったんじゃないかなと想像します。そしてこのワクワク感から徐々に、不気味な展開になっていくのも上手いです。
(2)美夜子さん!
美夜子さんは、映画ドラえもん全作品の中で私が一番好きなゲストキャラです。17歳くらいでしょうか?のび太から見て絶妙な年齢差のお姉さんなのも堪らないですね。見た目の可愛らしさもさることながら、魔界での戦いの時に見られる機知と勇敢さが素敵です。そして、キラリと溢れる涙…最高です。
(3)よくできたトリック
魔界大冒険は、タイムマシン・もしもボックスを使って時間軸と並行世界を行き来するちょっと複雑な話ですが、初見の子供でも「なるほど、冒頭でドラえもんとのび太の石像が空から落ちて来た理由はそうだったのか!」と謎が解ける面白さを感じられる本当によくできたトリックだと思います。ドラミが説明してくれた「パラレルワールド」という概念は子供の頃に見たときに強く脳に焼き付いて大人になった今でも忘れられません。
(4)チンカラホイ!
チンカラホイ!でスカートめくりするのも、最後現実世界に戻って「チンカラホイ!」→「風だよね、きっと」も、子供の頃に見てからずっと忘れないシーンで、もはや自分自身の大切な思い出となっています。
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、新ドラ版はあからさまな泣き要素の追加やテンポの悪さ、キモい身体の動きや表情など、本当にセンスが無くてキモい作品になっているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。
第5位 (★5)「のび太の大魔境」:ジャイアンの魅力が光る作品
本作品は1982年公開、映画ドラえもんの3作目です。「新・のび太の大魔境」として新ドラ版でリメイクもされています。
映画ドラえもんといえば、いつもただの乱暴者のジャイアンが頼りになるいい奴となって活躍するのが見どころの一つですが、本作は他の映画ドラえもん作品と比べても、特にジャイアンの魅力が光る作品となっています。みんなを自分の考えに従わせる強引なジャイアン、自分のせいでみんなを危険に晒している事に責任を感じて一人涙するジャイアン、みんなに率先して勇気を見せるカッコいいジャイアン。ただカッコいいだけのジャイアンではない所が良いです。また、ラストシーンではのび太よりも深くペコとの友情を育んだように思わせるシーンがあるのが面白いです。
ストーリーはシンプルで分かりやすいし、冒険のワクワク・ドキドキ感も秀逸で、ひみつ道具の使い方もそれを引き立てています。そしてラストのトリックが非常に良くできていて気持ちいいです。冒険から帰ってすぐにまた、「よし!今すぐに僕たちを助けに行こう!」という映画の終わり方はループ感のあるトリックの面白さと同時にさわやかさを感じる事ができ、映画ドラえもんの終わり方の中で屈指ではないでしょうか。
巨大兵器の巨神像が動くシーンは、子供はワクワクすると思いますが、巨神像が飛行戦艦を次々に握り潰すシーンなどは、ちょっとやり過ぎな気もします。ドラえもんアニメの制作会社・シンエイ動画の社長・楠部三吉郎の著書「ドラえもんへの感謝状」によると、藤子・F・不二雄先生は本作について「作品の出来はいいと思う」が「私の世界を理解していただいていない。監督をかえてもらえないか」と仰ったそうで、実際次回作から芝山監督に交代になります。具体的にどのシーンが駄目だったのかは本には書かれていませんでしたが、このシーンがそのひとつだったのかもしれません。
でも!私はこの監督は十分に良い仕事をしていると思います。私がこの作品を観る時は何の違和感もなく没頭して楽しむ事ができていますから。
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。新ドラ版のリメイクは何作品かありますが総じてセンスの悪い改変にがっかりさせられる事が多い中、この「大魔境」のリメイクは余計な改変が少なく、私はとても好感を持っています。
しかし旧ドラ版で感じられる藤子漫画らしいテンポの良さは新ドラ版では残念ながら消えてしまっているので、どちらかといえばこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。
第6位 (★4.5)「のび太の宇宙開拓史」:ラストの別れのシーン+主題歌「心をゆらして」は屈指の名シーン
本作品は1981年公開、映画ドラえもんの2作目です。「新・のび太の宇宙開拓史」として新ドラ版でリメイクもされています。
ストーリーはシンプルだけど、丁寧です。
ロップル・クレム・チャミーとの友情(クレムとのび太の間には淡い恋もあるようにも見える)は、途中に何度か地球に戻りながらもコーヤコーヤ星の季節がひと回りするくらいの期間をかけての交流が丁寧に描かれます。これは、映画ドラえもん作品全ての中で最長です。しかもこの間、ジャイアン、スネ夫、静香は地球に置いてきているので のび太、ドラえもんとこのゲストキャラ達との交流がより深く味わえるようになっていて、つくづくよく考えられていると思います。このように丁寧に交流を描いているからこそ、ラストシーンに心を動かされるんですね。ラストシーン:異次元空間を挟んでの永遠の別れのシーン+主題歌「心をゆらして」は映画ドラえもんの中で屈指の名シーンです。
のび太の2大特技、あやとりと射撃の脚本の中での活かし方も非常に上手いです。藤子・F・不二雄先生没後の映画ドラえもんではこの2大特技が乱発されるようになりますが、もっと大事に使って欲しいものです。
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、旧ドラ版はやはり第一に藤子漫画らしいテンポの良さがあり、見ていて楽しいです。それから新ドラ版はあからさまな泣き要素の追加とか、本当にセンスの無い改変がなされているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。
第7位 (★4.5)「のび太の恐竜」:シンプルだけどワクワクさせてくれる名作
本作品は1980年公開、映画ドラえもんの1作目です。「のび太の恐竜2006」として新ドラ版でリメイクもされています。
子供の頃好きだった作品です。漫画は所有していて繰り返し読みましたし、映画も当時レンタルビデオで借りて大変楽しみながら観たのを覚えています。
大人になってからもう一度観たら、ストーリーがとてもシンプルな事に気がつきました。この映画での最大の敵・密猟者とのバトルも、真正面からやり合ってやっつける訳ではなく、ただラッキーなだけで切り抜けています(笑)。
強大な敵と戦わなくても、”考えさせられる”教訓が含まれていなくても、「恐竜の卵を見つけて、自分で孵して、白亜紀の恐竜の世界を仲間と冒険する」これだけで十分ワクワクさせてくれる、そんな作品です。
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。
旧ドラ版新ドラ版のストーリー上の違いは、密猟者とのバトルの内容が結構違うのと、密猟者とのバトル後の日本への帰り方が違うだけで、それ以外のエピソードはほぼ同じです。個人的にはストーリー上の違い(密猟者とのバトル内容、日本への帰り方)はどちらでも良いのですが、新ドラ版の演出の低レベルさは到底許容できるものではありませんでした。同じエピソードでも演出の違いでここまで違うものになるという事を、この新旧比較で学ばせてもらいました。
旧ドラ版がすごく優れているという訳では無いです。絵は時代相応のクオリティだし、全体的に間延びしているように感じるし、改良できそうなシーンもたくさんあります。でも、製作者がちゃんと観客にストーリーを伝えるために映画を製作している。
対して新ドラ版は、制作者たちが観客そっちのけで自分たちの描きたい絵を描いているため、肝心のストーリーが正しく伝わってきません。ぜひ、こちらの旧ドラ版「のび太の恐竜」を観る事をお勧めします。
第8位 (★4)「のび太と竜の騎士」:地底世界、6500万年前の世界。スケールの大きい名作です。
本作品は1987年公開、映画ドラえもんの8作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
私の子供の頃のお気に入り映画です。テレビ放送をビデオに撮ったものを何十回と観ていました。
広い地底世界に子供達だけの秘密基地を作るワクワク感とか、良い人なんだけどどことなく不気味な雰囲気のバンホーさんとか、ラストで明らかになる大いなる謎の種明かしとか、なにせ子供達の大好きな恐竜の出てくる話だし、名作です。
それでも今ひとつ物足りなく感じるのは、のび太達が自分たちの勇気や工夫で目標に向かって進んでいくストーリーになっていないためでしょうか。のび太達が終始災難に翻弄されているだけのように見えてしまいます。
「のび太の恐竜」ではピー助を白亜紀の日本に連れて帰る為・のび太達が現代の日本に変える為に頑張ったし、「宇宙開拓史」ではコーヤコーヤ星の平和の為に頑張ったし、「大魔境」ではバウワンコ王国の平和の為に頑張りました。一方本作では、地底世界の野蛮人に捕まった所をガンホーに助けられ、ガンホーの元から脱走してまた野蛮人捕まった所をガンホーに助けられ(2回目)、ガンホー達恐竜人の船で来た6500万年前の世界でまた脱走します(笑)。まあ、それを差し引いてもまだ面白いのですが。
最後に一点、私がこの映画で一番好きなシーンを。ひみつ道具「○×うらない」の前での、のび太とママとの掛け合いは爆笑必至です。
第9位 (★4)「のび太の月面探査記」:新ドラ映画の中では最高傑作!
