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娘の不登校のはじまり

中1の娘の不登校について書きます。

娘は1年生の2学期が始まってまもなく、学校から帰ると暗い表情をするようになりました。
あれが嫌だ、これがつらかった。学校に行きたくないな・・などとこぼすようになったのです。

◇◇◇

さかのぼること、小学校の高学年で、娘はとても仲の良かった友達と少々もめて、1度学校に行きたくないと泣いたことがありました