本作品は2019年公開、映画ドラえもんの通算39作目(新ドラ14作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
この作品は、新ドラ映画の中では最高傑作だと思います!映画ドラえもん全作品を平等に評価するために第1作から一気に全作品を観てきましたが、やっと新ドラでも名作と呼べる作品が生まれ嬉しく思います。新ドラ8作目「ひみつ道具博物館」も名作でしたが映画ドラえもんらしい冒険要素がある正統派の作品では初めての名作と言えます。
監督は八鍬新之介さんです。この監督は過去に「新・大魔境」「新・日本誕生」の2作品を手掛けており、いずれも良いリメイク作と好感を持っていましたが、今回は完全新作でこのような素晴らしい作品を送り出してくれました。今後もこの監督(とスタッフ)で毎年映画を製作してくれたら嬉しいのですが。
この映画ではまずキャラデザが素晴らしく、映画ドラえもん史上最高だと思います。ゲストキャラのルナとルカがすごく可愛いだけでなく、新ドラでおそらく初めてジャイアンの白目を完全に取り戻し、怒り顔も笑い顔もびっくり顔も自然な表情になりました。この事がとても嬉しく、今後もぜひこのキャラデザで行って欲しいです。
藤子・F・不二雄先生の漫画ではジャイアンの目は確かに白目が無いデザインが基本なのですが、あれは静止画ならではのデザインでアニメには向かないとずっと感じていました。
ストーリーも良くできていて、ラストも感動を押し付けるようなこともなく良いです。脚本の辻村深月さんは「『まるでF先生が描いたみたい』と言ってもらえるような映画を目指した」と言っていますが、その通りになっていると思います。
異説バッジで作ったウサギの国の細かく描き込まれたワイガヤ具合とか、ウサギ達がカグヤ星に乱入してくるラストバトルは、まさに新ドラならではの良さで、子供達も大興奮で観ていました。
第10位 (★4)「のび太のひみつ道具博物館」:新ドラ映画8作目にして初の名作誕生
本作品は2013年公開、映画ドラえもんの通算33作目(新ドラ8作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
映画ドラえもんと言えば、のび太達がちょっと危険な大冒険に出かけるのが通例ですが、この映画は大冒険でもなければ強大な敵も出てこない推理・探偵モノのストーリーになっています。小学3年生の息子、小学1年生の娘は名探偵コナンや おしりたんてい、怪盗ジョーカー等この手の作品が大好きなので、この作品もお気に入りのようで何度も繰り返し観ています。
舞台となる22世紀の「ひみつ道具博物館」の館内で、背景まで丁寧にたくさんの道具が描き込まれているのは、絵が綺麗な新ドラの良さが出ています。また、キャラの表情や身体の動きも新ドラ映画の初期の頃の作画のキモさがほぼ解消されていると思います。
新ドラ特有の、あからさまな泣き要素が無いのも良いです。この作品でも、報われないマッドサイエンティストとか、のび太とドラえもんのハートフルな思い出とか、強引に「泣かせる」展開に持っていく事はできたはずですが、たしか作中で一度も涙はなかったはずです。これは称賛に値する大英断だと思います。
最後に、どうでもいい事を1つ。
しずかちゃんのパンチラが全然無いのはポリコレ配慮なのかな、と思って見ていたら、掃除機が暴走するシーンで服もパンツも引きちぎれてお尻が丸出しになるシーンがあってビックリしました笑
第11位 (★4)「のび太のドラビアンナイト:ドラえもんらしい楽しさ溢れる名作
本作品は1991年公開、映画ドラえもんの12作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
静香ちゃんを絵本の世界の中に残したまま、絵本をのび太ママに焼かれてしまったときの絶望感は歴代映画ドラえもんのピンチの中でもトップクラスです。映画ドラえもんは最後ハッピーエンドに決まっているのに、「え?もうどうしようもないじゃん…」と不安な気持ちにさせられます。この時ののび太のセリフもメチャ怖いです→「思い切って静香ちゃんのママに話そう…驚くだろうな…一人娘だもんな…悲しみのあまり自殺なんて事に…聞いた途端、心臓麻痺を起こしたりして…」いや、本当に怖いです。。。
しかもこの後、静香ちゃんは行方不明になってから20分近く(のび太の夢以外では)登場せず、安否が全く分からない状態が続きます。怖い〜。一緒に観ていた小学一年生の娘は「この後も映画ドラえもんは続くんだから大丈夫に決まってるでしょ!」と冷静でしたが笑。
ストーリー構成も盛り沢山で楽しいです。序盤は「絵本入りこみぐつ」でいろんな絵本を楽しむワクワク感、中盤は捕われの静香ちゃんを助けに行くドキドキ感、終盤は頼もしい仲間シンドバットおじいちゃんを得ての悪役との戦いです。
シンドバットの冒険を下敷きにして史実も絡めているので、観終わってからシンドバットの冒険を読んだり、史実を調べたりという楽しみ方が広がるのも良いです。
その他、印象に残った点を書きます。
(1)静香「信じるわ。のび太さん、ドラちゃん、武さんにスネ夫さん、きっと助けに来てくれるわね…」→いつもの共闘する静香ちゃんも良いですが、今回の捕らわれの静香ちゃんはヒロインらしさが増していていつにも増して可愛いです。
(2)日射病になってしまったのび太を「しっかりしろよ、のび太」と言って背負い、ターバンテントの中で「熱は下がったみたいだけど、水でもあればなぁ」と介抱してくれるジャイアンが優しくて心温まります。
(3)のび太・ドラえもん・ジャイアン・スネ夫の4人で助けに行ったのに、静香「のび太さぁん…」真っ先にのび太の名を呼んでのび太の手を握るのは、この2人は完全にデキてますね笑
(4)終盤のバトルシーンは、ドラえもんらしいユーモアに満ちていて楽しいです。シンドバットに追い詰められた悪党が党から落ちた時、ドラえもんが「危ないっ!」と言って敵に優しさを発揮して助けるのも良いです。
(5)エンディング「心のゆくえ」はとても良い曲で、美しい声の白鳥英美子さんが歌うので最高です。
第12位 (★4)「のび太の太陽王伝説」:ドラビアンナイト以来の名作
本作品は2000年公開、映画ドラえもんの21作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
地球環境破壊への啓発などの説教めいたメッセージがなくエンタメに徹した作品になっており、映画ドラえもん第12作(1991年)「ドラビアンナイト」以来、久しぶりの名作だと思います。
マヤナ国の王子ティオとのび太がしばらくお互いの生活を体験する中盤までの展開は、シンプルに面白く飽きさせません。特に王子とのび太ママとのやり取りはかなりギャグとして面白く、久しぶりに映画ドラえもんで笑わせてもらいました。そしてこの中盤のエピソードでキャラの深掘りがなされるので、終盤の展開にも素直に感情移入することができます。
古代世界に行って、ドラえもんのひみつ道具で無双できるのも楽しいです。特に、雨乞いのために女の子を生贄に捧げようとしているのをのび太が止めさせて、代わりに「お天気ボックス」ですぐに雨を降らせる場面が好きです。生贄を止めさせるのはのび太の優しさではあるけれど、それでもし雨が降らなかったら古代世界の人たちは納得しないでしょう。それがひみつ道具のお陰で、結果的にみんなハッピーになる。いいですね。
由紀さおり・安田祥子 姉妹によるED主題歌「この星のどこかで」も綺麗な歌声でとても良いです。
第13位 (★4)「のび太の海底鬼岩城」:静香とバギーちゃんが主役の映画
本作品は1983年公開、映画ドラえもんの4作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
子供の頃、大好きだった作品です。大人になって観てみると、昔ほどクライマックスのバギーちゃんの犠牲で感動することは出来なくなってしまいましたが、良い作品です。
深海の世界をバギーで旅するという設定がとても独創的だし、当時の東西冷戦・核戦争の危機を反映された設定がよく考えられていると思います。核戦争の危機といえばターミネーターもそうですね。バギーちゃんというロボットに感情移入してしまうストーリーも似ていますが、ターミネーター2の公開は1991年なのでこの作品の方がだいぶ早いです。
ゲストキャラで言うと、バギーちゃんがもちろん主役で一度見たら強烈な印象が残るのに対し、海底人代表のエル少年との交流は薄く、私は大人になって再度鑑賞した時には完全に忘れていました。
前作「大魔境」はジャイアンにフォーカスした作品でしたが、本作では静香にフォーカスしていて、その扱いはのび太を超えて主役と言っても差し支えないくらいです。
あと、学べる科学知識が特に多いのもこの作品の特長です。以下のような科学知識が登場します:大陸棚/バミューダ海域/マリアナ海溝が1万メートル/深海が物凄い水圧で日光が届かない/30億年前に海で生命の誕生し、進化して3億年前に地上に上がった(数字は記憶が正確ではないかも)
私が子供の頃に好きな作品だったので、新ドラ映画を中心にドラえもんに親しんでいる うちの子供達(小学3年生男子、1年生女子)に見せてみたのですが、あまりウケが良く無かったです。子供にはやっぱり絵の見た目のきれいさが重要な要素なのかもしれません。
第14位 (★4)「新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~」:ジャイアンの魅力が光る作品
本作品は2014年公開、映画ドラえもんの通算34作目(新ドラ9作目)で、1982年公開の映画ドラえもん第3作「のび太の大魔境」のリメイクです。
映画ドラえもんといえば、いつもただの乱暴者のジャイアンが頼りになるいい奴となって活躍するのが見どころの一つですが、本作は他の映画ドラえもん作品と比べても、特にジャイアンの魅力が光る作品となっています。みんなを自分の考えに従わせる強引なジャイアン、自分のせいでみんなを危険に晒している事に責任を感じて一人涙するジャイアン、みんなに率先して勇気を見せるカッコいいジャイアン。ただカッコいいだけのジャイアンではない所が良いです。また、ラストシーンではのび太よりも深くペコとの友情を育んだように思わせるシーンがあるのが面白いです。
ストーリーはシンプルで分かりやすいし、冒険のワクワク・ドキドキ感も秀逸で、ひみつ道具の使い方もそれを引き立てています。そしてラストのトリックが非常に良くできていて気持ちいいです。冒険から帰ってすぐにまた、「よし!今すぐに僕たちを助けに行こう!」という映画の終わり方はループ感のあるトリックの面白さと同時にさわやかさを感じる事ができ、映画ドラえもんの終わり方の中で屈指ではないでしょうか。
新ドラ版の監督は八鍬新之介さん。この人は本作および「日本誕生」の2本のドラえもん映画をリメイクしていますが、いずれも余計な改変が少なく、旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。改変すること自体が悪い訳ではないのですが、映画ドラえもんの場合、全てのリメイク作で余計な改変が作品の質を低下させてしまっているので、ありがたいです。
この映画の新ドラ版での改変は、ラストバトルの直前の夜にのび太がペコを励ますシーンが追加されたのと、ラストの別れの時にのび太がペコを抱きしめるシーンが追加されている位で、他はほとんど同じです。この2つのシーンも、素晴らしく立派な人物(犬だけどw)であるペコを、のび太が自分よりも目下の人物のように接している事に違和感があり蛇足だとは思いますが、許容範囲です。
また、旧ドラ版で感じられる藤子漫画らしいテンポの良さも新ドラ版では残念ながら消えてしまっているので、私は旧ドラ版の方が好きですが、絵が時代相応なクオリティである事は否めないので、この新ドラ版リメイクの存在意義はあると思います。
第15位 (★3.5)「新・のび太の日本誕生」:良いリメイクです
本作品は2016年公開、映画ドラえもんの通算36作目(新ドラ11作目)で、1989年公開の映画ドラえもん第10作「日本誕生」のリメイクです。
この作品の良いのは、以下のような所です。
(1)「7万年前は氷河期で、海水面が低かったため大陸と日本列島は陸続きだった」とか「人間(日本人)はこの時代に日本列島に住んでいたのだろうか?」とか科学をベースにしてストーリーを組み立てているのが良いです。
(2)まだ人間が誰もいない時代に行って、洞窟を掘って快適な家を作ったり、畑に種を撒いて水やりをして美味しい食べ物(うな丼やカツ丼やスパゲティw)を収穫したり、卵から空想動物を孵らせて育ててその背中に乗って大空を翔んだりするのは楽しいです。
旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較しましたが、本作は旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。絵が新しい分、「日本誕生」は新ドラ版の方がお勧めです。
第16位 (★3.5)「のび太の日本誕生」:映画ドラえもん マンネリ化の始まり
本作品は1989年公開、映画ドラえもんの10作目です。「新・のび太の日本誕生」として新ドラ版でリメイクもされています。
私はこの作品以降、映画ドラえもんはマンネリ化に陥ったと考えています。「僕たち、そんなスリルと冒険が大好きな少年なんだ」というスネ夫のセリフと、そこからノリノリでヒカリ族救出とギガゾンビとの対決に向かう一行には首を捻りたくなります。
これまでの作品でこのようなノリは一度も無く、楽しくひみつ道具で遊んでいたところをトラブルに巻き込まれるか、友達のために勇気を振り絞って冒険に出かける展開でした。それが本作以降は、どこか最初からハッピーエンドが約束されている余裕というか、緊張感の無さが作品全体に感じられるようになってしまったと思います。
ストーリー展開のテンポの良さが失われ始めたりギャグの質が低下し始めたのもこの作品あたりからのような気がします。
この作品の良いところもあります。
(1)「7万年前は氷河期で、海水面が低かったため大陸と日本列島は陸続きだった」とか「人間(日本人)はこの時代に日本列島に住んでいたのだろうか?」とか科学をベースにしてストーリーを組み立てているのは良いです。
(2)まだ人間が誰もいない時代に行って、洞窟を掘って快適な家を作ったり、畑に種を撒いて水やりをして美味しい食べ物(うな丼やカツ丼やスパゲティw)を収穫したり、卵から空想動物を孵らせて育ててその背中に乗って大空を翔んだりするのは楽しいです。
前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。
新ドラ版の監督は八鍬新之介さん。この人は本作および「大魔境」の2本のドラえもん映画をリメイクしていますが、いずれも余計な改変が少なく、旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。旧ドラ版の絵が古臭いことは否めないので、「日本誕生」はリメイク版の方がお勧めです。
第17位 (★3.5)「のび太とアニマル惑星」:イマイチ。のび太達の冒険、自然環境破壊問題への批判どちらも中途半端。
本作品は1990年公開、映画ドラえもんの11作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
子供の頃、映画館で観た思い出の作品です。同伴の祖母に頼んで、そのまま座席に残って2周目を観ました(当時の映画館はそういう事ができました)。当時は2周目を観るくらい面白く感じたのですが、大人になって見返したらイマイチでした笑。
のび太達の冒険よりも、人間による自然環境破壊を批判する内容になってしまっています。自然環境破壊問題の啓発をする事は悪い事だとは思いませんが、各国の首相や大統領を以ってしてもすぐに解決できる問題では無いのですから、当然のび太達にどうしようもできるわけがありません…。
のび太ママが環境問題について色々お説教をしてくれます。「裏山を切り崩してゴルフ場にするなんてとんでもない」「紙の無駄遣い、食べ物を粗末にしない、エネルギーを使いすぎると炭酸ガスによって地球の天気がおかしくなる…」まあ、それはその通りなんですけど笑。
映画ドラえもんはこの作品を皮切りに、ネタ切れ+自然環境破壊への傾倒が原因で質が低下していったように思います。
肝心の冒険の方はと言うと、この作品におけるのび太達の冒険の一番の目的は、友達のチッポとアニマル星の住民を、ニムゲの侵略から助ける事ですが、ほとんどをニムゲ警察がやってくれちゃいます。
うーん、イマイチです。
この作品では以下のように、いくつか設定に矛盾や雑な点も見られます。もしかしたら、原作の執筆中で結末も決まっていない状態で映画の制作が始まったのかも知れません。
(1)ピンクのもや は、土に埋まった装置から出ているのに、嵐の風によって湧き出し地点が数メートル移動したのはおかしいです。
(2)のび太とドラえもんは最初にアニマル星を訪れたときにチッポとその家族に元の姿を晒して、タヌキさん、サルさんと呼ばれていたのに、2回目以降の訪問時は「動物ごっこぼうし」でネコさん、クマさんになるのはまだ良いとして、チッポに元の姿を秘密にしているシーンがあるのはおかしいです。
(3)地球と関係のない星に、地球とそっくりの生態系があるのはおかしいです。まあ、22世紀のひみつ道具・どこでもガスを持ち込んだ人間が1000年前にいたみたいなので、アニマル星のニムゲや動物達も22世紀の地球から来た・持ち込まれたとすれば説明がつきますが…。従来の映画ドラえもんなら、そこまで謎を解き明かしてスッキリさせてくれてた所です。
第18位 (★3.5)「のび太とふしぎ風使い」:ドラえもんの世界観にミスマッチですがまあまあ面白いです
本作品は2003年公開、映画ドラえもんの24作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
この作品の設定は映画ドラえもん全作品の中で最も異質で、はっきり言ってドラえもんの世界観と合っていません。しかもこの作品なりの世界観が矛盾なく成り立っているかというとそうでもありません。「風の谷のナウシカ」の設定を深く考えないでパクったような世界観で、ドラえもんの世界観と組み合わせたためかあちこちに不自然な点が目立ちます。この作品を楽しめるかどうかは、設定を受け入れられるかどうかによると思います。
ストーリーは良くできていると思います。フー子=バギーちゃんという見方をすると、名作として挙げられる事が多い映画ドラえもん第4作(1983)「海底鬼岩城」にとてもよく似ています。フー子とバギーちゃんが強烈に印象に残る一方で、もう一方のゲストキャラ(風の民の子供テムジンとアトランチス連邦の少年エル)が空気、という悪いところまでよく似ています笑
作画は前作と比べて数年分一気に進化したように見えます。この作品から作画監督が富永貞義から渡辺歩に交代になりました。渡辺歩がこの作品の後に監督を務めた映画ドラえもん作品「のび太の恐竜2006」「のび太と緑の巨人伝」の作画は映画ドラえもん史上最悪だと思いますが、この作品の作画は好きです。のび太達レギュラーキャラも可愛いし、ゲストキャラで本作の主役とも言えるフー子のキャラは出色の可愛さだと思います。
スネ夫の扱いがかなりひどいのも本作の特徴です笑。映画ドラえもん第17作(1996)「銀河超特急」でもそうでしたが、悪いやつに憑依される役回りはどうしていつもスネ夫なんでしょう笑。
第19位 (★3.5)「のび太と夢幻三剣士」:ドラクエをモチーフにした作品。ラストシーンは好き
本作品は1994年公開、映画ドラえもんの15作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
テレビゲームのドラゴンクエストをモチーフにした作品でしょうか。この映画が公開されたのは1994年。この時点のドラクエの最新作は1992年にリリースされたドラクエ5です。この頃のドラクエは凄かったです。1988年のドラクエ3の発売日に販売店の前に大行列ができたのがニュースになり、その後は新作の発売日毎にできる大行列はもはや風物詩として国民全体に認知されていました。
この映画の中で以下のようなところにドラクエ要素を感じました。
(1)カセットを取り替えることで色々な夢を見られる「気ままに夢見る機」はファミコンそのもの
(2)ドラえもんでは珍しい、のび太と静香の死と生き返りもドラクエの要素として取り入れたのでしょう。「死」といっても悲観的なものではなく、サクッと死んでサクッと生き返る(笑)のもドラクエらしいです。
(3)剣、魔法、ドラゴン、魔王、魔王軍、城、町などの要素もドラクエっぽいです。
ドラえもんがポケットを現実世界に置いて夢の中に入ったのに、「取り寄せバッグ」で夢の中にポケットを取り寄せたり、「かくしボタン」を押して夢の世界と現実の世界が入れ替えたのにあっさりとママに元に戻されたのはズッコケました。藤子・F・不二雄先生が物語の着地点に迷っているのがありありと伝わってくるようです。
映画10作目「日本誕生」まではシナリオの大筋には迷いが見られないのに、映画11作目「アニマル惑星」以降の作品はどれもシナリオの大筋に迷いが見られるように思います。それは視聴者にも伝わってくるもので、鑑賞中に「今、のび太達は何がしたいんだっけ?」と分からなくなる事もしばしばです。するとどうしても、映画への没頭度や感動は小さくなります。
ジャイアンとスネ夫は一旦夢の中の冒険に参加したものの、途中からフェードアウトしてラストバトルでは蚊帳の外、というのはやはり今ひとつ盛り上がりに欠けると思いました。ところで、「三剣士」というのは誰のことなのでしょう?中盤までだったら、のび太・ジャイアン・スネ夫でしょうが、終盤だったらのび太・静香・ドラえもんだし…。
基本的に本作は今ひとつの出来栄えだと思いますが、ラストシーンは好きです。静香がのび太に本気で惚れている珍しいシーンが見られるし、のび太待望の「静香との結婚」シーンの直前で「気ままに夢見る機」が無慈悲に片付けられるというオチは笑わせてもらいました。
第20位 (★3.5)「のび太と翼の勇者たち」:ちょっと設定に無理がありますがまあまあ面白いです
本作品は2001年公開、映画ドラえもんの22作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
ちゃんと子供が楽しめる作品になっていると思います。ただ、ちょっと設定に無理がある点が多いと思いました。例えば以下のようなところです。
(1)ゲストキャラ「グースケ」は鳥人類なのに自らの翼で飛べず、ペダルを漕いで進む人力飛行機に乗って空を飛びます。この突飛な設定には序盤かなり面喰らいました笑
(2)ひみつ道具「進化退化放射線源」を使って鳥類を進化させる時の鳥野博士の顔がヤバイです笑。まあ顔がヤバイ以前に到底倫理的に許されない事をやっている事が問題ですが。
(3)フェニキアって一体何だったんでしょう?3億年前だとまだ恐竜もいない筈だし、そもそも口から火を吐く巨大生物なんて自然界には居なそうだし…
(4)フェニキアが可哀想です。ひみつ道具「進化退化放射線源」でさらなる怪物に進化させられて、最後はタイムマシンで宇宙送り…。
第21位 (★3.5)「のび太とロボット王国」:後半部分に雑さが目立つがまあまあ面白いです
本作品は2002年公開、映画ドラえもんの23作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
「ロボットも人間も仲良く生きていこうよ!」という事をテーマにした作品です。この世界でロボットが感情を持っている事に対する説明は「人間と暮らしているうちにロボットはやがて感情を持つようになった」という事らしいです。
私は、ドラえもんやドラミは特別扱いとしても、大量に生産されたロボットの全てが感情を持つというような設定には違和感を持ってしまいます。また、ロボットにおける親子関係って何だ?生殖機能はないだろう?という所も気になってしまいますが、そういう設定を受け入れることができれば子供は楽しめると思います。
その他の細かい感想など。
(1)地球に迷い込んだロボットの少年・ポコを「困っている奴を放っておけない!」くらいの軽いノリで冒険に出かけるのび太達。映画ドラえもんも23作目となり、観客も当然ハッピーエンドである事を最初から分かり切っている訳ですが、それでもハラハラ・ドキドキの冒険を期待して観ている訳で、この辺は危険な冒険に出かける心の葛藤などを丁寧に描いて欲しいと思います。
(2)ロボット王国の女王ジャンヌ。ロボットによるミスで父親を亡くし、ロボットから感情を抜く「ロボット改造計画」を推し進め、育ての親のロボット・マリアや一緒に育てられ弟同然のポコも捕らえようとする非情な女王が、ロボットと人間が仲良く共生する楽園を少し見ただけで心を入れ替えるってちょっと無理があります。
こういうのってほとんど生まれ持った素質の問題なんで、ジャンヌは今までもこれからもこういう人間なんだと私は思います。
ただ、ジャンヌのような考え方も理解できるので、大人向けの映画なら掘り下げたら面白かったかもしれません。そういう意味でこの映画は中途半端です。
(3)本作のラスボス的存在であるデスターが、あまりにもあっけなく倒されます。デスターの基地にドラえもんが突然「それ〜!!」とか言って超スピードで走り出して鉄の壁を頭突きで壊して侵入し、デスターの部屋にも頭突きで壁を破って侵入、そのまま落下して偶然デスターに頭突きを喰らわしてノックアウト。この間たったの35秒です笑。あまりにもやっつけ仕事ではないでしょうか。ひみつ道具を使ったまともな倒し方をちゃんと考えて欲しかったです。まあ残念な事に旧ドラ末期の映画ドラえもんではこれは良くある事で、「雲の王国」では猛ダッシュ+頭突きでタンクを壊し、「南海大冒険」ではラスボスを偶然落下頭突きで倒した前科があるのですが。。。
(4)ラストシーン、高速移動するロケットと地上を伝送装置で繋ぐ場面、ポコ「ぼく、ママの居る位置が分かる!」というところはちょっと意味が分からなかったです。。。
(5)ゲストキャラの魅力がちょっと足りないと思います。特にクルリンパというオコジョ型ロボット。声優に大御所の野沢雅子を使っていても完全に空気です。
(6)最後エンディングで家に帰ったのび太達がそれぞれママに抱きついて甘えるのはパラレル西遊記と同じなんですが、あの名作と比べることにより本作の微妙さが際立ってしまいます笑
第22位 (★3.5)「のび太のねじ巻き都市冒険記」:藤子・F・不二雄先生の遺作です
本作品は1997年公開、映画ドラえもんの18作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
この作品は、藤子・F・不二雄先生の遺作です。Wikipediaを読むと、人生の最後の最後の時間まで、本作の執筆につぎ込んだ事が分かります→
1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。だがいつまで経っても食卓にやって来なかったので娘が仕事場へ呼びに行ったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の62頁目を描いている途中で、発見されたときは鉛筆を握ったままだったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分に東京都新宿区の慶應義塾大学病院で肝不全のためその生涯を閉じた、62歳没。
作中に、”種まく者”という生物の創造主、神様みたいなキャラが登場します。
「僕は種まく者。この星の創り主さ」「もう僕の役目は終わった」「私は行く…次の星へ、種を撒きに」
神様なんだけど親しみやすくて穏やかな性格のキャラで…どうしても、先生イメージが重なります(泣)。
先生がネームまで仕上げたのは、スネ夫がロケットをビッグライトで大きくするシーンまでで、映画の尺で言うと42%にあたります。残りは、先生の残したアイデアメモの断片を集めて藤子プロが完成させたのですが、この映画はちゃんと先生の作品のように感じられました。
ストーリーも先生らしく、子供達が楽しめる楽しい雰囲気なのも良いです。
以下、細かい感想など。
(1)ジャイアンが「環境破壊になるから」と咎められて工事を諦めるシーン:
ねじまき都市でジャイアンは「剛田建設」として、大雨が降っても心配が無いように堤防を作ったり、橋やハイウェイを計画したりと張り切っていたのに、動物たちに「剛田建設は環境破壊」と糾弾されて
ジャイアン「分かったよ…工事は諦めた。」
のび太・静香「ジャイアン!武さん偉いわ!」
一同「この星の為に、分かってくれてありがとう(拍手)」
というシーンがあります。
これだと、積極的にチャレンジするよりも、何もしない方が良い、というメッセージを子供達に与えてしまいます。ここは、「剛田建設の堤防が、みんなの安全の役に立っています。ありがとう。ただ、今後はアインモタイン博士の発明した環境に優しい建設資材を使ってもらえませんか?」→ジャイアン「オーケー!」という風に、チャレンジする人を勇気付けるような展開にしてもらいたかったです。
(2)金色の巨人から鬼五郎(ホクロ)と一緒に逃げるシーン:
ひみつ道具「人間機関車」を敵である鬼五郎(ホクロ)に付けて、一緒に逃げるシーン(笑)、ギャグ漫画らしくて好きです。
(3)スネ夫の戦車砲でバラバラになった金の巨人(カブトムシ)の破片が、また集まって くっ付いて復活するシーン:
T1000じゃねーかwwwって大笑いさせてもらいました。ちなみにターミネーター2は1991年公開、本作は1997年公開です。
(4)のび太と静香:
静香を助ける為に自らの身の危険を顧みずに行動するのび太がカッコいいです。また、谷底に落ちたのび太を心配して泣く可愛い静香がたくさん見られます。
(5)軽率に生命を生み出していいものか?:
個人的にはどうしても、「生命のねじ」や「タマゴコピーミラー」で軽率に生命を生み出していく行為に抵抗を感じます。鬼五郎に至っては、最後ドラえもん達によって、無理やり1人の人間に戻されてしまいます笑。一人ひとり意思を持っていた鬼五郎達からすれば、殺されるのに近いのではないでしょうか。…まあ、子供達はあまり気にしないと思いますが。
第23位 (★3.5)「新・のび太と鉄人兵団」:旧ドラ版の方がリメイク版の本作よりも数段上の崇高な感動がある
本作品は2011年公開、映画ドラえもんの通算31作目(新ドラ6作目)で、1986年公開の映画ドラえもん第7作「鉄人兵団」のリメイクです。
リメイクなので旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較してみました。結論から言うと、圧倒的に旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下です。
新旧比較(1):ピッポ
新ドラ版ではジュドというロボットの頭脳の扱いについて、旧ドラ版を大きくアレンジしているのが特徴です。旧ドラ版ではジュドは全く話が通じないロボットとして描かれ、ドラえもん達は頭脳を改造して無理やり味方にしてしまう(笑)のですが、本作ではヒヨコのような可愛らしい容姿と「ピッポ」という愛称を与えて、のび太たちとの心の交流を経て味方になります。
新ドラ版では、リルルー静香 の関係にピッポーのび太 の関係も加える事でより多くの心の交流を描くシーンが増えたのは良いのですが、デメリットもあります。物語の中盤では、メカトピア本隊の襲来への対抗策も定まらない中、まだ敵であるピッポと呑気に交流する事で緊張感が大きく損なわれてしまっています。また最後の別れのシーンも、リルルー静香の感動の別れに集中できる旧ドラ版に対し、リルルー静香の別れと、ピッポーのび太の別れを行ったり来たりする新ドラ版は散漫で感動が半減している感じがします。
新旧比較(2):ミクロス
旧ドラ版、新ドラ版どちらでもミクロスは出てきますが、新ドラ版ではピッポに尺を取られてしまい、ミクロスのシーンが激減しています。旧ドラ版のミクロスはコメディ要員として優秀で、思わず声を出して笑ってしまうほど面白いシーンがいくつもあったのに、それらのほとんどは新ドラ版ではカットされてしまいました。
こういう、コメディとシリアスの同居こそ映画ドラえもんの一番の魅力だと思うのですが、中でも旧ドラ版鉄人兵団はそれが高いレベルで成り立っている作品だったので、リメイクによりその魅力が損なわれた事は非常に残念です。
新旧比較(3):リルル
新ドラ版のリルルのキャラデザは非常に可愛いです。小学1年生の娘が気に入って何度も見ています。子供はやはり見た目から入りますね。
新旧比較(4):ザンダクロスで誤って街を破壊してしまったシーン
旧ドラ版では、ザンダクロスが恐ろしい破壊兵器であることを知り唖然・戰慄する心の動きが丁寧に時間を使って描かれているのに対し、新ドラ版ではその時間をザンダクロスのエネルギーチャージの描写やビルが破壊されて美しい破片がキラキラ舞う描写に使ってしまっています。その後、ザンダクロスが本当の街で誤って暴れる事がないように、ザンダクロスは鏡の世界に置いていき3人だけの秘密にする事を決めるのですが、旧ドラ版では3人で固く決意を誓い合う場面が、新ドラ版ではドラえもんがそうする事をのび太と静香に提案するだけに改変されてしまいました。ここは子供達の決意を描いたすごく大事な場面だったと思うので改変が残念です。
新旧比較(5):家の中で、のび太が静香をロボットから救うシーン
旧ドラ版だと、このシーンがとても良いんです。
のび太に駆け寄り抱きつく静香「良かったぁ…のび太さん、怖かったわ」
家の外からジャイアン「(ロボットが)居たぞ。のび太、早くしろ〜!」
のび太「ちぇっもう…いいところなのに。すぐに戻る。ここに居てね!」
すぐに仕事に戻るのび太。うーん、めちゃくちゃいい男!
新旧比較(6):地下鉄入り口でのび太がリルルに銃を向けるシーン
旧ドラ版のこのシーンでは、リルルが祖国メカトピアのスパイとして果たすべき義務と、人間に対して親しみを感じ始めている感情との間で葛藤している様子が描かれます。自ら祖国を裏切るほどの決心はまだできていない。でも、敵であるのび太が撃って止めてくれるなら祖国に対する義理を立てつつ、人間達を助ける事ができる。それだから、のび太に「撃つぞ」と言われた時、すごく嬉しそうな顔をするんです。
新ドラ版でも義務と感情の間の葛藤が描かれるのは同じですが、その描き方が違います。リルルは義務を果たすべきと考えていて、ピッポは人間側に付くべきと考えていて、リルルとピッポの言葉の応酬で葛藤が表現されます。そして、リルルが「いくじなし!」でのび太に向けて放った光線の前にピッポが割って入り負傷してしまいます。
旧ドラ版のリルルは、自分が犠牲になって全ての問題を解決したいと決意が固まっているのに対して、新ドラ版ではピッポが衝動的にのび太を庇って負傷する。旧ドラ版のリルルの崇高な決意は、新ドラ版のリルル+ピッポの行動よりも一歩先を行っていて、より感動的です。
新旧比較(7):旧ドラ版のラストは映画ドラえもん史上最高の感動シーン
旧ドラ版のラストシーンが映画ドラえもん史上最高といえるほど素晴らしいので紹介したいと思います。藤子・F・不二雄先生の原作漫画の素晴らしさがベースなのは間違いありませんが、旧ドラ版のラストシーンは抜群の演出と抜群の静香の演技(CV:野村道子)によって感動が原作漫画の10倍くらいになっています。まさにアニメの力です。
抜群の演出というのは、ここで悲しみ一辺倒ではなく、#1.悲しみ→#2.喜び→#3.悲しみ、という持ち上げて落とすような演出をしているんですね。具体的に説明します。
リルル「今度生まれ変わったら…天使のようなロボットに…」
静香「リルル…あなたは今…天使になってるわ…」
#1.ここで別れの悲しさに涙を流すも、
静香「2人は…ずっと友達よ」
リルル「お友だち…!」
(握手)
#2.この瞬間、深い悲しみの中にも関わらず、初めて心が通じ合った喜びによりなんと2人に笑顔がこぼれます。
しかし次の瞬間、非情にも突然の別れが。静香と握手しながらリルルの存在が消滅します。
#3.「リルルーー!」静香の慟哭。そしてこの時の野村道子さんの演技がもう迫真過ぎて…(絶句)
新ドラ版を観てこの映画を気に入ったなら、是非旧ドラ版も観てみることをお勧めします。
第24位 (★3.5)「のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」:ワクワク・ドキドキの旧ドラ版、感動の押し売りがキモい新ドラ版
本作品は2007年公開、映画ドラえもんの通算27作目(新ドラ2作目)で、1984年公開の映画ドラえもん第5作「魔界大冒険」のリメイクです。
旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較しましたが、演出面も脚本の改変も新ドラ版はセンスが無くて駄目だと思います。
まずは演出面。旧ドラ版の醍醐味である、藤子漫画らしいテンポの良さが全編通して完全に消えてしまっているのがまず1点。それから個別のシーンで特に気になったところを挙げると以下になります。
(1)のび太が駄々をこねるシーン。新ドラ版ののび太は涙と鼻水まで大袈裟に垂らして、クネクネクネクネ「ドラえも〜ん」って…嫌悪感を覚える気持ち悪さです。旧ドラ版ののび太の駄々のこね方はしつこさが無くて、ドラえもんが「仕方がないなぁ、じゃあこの道具で…」って言うとピタッと泣き止むのがお決まりのパターンなのに毎回クスッとさせられる面白さがあります。
(2)のび太とドラえもんのケンカのシーン。新ドラ版ではアッカンベーのみならず、口を横に引っ張ったり、ほっぺたを両側から押したりの変顔の見せ合いがしつこいです。普通、ケンカしてたら相手と関わりたくないのでこんなケンカは不自然です。どうも新ドラ版はこの変顔ってやつが大好きみたいで、事あるごとにこういうしつこい表現を入れてくるんですが、「いないいないばあっ!」等の乳児向け番組ならわかりますが、ドラえもんの視聴者で変顔見て「キャッキャッ」てなる人が居るんでしょうか?新ドラ版の製作者達は、ストーリーを伝える事よりも自分達の描きたい絵を描く事を優先しているからこんな事になってしまうんです。
(3)ジャイアンの表情が不自然で気持ち悪いです。新ドラ版でジャイアンの目のデザインが白目無しのものに変更になり、感情の表現力が格段に低下してしまいました。白目の無いマンガキャラは他にもたくさん居ますが、どうしても表情が乏しくなってしまいます。例えばミッキーマウスは初期は白目無しのデザインでしたが、より豊かな表情を獲得するために白目有りのデザインに変更されました。他にもハンターハンターのゴンも白目が無いために、白目が有るデザインのキルアに比べて表情が乏しく、残念なシーンが沢山あります。新ドラ版のジャイアンは目の表現力を補う為か口や声や身体の動きが大袈裟になり、それでさらに目の表現力の無さが浮き彫りになって非常に不気味です。
(4)ドラえもんが猫の姿の美夜子を見て照れてフニャフニャになるシーン。やり過ぎでキモいです。
脚本も旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下の通りです。
新旧比較(1):新ドラ版では話が無駄に複雑化
魔法世界において、地球が魔界星の接近による異常気象、悪魔たちの侵攻による危機に瀕しているのは新旧で共通です。
現実世界の描き方は新旧で異なり、旧ドラ版では現実世界はいつもと変わらぬ平和な世界だったのに対し、新ドラ版では現実世界でも魔法世界と相似して大質量天体接近の危機に瀕している事になっています。満月博士と美夜子は、旧ドラ版では魔法世界にしか存在しない人物だったのに対し、新ドラ版では大質量天体接近の調査をする天文学者として現実世界でも登場します。
この改変によるメリットは個人的には何も無いと思うのですが、強いて言えばのび太の魔法世界での活躍とリンクして、現実世界の大質量天体が軌道を変えて地球衝突回避したようなので、現実世界の地球をも救って誇らしい、ということでしょうか?
魔界大冒険は元々、タイムマシン・もしもボックスを使って時間軸と並行世界を行き来するちょっと複雑な話ですが、初見の子供でも「なるほど、冒頭でドラえもんとのび太の石像が空から落ちて来た理由はそうだったのか!」と謎が解ける面白さを感じられるようになっていました。それが今回この改変によって話が無駄に複雑になり、この面白さ・気持ちよさが半減してしまっています。他にも以下の改変が必然性が無く、話を分かりにくくする悪い改変だと思います。
・ドラえもんが腹痛を起こして、一瞬だけ未来に行くシーンの追加
・敵が化けた「ニセモノ美夜子」の登場
・月をめぐる攻防の追加。魔界星まで行っておいて、また話が月に戻るという…笑。分かりにくいです。
新旧比較(2):新ドラ版 美夜子の母親という「泣き要素」の追加
新ドラ版では、生き別れになっていた美夜子の母親との再会・別れという、あからさまな泣き要素が追加されています。新ドラ製作者達は視聴者をがっつり泣かせるシーンを入れないと安心できないんでしょうか?このシーンの追加のせいでストーリーが散漫になり、冒険のドキドキ・ワクワク感だとか、ラストのパラレルワールドとの別れの物悲しさが半減していると感じます。
新旧比較(3):新ドラ版 でカットされてしまった「魔界大冒険」なシーン
新ドラ版で追加された様々なシーンの裏で、逆にカットされてしまったシーンも存在します。例えば、
・もしもボックスで魔法世界に変えた直後は、のび太が当初望んだような楽しげな魔法世界の描写が旧ドラ版ではありました。BGMも不思議な感じの楽しい音楽に変わって「楽しい魔法世界」を演出してくれます。(このBGMはエンディング主題歌「夢のマジカル」のインストゥルメンタル版です)
魔法世界の様々な描写も(魔法世界のテレビCMとか)旧ドラ版の方が丁寧で、「こんな世界があったらな〜」というドラえもんらしいワクワク感に満ちています。このワクワク感から徐々に、不気味な展開になっていくのが上手いです。
・魔界星に入ってからの冒険シーン、人魚の島とか、巨大な怪魚とか、帰らずの原とかの「魔界大冒険」なシーンがカットされしまいました。
総じて言うと、新ドラ版では旧ドラ版の冒険感・ワクワク感をカットして、無駄に複雑なトリックとあからさまな泣きシーンを追加していて、本当にセンスが無いなと感じます。
新旧比較(4):新ドラ版 美夜子の為に魔界と戦うのか?
新ドラ版で、のび太「僕、頑張るから。一生懸命頑張って、絶対 美夜子さんのパパを助けるから」っていう感動(?)シーンがあるんですけど、別に美夜子の為だけじゃ無くて、地球が危ないから自分達全員の為にこの冒険をしているのを忘れてしまったのでしょうか?新ドラ版の製作者達は、底の浅い甘ったるい優しさを描く事しか頭に無いからこんな事になるんです。
第25位 (★3.5)「新・のび太の宇宙開拓史」:リメイクにより改悪
本作品は2009年公開、映画ドラえもんの通算29作目(新ドラ4作目)で、1981年公開の映画ドラえもん第2作「宇宙開拓史」のリメイクです。
リメイクなので旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較してみました。結論から言うと、圧倒的に旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下です。
新旧比較(1):旧ドラ版は藤子漫画らしいテンポの良さがある
旧ドラ版は藤子漫画らしいテンポの良さがあり見ていて楽しいのですが、新ドラ版はこの藤子漫画の持ち味が全くと言っていいほど消えてしまっています。個人的にはこの違いが一番大きいです。
新旧比較(1):新ドラ版で新キャラ「モリーナ」が追加された
新ドラ版で新キャラ「モリーナ」が追加されました。そして、このモリーナが7年前、父親のバーンズ博士を宇宙船での事故で目の前で失うシーンが新ドラ版の映画冒頭シーンとなっています。さらに、映画終盤にモリーナが7年ぶりに父親に再開するシーンも追加されています。新ドラ名物・あからさまな泣き要素追加です。
元々この映画の一番の感動ポイントは、ラストの別れのシーンです。のび太達とロップル・クレム兄妹、チャミーが仲良くなり、たくさんの思い出を作ってラストで永遠の別れを迎える。モリーナ父娘という特に思い入れのないキャラの感動の再会(?)シーンが入っているせいでラストの感動が弱まってしまっているのが残念です。
新旧比較(2):新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"が格好良い一騎討ちに変更
旧ドラ版の新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"は中途半端なバトルでしたが、新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"は格好良い一騎討ちに変更されました。実は旧ドラ版映画の原作漫画も一騎討ちなので、むしろ旧ドラ版映画の脚本が何故そうなったのかが謎なんですが、何にせよここは新ドラ版の方が良いです。
新旧比較(3):主題歌の違い
旧ドラ版では、のび太の部屋とコーヤコーヤ星を繋ぐ2つのドアがだんだんと遠ざかっていく中、異次元空間を挟んで別れを惜しむシーンで主題歌「心をゆらして/武田鉄矢」が流れ、その直後にスタッフロールで「ポケットの中に/大山のぶ代」が流れます。
新ドラ版では、異次元空間を挟んで別れを惜しむシーンがほぼカットとなり、主題歌「大切にするよ/柴咲コウ」がスタッフロールで流れます。
ここは断然、旧ドラ版の別れのシーン+主題歌の方が余韻があって良いです。思い出に残る名シーンだと思います。
第26位 (★3.5)「のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」:対象年齢がアンパンマンと大差ないように思えるが、まあまあ面白い
本作品は2015年公開、映画ドラえもんの通算35作目(新ドラ10作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
シナリオはそれなりに良くできていると思いますが、ギャグとか間の取り方とか緊迫感の無さとか、対象年齢がアンパンマンと大差ないように感じます。
通算35作目の映画で、地球や異世界の危機を救うというお決まりの展開がマンネリ化していますので、途中までの「のび太達は現実の出来事を映画の撮影だと勘違いしている」という展開は新しく感じて面白かったです。できれば最後までこの展開で行ってもらって、映画の撮影と勘違いしたままポックル星の危機を救い、「映画の撮影楽しかったね」で終わって欲しかったです。
第27位 (★3)「のび太の南海大冒険」:もっと「宝探し」して欲しかった
本作品は1998年公開、映画ドラえもんの19作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
藤子・F・不二雄先生は前作「ねじ巻き都市」の原作執筆中に亡くなったため、本作は原作漫画も含めて先生に代わって藤子プロが手がけた最初の作品です。
先生が大好きだったと言われる「宝島」がテーマです。
ドラえもんが好きな子供ならそこそこ楽しめるとは思いますが、せっかく宝島がテーマなのだから、のび太達が宝の地図を手がかりにして、ひみつ道具を駆使して謎を解き危険を乗り越えながら宝に迫って行く、そんなワクワクする宝探しの冒険を観たかったです。
この作品は、のび太達が目標(宝)を目指して進んで行くというより、降りかかった災難に後手後手に対応していく展開で、ちょっと高揚感に欠けるストーリーだと思いました。
ラストバトルの展開もイマイチでした。
改造生物"トラゾウ"を「おしり印のきびだんご」という下剤で倒したり、別の改造生物"サイワニ"をジャイアンが只の「カラオケマイク」で倒したり、Mr.キャッシュに至っては足を滑らせて落下したドラえもんの頭突きを偶然受ける形になりノックアウトされます。幼稚園児が対象ならこれでも十分だと思いますが、小学生を満足させるにはもう少し工夫したひみつ道具の使い方が必要だと思います。
製作が藤子プロになって感じた変化としては、のび太・ドラえもん・ジャイアン・スネ夫・静香のそれぞれに活躍の場を意識して用意しているように見えました。
これは良い事ばかりではなく、作品ごとの個性を弱めマンネリ化を加速することに繋がってしまったように思います。
第28位 (★3)「のび太の宇宙漂流記」:寄せ集めで散漫なストーリー
本作品は1999年公開、映画ドラえもんの20作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
ストーリーの流れの中で、のび太達の目的が次々に変わっていくため散漫で高揚感に欠ける印象を受けます。
そもそものび太達の最初の目的は、誤って乗り込むことになったリアン達の宇宙船で地球に送ってもらう事だったのが、地球に帰るために船団に立ち寄る必要があると言うことになり、さらに地球侵略を目論む「独立軍」が登場し、と目的が次々に変わっていきます。
途中、立ち寄った1個目の惑星で金属の蜘蛛に襲われたり、2個目の惑星で枯れ木の化物に地球や家族の幻を見せられて捕らわれそうになるのも、ストーリーの中で特に必然性を感じません。
本作のストーリーの骨子は、のび太達が「漂流船団」の仲間になって「独立軍」と戦うという図式であり、これは映画ドラえもんの超名作「宇宙小戦争」と同じですが、作品の面白さには雲泥の差があります。
前作「南海大冒険」もそうですが、ゲストキャラが多すぎてそれぞれのキャラクターの性格や交流を描けていないのも問題です。ロボットのログと、岩人間のゴロゴロは不必要なキャラだったと思います。ゲストキャラがリアンとフレイヤだけだったら、もう少し感情移入が出来ていたかもしれません。
1999年公開の映画という事で、1999年に大流行したノストラダムスの大予言の”アンゴルモア大王”にストーリーを絡めてるのは面白かったです。
第29位 (★3)「のび太とブリキの迷宮」:ゲストのサピオの性格がサイコパス
本作品は1993年公開、映画ドラえもんの14作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
ゲストキャラのサピオがのび太達を強引に自分たちの戦いに巻き込む自分勝手さが鼻につきます。扉を通って地球に帰ろうとしているのび太たちの目の前から扉を奪っておいて「ようこそ勇敢な戦士達!」じゃねーよwww。って言いたくなります。しかも続いて
サピオ「君たちはチャモチャ星の人類を救うため、先ほどの反乱軍と戦うのです」
スネ夫「ママと相談してみましょう」
サピオ「そんな暇は有りません。既にこの島はチャモチャ星に向かっています」
…酷すぎます。
心ある人間なら、他人を自分たちの戦いに巻き込む事に遠慮や後ろめたさを感じなければおかしいです。しかもこの時点でドラえもんは、敵に連れ去られてしまっています。
他の映画ドラえもんのゲストキャラ達は、自分たちの戦いに巻き込む事に遠慮や後ろめたさを感じている描写がありました。
宇宙開拓史のロップルも、魔界大冒険の美夜子も、小宇宙戦争のパピも。大魔境のペコはのび太達に目的を知らせないで誘導したものの、最後の戦いでのび太達に危険が及ぶと、のび太達を置いて自分1人で決着すべく単独で敵に向かいました。
サピオも、ラビリンスの中で迷ってしまった時、扉を使ってのび太と静香ちゃんを地球に送り返してくれますが、既に敵の本拠地に潜入しているジャイアンとスネ夫はどうするんだよっていう…。この時ののび太の叫び「ジャイアン…スネ夫…ドラえも〜ん!!!」は心からのものだと思います。今日知り合ったサピオより、数年来の大事な友達です。サピオに強引に巻き込まれてこんな事に…本当に気の毒に思います。
他に気になった点や良かった点など。
(1)ロボット反乱軍がドラえもんを捕らえ拷問する場面。ドラえもんに6連撃を加え、ドラえもんが白目を剥いて倒れ、「コンピュータが焼けちゃったみたいです」「こりゃもうどうにもならん」「スクラップとして海にでも捨てちまえ」のシーンはちょっと怖すぎます。
(2)本作のタイトルでもあるラビリンス(地下迷路)。全長184km、これまで何百人も挑戦したけどクリアした人は1人もいない、という大きな前振りをしておきながら、ドラえもんがひみつ道具を使って2分で攻略してしまうのはズッコケました。しかも地上へ戻る時は禁断の「通り抜けフープ」で1秒ですwww。
(3)謎が多い序盤から中盤の展開は興味を惹くし、終盤のロボットに支配されてしまったチャモチャ星は理屈抜きでワクワクさせてくれるので、全体的には面白い作品になっていると思います。
(4)エンディング主題歌の「何かきっといい事ある」は、若い頃の島崎和歌子がとても可愛い声で歌う、楽しい雰囲気の歌です。最初から最後まで暗い雰囲気の作品なので、この主題歌を聞いてホッとした気分になります。小学1年生の娘が1回聞いただけで気に入っていました。
第30位 (★3)「のび太の南極カチコチ大冒険」:あまり興奮が無いストーリー
本作品は2017年公開、映画ドラえもんの通算37作目(新ドラ12作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
設定は一応ちゃんとできているんですが、ちょっとわかりにくいです。子供向けである事を考慮すれば、脚本・演出を工夫してもっと分かりやすくするべきだと思います。
ストーリーは、のび太達がカッコいい生き様を見せるようなシーンは無く、その場その場で敵の攻撃に対処するシーンが続くだけであまり興奮がありません。全体的に緊張感も無いため、敵の攻撃がいくら激しくても「どうせ大丈夫だろ」とタカを括ってしまいます。
新ドラ映画で多い、感動の押し付けが無くてサクッと終わる点は良いです。
第31位 (★3)「のび太と銀河超特急」:盛り上がりに欠ける凡作です。
本作品は1996年公開、映画ドラえもんの17作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
この映画は映画ドラえもんの中では凡作です。設備が充実した豪華寝台列車での旅行って…リタイア後の老夫婦の旅行かよ、って言いたくなる位、ワクワク感に欠けます。
列車の目的地は、なんとレジャーランド(笑)。冒険要素ゼロです。映画ドラえもん第3作「のび太の大魔境」で、冒険を渇望するのび太がある夢を見ました。念願の冒険に出かけたと思ったらジャングルの奥地に「秘境ムード満点、アフリカランドへようこそ!」レジャーランドが現れ、のび太が大いに失望するという夢なのですが。この映画ののび太達は普通にレジャーランドで大はしゃぎです。堕ちたもんだなーと思いました。
映画終盤に差し掛かったとき、とってつけたように本映画の敵役が登場。とってつけたように敵を片付けて、エンド。盛り上がりに欠ける凡作です。
あと、この映画については以下のメタ発言のシーンは良くなかったと思います。
のび太「僕たちは、いつもこういう冒険をしてきたんじゃなかった?そのたびに乗り越えてきたじゃない。今度も逃げないでぶつかって行こうよ」
スネ夫「のび太って映画になると急にカッコいいこと言うんだから(笑)」
全然面白くない上に、映画のムードや緊張感を損なってしまっていると思いました。
第32位 (★2.5)「のび太のワンニャン時空伝」:旧ドラ最後の作品。倫理観のゆるさが気にならなけらば楽しめる
本作品は2004年公開、映画ドラえもんの25作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
本作は旧ドラ最後の作品です。旧ドラから新ドラへのリニューアルに伴い、翌年(2005年)は映画ドラえもんが始まって以降で初めて映画の公開が無い年となり、翌々年(2006年)に新ドラ版の映画第1作「のび太の恐竜2006」が公開されました。
新ドラへのリニューアルに際しては、声優はもとより作画面でも大きな変化を遂げることになったのですが、この節目に作画に大きく関わったのが渡辺歩です。
第23作(2002年)「ロボット王国」監督:芝山努 / 作画監督:富永貞義
第24作(2003年)「ふしぎ風使い」監督:芝山努 / 作画監督:渡辺歩
第25作(2004年)「ワンニャン時空伝」監督:芝山努 / 作画監督:渡辺歩
第26作(2006年)「のび太の恐竜2006」監督:渡辺歩 / 作画監督:小西賢一
前作「ふしぎ風使い」にて、富永貞義が長く務めてきた作画監督の座を渡辺歩が引き継ぎました。デジタル技術の進歩の恩恵もあるのでしょうが、前作「ふしぎ風使い」と本作「ワンニャン時空伝」の作画は絵が一気に数年分進化したようで、非常に良いと思います。しかし、渡辺歩が監督を務めた次作「のび太の恐竜2006」は一転、渡辺歩監督の趣味が悪い意味で炸裂し、グニャグニャしたキモい最悪の作画だと思います。
顔をグニャグニャにして鼻水垂らしながら大量の涙を流すキモい泣き顔も渡辺歩作品の特徴で、それは本作のラストシーン、イチとの最後の別れのシーンののび太にも見られます。ドラえもんの醜悪な怒り顔も好きではないです。
ストーリーに関しては、犬や猫を3億年前に置いてくるというのび太の行為にドン引きしてしまいました。本作が公開された2004年頃には、ブラックバスなどの外来種が日本の在来種の生態系を破壊している問題がかなり一般にも認知されていたので、もう少し考えて欲しかったです。子供向けだし細かいことは問題にならないだろうという製作側の甘い考えが見えます。
「進化退化光線銃」というひみつ道具も倫理的にヤバいと思います。植物に対してならまだしも、動物に対してこの道具を使うなんて考えられません。まあ、この道具を動物に対して使うシーンは「創世日記」と「翼の勇者たち」でもあり、この辺の倫理観がゆるいのは映画ドラえもんではよく見られる光景なのですが笑。
ちなみにこの道具の名前は元々は「進化退化放射線源」でしたが、放射線という言葉のイメージが悪いと考えたのか本作から名称が変わっています。悪いのは「放射線」という名称ではなくこの道具の機能だと思うのですが。
上記に書いたような倫理観のゆるさが気にならなければ、勧善懲悪の分かりやすさ、永い年月を経て再会する感動要素もあるストーリーは楽しめると思います。
第33位 (★2.5)「のび太の創世日記」:傍観者・のび太。何の感動もない作品
本作品は1995年公開、映画ドラえもんの16作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
この作品は、端的に言って面白くないです。この作品ではのび太は「神様」であり、下々の動物や人間を観察したり、たまに人助けをするだけの傍観者の立場で当事者ではありません。映画ドラえもんが面白いのは、のび太達が当事者となって奮闘するからであって、これが傍観者となってしまうと何が起きても「ふーん」としか感じず、何の感動もありませんでした。
シナリオ上、色々と微妙な点も多いです。
(1)そもそも、遊び感覚で第二の宇宙を作ってしまうという感覚がおかしいです。自分の手で数えきれない程の生命を生み出すなんて、とてもじゃないけど畏れ多くてできないのが普通の感覚だと思います。自分の手で生命を生み出すシーンはドラえもんだとよく見られるシーンだし、子供向けなので深く考えないのが正解なんでしょうが…。
(2)宇宙の始まりの「ビッグ・バン」から始めて、たまたま太陽系の地球にそっくりの惑星ができ、たまたま生命が地球と同じように発生し、たまたま生命が地球と同じように進化し人類が生まれ、たまたま地球の人類と同じような歴史を歩み…って、いくら何でもたまたまが過ぎます。地球の歴史を辿るストーリーにしたかったなら、素直にタイムマシンを使った方が良かったのでは無いでしょうか。
(3)のび太が「虫ばかりの世界なんて嫌だ」というふざけた動機で古代の魚「ユーステノプテロン」に「進化退化放射線源」を使って進化を促進するシーン。ひとたび生命が生まれたなら、その生命は神の自由にして良い物ではありません。生命を弄んでいるようなこのシーンには不快感を感じました。
(4)のび太の箱庭宇宙の中で生まれた昆虫人間が、タイムマシンを発明するのみならず、事もなげに箱庭宇宙からのび太達の世界に侵入して来るのは、普通に考えたらいくら何でも無理でしょう。魔界大冒険のメデューサや、パラレル西遊記の妖怪達のように、のび太達が行き来しているルートを使って侵入してくるのなら納得感がありますが…。
(5)ドラえもん「それにしても飛行船てのはじれったい乗り物だねぇ」→「ゴーゴーカザグルマ」で飛行船を加速させるシーン。箱庭宇宙の中で一生懸命に生きている人をリスペクトする気持ちは、無いんですかね…。
第34位 (★2.5)「のび太と雲の王国」:これは酷い。環境問題に傾倒してしまった藤子・F・不二雄先生謹製の駄作
本作品は1992年公開、映画ドラえもんの13作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。
この作品は、観客の子供を楽しませる事よりも、人間による自然環境破壊問題に対する啓発の方に傾倒してしまった残念な作品です。前々作の「アニマルプラネット」にもその傾向がありましたが、その度合いが更に酷くなっています。
その環境問題へのメッセージ自体も子供騙しレベルで、アニマルプラネットの時から少しも発展しておらず、どうしてまたこういう作品を作ったのか理解に苦しみます。
シナリオも微妙です。
まず、やたらとゲストキャラクターが多いです。天上人の女の子パルパル、無人島で父親と祖父と共にノア計画に巻き込まれた少年タガロ、「ドンジャラ村のホイ」の小人達、「さらばキー坊」のキー坊、「モアよドードーよ永遠に」のモアとドードー。どのゲストキャラとも交流も中途半端であるため、他の映画ドラえもんのようにラストの別れの物悲しさも味わえません。
また、のび太達5人の友情も上手く描けておらず、天上界からの脱走中に5人が離れ離れになった時もお互いを心配するような描写が無いし、ジャイアンとスネ夫に至っては、静香ちゃんを天上界に残したまま再び脱走を企てます…。
地上世界が「ノア計画」で滅んだり、ドラえもんの雲の王国と天上人の天上連邦が、アメリカとソ連の東西対立も真っ青なガチの戦争を始めたり、最後ドラえもん自身がありえない運動能力でミサイルとなって頭突きでタンクを破壊したり、同人誌の悪ふざけとしか思えないような展開の連続には開いた口が塞がりませんでした。
地上世界が滅んだ後、ニッコニコ顔でどら焼きとお茶を食べてるドラえもんにも違和感があります。
全体的に劇場版作品とは思えないくらい雑なシナリオで、鑑賞している間、「自分は今、現実の映画ドラえもん作品ではなく悪夢を見ているのではないか?」という疑いが頭から離れませんでした。
Wikipediaによると藤子・F・不二雄先生の体調不良のためコロコロコミックへの映画原作の連載のラスト2回が出来なかったようなので、その事が原因でこのような酷い作品になってしまったのかも知れません。
なお、本作品には環境問題のメッセージの他にも以下のように核兵器に対するメッセージも隠されていると思います。
(1)無人島での「大雨兵器」の実験→ビキニ環礁の核実験
(2)「雲戻しガス」の大砲の発射スイッチ→核兵器発の発射スイッチ
(3)「大雨兵器」vs.「雲戻しガス」による睨み合い→核抑止
ただ、これによって核兵器に対するどういうメッセージを伝えたかったのかが全く分かりません。なにせ、ドラえもんが自ら雲の王国に核兵器(雲戻しガス)を配備して、相手国を脅している訳ですから…。
旧約聖書の創世神話やノアの方舟、新約聖書の最後の審判などを、物語のモチーフとして軽率に利用しているのも嫌悪感を覚えました。とにかく悪い点を挙げればキリが無いほど酷い作品です。
第35位 (★2)「のび太の人魚大海戦」:ソフィアが可愛いだけの映画
本作品は2010年公開、映画ドラえもんの通算30作目(新ドラ5作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
人魚族の姫・ソフィアのキャラデザが可愛いだけの映画です。以下、ポイント別に感想を書きました。
(1)ドラえもんの「あたたかい目」
映画ドラえもん恒例、のび太の「どらえも〜ん」タイトルコールのところでドラえもんの変顔「あたたかい目」が出ます。新ドラ映画1作目「のび太の恐竜2006」で初登場したこの変顔、つまらないのに新ドラ映画では結構な頻度で登場しますね。まさか面白いと思ってやっているんでしょうか?
(2)序盤は面白い
序盤は面白いです。まあ、単行本41巻収録作品「深夜の町は海の底」そのまんまのようですが。
(3)トンデモ科学
ソフィア「私たちの故郷の星を(夜の星空の中から)探したい」→「(人魚族の故郷である)アクア星と4つの月を結ぶと五角形になる」→「五角形の星座といえば『ぎょしゃ座』だ」っていうくだりがあるんですが、、、わざわざ指摘するのも恥ずかしいですが、夜の星空で輝いているのは全て恒星です。アクア星は生き物が住める環境なのだから当然惑星の筈です。だから『ぎょしゃ座』がアクア星である筈がないです。こんなの、「宇宙のひみつ」みたいな本を1回読んだだけの小学生でも分かる事です。視聴者として見ているだけでも「や、やめて…」って言いたくなる位恥ずかしいです。
しかもまだ続きがあって、「『ぎょしゃ座』は冬の星座だから、今は季節が夏だから見えないよ」→「南半球は冬だから、南半球に行けば見れるはず!」でどこでもドアで南半球に行くんですが、これも科学的におかしいです。『ぎょしゃ座』が冬の星座と言われるのは、地球の公転位置が(北半球の)冬のときしか見られない、つまり季節の問題ではなくて公転位置の問題なので、どこでもドアで南半球に行っても解決しません。でもこれ、結局スネ夫が「星がたくさんあってどれが『ぎょしゃ座』か分からないし、寒いからもう帰ろうよ」とか言い出して、そのまま『ぎょしゃ座』を探すのを諦めるという、「何だそれ!?」的な不自然な展開になるので、おそらく製作者もこの科学的誤りに気付いていて、こんなテキトーな展開にして誤魔化したのでしょう。
映画作りは1秒1秒が勝負です。本来ならこの部分の脚本を考え直すべきでしょう。本作の制作者たちの映画作りに対するテキトーな姿勢が窺い知れます。それに、「科学知識が楽しく学べる」のは映画ドラえもんが代々大切にしてきたテーマでもあるので、そういう意味でも残念です。
(4)しずかちゃんの命の危険に関わらず心配しないのび太達
しずかちゃんが海底で迷子になるという命に関わる一大事なのに、どこか本気で心配していないように見えるのび太達。すごく違和感があります。これも、脚本通りにただストーリーを進めることしか制作者が考えていないから、こんな雑な仕上がりになるんです。
(5)不自然な感動(?)シーン
作戦会議の場で、
女王「でも、これだけは忘れないで。あなたを誰よりも愛してます」
ソフィア「おばあさま!私もです!私もおばあさまが大好きです!」
一同涙、感動BGM。
っていう感動(?)シーンがあるんですが、こういうの公衆の面前でやりますかね?
作戦会議の場では責務を全うするために女王はソフィアに辛く当たる、でもそのあと部屋で2人になったとき「ごめんなさいね」で静かに抱きしめる。たとえばこういう風にした方が、静かで自然な感動があると思うんですが。
一同が涙している描写と感動BGMで無理やり視聴者を泣かせようとするのは感動の押し売りです。日本のテレビの醜悪な文化・ワイプ芸に通じるものを感じます。
(6)伝説の剣の力で海の水がきれいになった!感動?
ラストは、伝説の剣の力で海の水がきれいになった!感動?っていう感じにストーリーが持っていかれるんですが、唐突感が否めません。
海が汚染されているのを何とかしよう」と言う事を目指した冒険では無くて、たまたま伝説の剣にそういう力が備わっていただけで、感動のラストシーンみたいにBGM流されても白けます。
第36位 (★2)「のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー」:シナリオが雑すぎて悪夢を見ているよう
本作品は2012年公開、映画ドラえもんの通算32作目(新ドラ7作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
全体的にシナリオの作り込みの甘さが目立つ作品です。特に無理やり差し込まれたような感動シーンがキモいです。
のび太パパ「のび太の事を考えるとねぇ、いつもここ(心)があったかくなるんだ」ママ「そう あたたかくなるわ」
のび太「パパとママの事を考えると、いっつもここ(心)があったかくなるんだ」
いちいちこんな事をクサいセリフで言われても白けるし、こういうセリフを言わせるためのシーンの作り込みができていないので不自然でキモい仕上がりになっています。
のび太くらいの年頃の子供って、親を疎ましく思う方が自然なのではないでしょうか?それは親への愛情が無いという事ではなく、「僕らの自由も認めてくれよ」という気持ちです。映画ドラえもんシリーズでは、一貫して子供達のそういう気持ちに寄り添ってきました。
まず、(たぶん全ての作品で)親に秘密にして子供達だけの大冒険に出かけます。楽しい冒険中は親のことなんて思い出しもしません。まあ、ピンチに陥るとスネ夫を中心に「ママ〜!!」なんて叫んだりしますが(笑)。そして、大冒険から普段の生活に戻った時、冒険の思い出に浸りつつ、親に守られた生活のありがたさをしみじみと感じる。これです。
この気持ちを最も上手く表現したのが「パラレル西遊記」です。この作品のラストシーンでは、普段の生活に戻った安心感から のび太はママに「ママ〜!」と抱きついてしまいますが、その前に恐怖の冒険があればこそのシーンであり、とても心を動かされます。それに比べるとこの映画の親子愛の描き方のレベルの低いこと…。
映画ドラえもんは毎年作るわけだし、毎回無理に感動作品にする必要は無いと思います。実際、新ドラ第8作「ドラえもん のび太とひみつ道具博物館」は「感動シーン」無しでエンタメに徹した楽しい作品に仕上がっています。この作品もそういう割り切りができたらもう少しまともになっていたかもしれません。
他に気になった点を以下に挙げてみました。
(1)スピリチュアルな世界観がドラえもんとアンマッチ:
>ベレーガモンド島は6500万年前、地球にたくさんの隕石が落ちてきたときにできた島で、隕石と一緒に降り注いだ宇宙パワーによって、不思議な力で守られるようになった。それは6500万年前からこの島で生き続けている黄金のカブトムシ・ゴールデンヘラクレスの力。あらゆる生き物の生命エネルギーを高める力があり、それに目をつけた科学者達が絶滅動物達を連れてきて保護することにした。
って、スピリチュアルな世界観がドラえもんとマッチしていません。ポケモンかよ。
(2)絶滅動物たちの泣き声:
ドードーの泣き声「ドー・ドー」
モアの泣き声「モア・モア」
って、ポケモンかよ!
実在の動物の生態を無視して、ただひたすら可愛いだけのキャラに仕立ててしまうのは、その動物に対する尊敬の念を欠いているし、何でも自分の都合の良いように物事を認知する心の在り方が醜悪です。テレビ番組の志村動物園で多用されていた、動物の歩く姿に「ピョコピョコ」というSEを当てる悪趣味な編集に通じるものがあります。子供たちには、こういう作品を観る事でこういう価値観に感化されて欲しくないです。
(3)種の絶滅は全て防ぐべきというのは短絡的:
この作品においては、どうも種の絶滅は全て良くない事で防ぐべきであるというニュアンスを感じます。人間による乱獲や環境変化による絶滅は防ぐべきと言えるかも知れませんが、自然淘汰による絶滅も含めて「絶滅は防ぐべき」というのはあまりに短絡的な考え方です。
(4)ゴールデンヘラクレスの力が遮断されたら島の動物たちが弱っていくのは何故?:
ゴールデンヘラクレスの力が遮断されたら島の動物たちが弱っていくのは何故なんでしょう?意味不明だし、そんなスピリチュアルな力の助けがないと生きていけないような種は絶滅してもらって構わないです(笑)
(5)金のバットは何なんだ、静香の応援は何なんだ?:
金のバットをジャイアンがフルスイングしてドラえもんを遠くに飛ばすシーン、金のバットはひみつ道具なんでしょうか?正直意味が分かりません。
ラスボスとのバトルで静香の役割は「がんばれ がんばれ のび太さん」とただ応援すること?正直意味が分かりません。ラスボスとのバトルでこの緊張感の無さって、、、昔の映画ドラえもんは小学校高学年、場合によっては大人の鑑賞にも耐えるくらいに思えるのですが、本作の対象年齢は幼稚園児でしょうか?
(6)シナリオの作り込みが雑:
全体的にシナリオの運びが雑です。大きなカブトムシを手に入れようとしてモアを捕まえちゃうとか、「(モアは)絶滅するのは可哀想だから、別の島に逃したい」とか(個体と種の絶滅は別問題でしょう)、ノビ助をただの手違いで島に連れてきちゃうとか。雑な展開でつなぎ合わされたシーンをボケーっと眺めさせられている形になり、この映画を見ているとそのまま若年性認知症を発症するんでは無いかと怖くなります。長い悪夢を見ているようです。
(7)ドラゴンボールのオマージュ?(笑):
スネ夫「ドラえも〜ん、みんな〜、早く来てくれ〜!」の後にノビ助役の野沢雅子のセリフは、ドラゴンボールの孫悟空にしか聞こえませんでした笑。本作で唯一面白かったシーンです。
第37位 (★2)「のび太の宝島」:同調圧力で押し切る展開では感動できない
本作品は2018年公開、映画ドラえもんの通算38作目(新ドラ13作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
ラストシーンでのび太達が大量の涙と鼻水を流しながら、感動BGMが流れるので感動させたい話だという事は分かるのですが、設定が無駄に複雑な上に破綻しており、共感するのが難しいです。突っ込みどころはたくさんあるんですが、とりあえず3つだけ。
(1)「クイズ」とかいうロボットのオウムがうざいです。緊迫した場面でもコイツが入ると強制的になぞなぞが始まってしまい流れが切れるし、声も甲高くて不快です
(2)親子でキーボード早打ち対決でアタック25みたいな画面エフェクトが出るラストバトルが意味不明すぎて滑稽に思えてしまいました。もう少しまともな脚本・演出を考えて欲しかったです。
(3)ラストの感動シーン(?)、これでいいのでしょうか?
のび太「親子なのに、パパと争うなんて、僕だったら悲しいから!」(大量涙)
フロック「父さん、もう止めようよ!」
ローラ「一緒にあのお家に帰ろう!」
(略)
フロック「僕は…パパの子供なんだから〜!!」
(一同、号泣)
…同調圧力で押し切るこの展開が嫌いです。
第38位 (★2)「のび太の新恐竜」:駄作。
本作品は2020年公開、映画ドラえもんの通算40作目(新ドラ15作目)で、リメイクでは無い完全新作です。
「宝島」と同じ感想になるんですが、複雑で込み入った設定を作らなくてもいいので、観客がのび太達と気持ちをひとつにして楽しんだり、悲しんだりできる脚本にして欲しいです。
航時法に抵触してタイムパトロールに逮捕されるような犯罪行為を、「だって可哀想だから!!!」みたいな筋の通らない理由で押し通そうとするのび太にはどうしても共感できませんでした。「宝島」のラストで「親子なのに、パパと争うなんて、僕だったら悲しいから!」と絶叫・号泣しているのび太と完全に重なりました。
本作と「宝島」の監督・脚本は同じで、監督:今井一暁、脚本:川村元気 です。
なお、のび太がタイムパトロールに逮捕されなかった理由はいくら考えても納得いく答えが見つかりませんでした。
第39位 (★1.5)「のび太の恐竜2006」:オタク臭い製作者達が観客そっちのけで趣味に走ったキモい作品
本作品は2006年公開、映画ドラえもんの通算26作目(新ドラ1作目)で、1980年公開の映画ドラえもん第1作「のび太の恐竜」のリメイクです。
旧ドラ版新ドラ版のストーリー上の違いは、密猟者とのバトルの内容が結構違うのと、密猟者とのバトル後の日本への帰り方が違うだけで、それ以外のエピソードはほぼ同じです。個人的にはストーリー上の違い(密猟者とのバトル内容、日本への帰り方)はどちらでも良いのですが、新ドラ版の演出の低レベルさは到底許容できるものではありませんでした。同じエピソードでも演出の違いでここまで違うものになるという事を、この新旧比較で学ばせてもらいました。
旧ドラ版がすごく優れているという訳では無いです。絵は時代相応のクオリティだし、全体的に間延びしているように感じるし、改良できそうなシーンもたくさんあります。でも、製作者がちゃんと観客にストーリーを伝えるために映画を製作している。
対して新ドラ版は、製作者たちが観客そっちのけで自分たちの描きたい絵を描いているため、肝心のストーリーが正しく伝わってきません。
Web上で、本作の監督・渡辺歩と、作画監督・小西賢一のインタビュー記事を見つけたんですけど、、、
―― のび太たちが2度目に原始時代に行ったシーンが、相当かっとんでいましたよね。たぶん宮澤(康紀)さんの原画だろうと思うんですけど。
小西 そのとおりです(笑)。
渡辺 ピンポーン!
―― あのかっとびかたは、OKなんですね。
小西 いや微妙でした(笑)。作監としては、ですけど。
―― 微妙ですか(笑)。あれはかっとび過ぎですか。
小西 だって、いちばん目立ってたでしょ。
―― 凄く目立っていましたよ。
小西 橋本晋治さんより目立ってたでしょ(笑)。
渡辺 (笑)。
(略)
小西 ただ、宮澤さんに頼んでるというのは、どういう事かという事です。原画を直して宮澤さんの個性を消してしまうのか、それとも生かすのかとの二択じゃないですか。そう思うと、宮澤さんにやってもらったからには、やっぱり生かそうという事になるんですよ。微妙、とか言っちゃいましたけど、やっぱり発想は凄いし、上がりがくるたびに、思わずほおが緩んでしまう、という感じで楽しかったです。
(略)
―― そういえば、砂浜からのび太たちが出てくる時に、不思議な現象が起きていましたよね。最初に観た時は何が起こっているのか、全く分からなかった(笑)。
渡辺 (笑)。
―― あれは、なぜか砂が、その下にいるキャラクターの顔の形になっているんですね。
小西 そうそう。なぜか同じになっている(笑)。
―― あれは別に『ドラえもん』のひみつ道具の力とかじゃないんですね。
渡辺 違います。我々スタッフ間では、あれは「宮澤ワールド」と呼ばれていました。
―― 『(劇場版)xxxHOLiC(真夏ノ夜ノ夢)』に続き、またも宮澤ワールドが炸裂(笑)。
、、、キモい。ジブリの宮崎駿監督がよく「オタクは駄目だ」みたいな事を言っていますが、この人たちはまさにその駄目なタイプのオタクだと思います。他人を思いやる事を知らず、自分たちのことばかり。のび太達がその時どういう心理状態で、どういう意志を持っているのか、それゆえ表情や身体の動きがどのようになるのか、観客がその絵をみた時に状況が正しく伝わるのか、そういう事を真剣に考える事をせず、「原画担当の個性が出ていて面白い」なんて内輪でキャッキャと盛り上がってる。このような人達の手にドラえもんが渡ってしまった事を非常に残念に思います。
最後に、具体的に気になった所を一部挙げてみます。
(1)タイムマシン航行中に密猟者に追いかけられるシーン。これは絶対にシリアスに描かなければならないシーンです。にも関わらず、風圧で顔の皮がよれる余計なコメディを入れる事で緊張感が損なわれています。また、この時ピー助が吹き飛ばされそうになるんですが、この時のび太が全然危機感の無い顔をしています。ピー助を大事に思っているならもっと慌てふためきながら必死に助けようとしないとおかしいです。
(2)夜、ティラノサウルスが出てきて襲われかけるシーン。旧ドラ版ではティラノが焚き火にびっくりして去っていったというシーンの本来の意味がしっかり伝わってくるのですが、この新ドラ版ではシーンの意味が全く伝わって来ず、意味不明なシーンになってしまっています。きっと「より恐怖感を出すためにティラノのよだれが焚き火の上にジュッと落ちるようにしよう」「のび太達がアタフタ、コミカルに転げ回る絵を書いたら面白いだろうなー」(ちっとも面白くねぇよ!)とか考えているうちに、本来のシーンの意味を忘れてしまったのでしょうね笑
(3)超大型恐竜の足元で踏み潰されないように気をつけなければならない状況で、ジャイアンが危機感無く特になんの意味もなく仰向けに寝転がっているのは何を表現したいのでしょう?
(4)タケコプターで峡谷を飛行中、翼竜に追いかけられて逃げている最中にジャイアンのタケコプターが故障し落下してしまうのをのび太が助ける重要なシーン。流れの中で一瞬であっさり助けてしまうので全然印象に残りません。タケコプターの調子が悪い様子をつまらないコメディ描写するのを止めて、代わりにジャイアンの危機、のび太の勇気をしっかりと描くべきです。
(5)激流の中での密猟者とのバトルシーン。ここもシリアスに描かなければならない部分なのに、粘着弾がくっついた密猟者やスネ夫の顔が餅みたいにびよーんと伸びるつまらないコメディのために緊張感が損なわれています。
(6)滝からのび太とドラえもんとピー助が落下するシーン。落下しながらドラえもんが「何とかお守り」を出して助かるんですが、何回聞き直しても道具の名前が聞き取れません。滝の高さも過剰演出で高くし過ぎてしまって、ひみつ道具の効果が無かったらあんな高さから落ちたら確実に死にます。バランスを考えて欲しいものです。
(7)密猟者との最後のバトルシーン。一体何が起きたのか分かりません。密猟者は勝手に自滅、のび太達は運良く助かったという事でしょうか。もうちょっと分かりやすく見せてくれないとハラハラドキドキもできず、ただポカーンと見ている事しかできません。大迫力の洞窟崩壊&大濁流を描く事しか頭に無かったのでしょうか。
(8)ピー助との別れのシーン。ピー助は仲間に会えて嬉しそうにしています。ピー助を愛しているなら、のび太は「ピー助、仲間に会えて良かったな、元気でな!」と満面の笑みでピー助に別れの挨拶をして、背中を向けてから一筋の涙がこぼれる、となるべき所です。ところがこの作品では、ピー助が仲間に会えて喜んでいるのには全く目を向けず、自分勝手な感情で醜く泣き喚き、またまた余計なコメディタッチで七転八倒するのび太。ドラえもん・ジャイアン・スネ夫・静香も大袈裟に顔をぐちゃぐちゃにして1リットル位涙をこぼして号泣。キモい。視聴者の感情を追い越してキャラが過剰な演技をしたら、視聴者がドッチラケになるという事が、製作者は何故分からないのか?
第40位 (★1)「のび太と緑の巨人伝」:駄作中の駄作。悪夢。最後まで観るのは苦行です
本作品は2008年公開、映画ドラえもんの通算28作目(新ドラ3作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。
駄作中の駄作です。上映時間112分、我慢して最後まで観ましたが本当に苦行でした。長い悪夢を見ているようで頭がおかしくなりそうです。
(1)終始、何が起きているのか分からない:
今、地球にいるのか緑の星(?)にいるのか、敵(植物型人間)の目的・理由・手段は何か、のび太達は今何をしたいのか(キー坊を見つけたいのか、地球に帰りたいのか、敵の計画を阻止したいのか)、等々の見せ方が全くできておらず、視聴者が全く物語に入り込めません。それでいて、無理やり「感動のラスト」に持ち込もうとする魂胆が見えて白けます。
(2)ドラえもんのひみつ道具が活躍しない:
序盤でひみつ道具のほとんど全てをドラミに預けてしまうため、ドラえもんのひみつ道具が活躍しません。それで面白くなっていれば何も文句はありませんが、悪夢レベルのつまらなさです。
(3)キモいグニャグニャ作画:
前々作「のび太の恐竜2006」と同じく、渡辺歩監督のグニャグニャ作画がキモいです。加えて、脚本がクソすぎてシーンに必然性が感じられないため、製作者が描きたかった絵を次々に脈絡もなく見せるオナニーに付き合わされているような気分になります。
(4)主題歌だけは良い:
エンディング主題歌「手をつなごう/絢香」は良い曲です。幸いな事に歌詞は本作とあまりシンクロしていないので、本作との関わりは早く忘れてあげましょう。
書こうと思えばもっと色々と本作のダメな所を書けると思うのですが、もうこれ以上この作品のことを考えるのも嫌なのでこれで終わりにします。
映画ドラえもんは旧ドラ(初期・中期・後期)・新ドラ期に分けられる
映画ドラえもんを全作品一気に観て、私は映画ドラえもんの製作時期を次の4つに分類して捉えています。
- (1) 旧ドラ初期:第1作「のび太の恐竜(1980年)」から第9作「のび太のパラレル西遊記(1988年)」まで。
- (2) 旧ドラ中期:第10作「のび太の日本誕生(1989年)」から、第18作「のび太のねじ巻き都市冒険期(1997年)」まで。
- (3) 旧ドラ後期:第19作「のび太の南海大冒険(1998年)」から、第25作「のび太のワンニャン時空伝(2004年)」まで。
- (4) 新ドラ期:第26作「のび太の恐竜2006 (2006年)」から、第40作「のび太の新恐竜(2020年)」まで。
(1) 旧ドラ初期は、名作が圧倒的に集中している黄金期です。私の評価結果の第1位から第8位までもがこの時期に集中しています。それほどに圧倒的に映画ドラえもんが面白かった時期です。
(2) 旧ドラ中期は、のび太たちが大冒険に出かけて何らかの危険を乗り越え最後は普通の生活に戻ってハッピーエンドという、映画ドラえもんのフォーマットにマンネリが感じられるようになった「日本誕生」から、藤子・F・不二雄先生の遺作となった「ねじ巻き」までとしました。
この時期は作品毎の振れ幅が非常に大きいのが特徴です。例を挙げると「創世日記」というシリーズ内でも屈指の異色の作品の次に「銀河超特急」というエンタメに特化したような作品が来たりします。原作漫画の連載を開始するときに物語全体のプロットが定まっておらず、締め切りに追われながら自転車操業のように展開を考えながら描くという事もやっていたようで、「ブリキの迷宮」などは明らかに物語の着地点に迷っている様子が伝わってきます。この頃の藤子・F・不二雄先生は、製作の楽しみよりも苦しみの方が圧倒的に大きかったのではないでしょうか。
通常の短編であれば単なるギャグで「チャンチャン♫」で終了できても、映画の場合はそれなりの話の盛り上がりと手応えのあるオチを作らなくてはなりません。藤子・F・不二雄先生は自ら「僕は短編作家なので(映画は書けない)」といって最初は映画製作に乗り気では無かったらしいのですが、残念ながらその言葉が現実になってしまっています。それでも、ここまでにたくさんの名作を生み出したのだから十分凄いのですが。
製作側の立場に立てば、映画化したいアイデアが出てきてから映画の製作を始めるべきだと思うのですが、幸か不幸か映画ドラえもんは第1作目から大ヒットして毎年の恒例行事化してしまった。こうなるともう、そんな事は言っていられません。結果、藤子・F・不二雄先生はその生涯の最後の方の大部分を「映画ドラえもん」の奴隷のように過ごすことになってしまった、私はそう見ています。映画を観ていても非常に胸が締め付けられます、単なる私の思い過ごしだったら良いのですが。
(3) 旧ドラ後期は、藤子・F・不二雄先生の没後、大山のぶ代さんがドラえもんの役を務めた旧ドラ体制でアニメが製作された時期までとしました。
この時期の作品の特徴は、判で押したように「映画ドラえもんフォーマット」に大人しく収まっている事です。(2) 旧ドラ中期は藤子・F・不二雄先生本人がこのフォーマットを破ろうと苦心しながらも努力していたため、先生の優しい人柄のイメージとは逆に過激な作品が多かったのですが、そのようなチャレンジは原作者本人だからこそできたのかも知れません。先生が亡くなった後で藤子プロのスタッフが作った作品が、みんなの期待するドラえもんのイメージから外れていたら「こんなのドラえもんじゃない!」というバッシングを受けることは容易に想像ができます。そういう意味でこの時期のスタッフは大変だったと思います。なお、旧ドラ映画は最後まで監督が芝山努さんで変わらなかった事も、作品毎の個性が乏しい一因となったのかも知れません。
(4) 新ドラ期は、水田わさびさんがドラえもんの役を務める新ドラ体制以後の時期としました。
この時期以降は、監督以下のスタッフが固定では無くなったため(声優以外)、監督を中心としたスタッフの影響で毎回作風が変わるのが特徴です。よく見るとキャラデザも結構変わっています。
そんな中にあっても、なぜか感動の押し売りという残念な特徴は多くの作品に共通して見られます。
映画ドラえもんよりも面白い作品はたくさんある
映画ドラえもんを全作品見て分かった事は、(残念ながら)駄作が多い!という事です。
私の評価の基準は、観てよかったと思えたものを★4で、観ない方が良かったと思えたものを★3.5以下としています。
この基準で評価をしたところ、全作品の半数以上が★3.5以下「観ない方が良かった」という評価になってしまいました。実際、全作品を観る作業はかなり辛く、途中で何度も挫けそうになりました。私はもうアラフォーのおじさんなのでドラえもん大好きな子供の立場で考えると評価は全然変わってくると思いますが、それを差し引いてもちょっと駄作が多いのではないでしょうか。
大人の場合は言わずもがなですが、子供向け映画でも選択肢はたくさんあります。
ドラえもんというキャラへの愛情を一旦置いて映画を選んだら、代わりにもっと素敵な映画に出会えるかも知れません。
個人的には、映画ドラえもんは4年に1回くらいで良いのでもっと品質を上げて欲しいと思います。商業上、なかなかそうは行かないのだと思いますが。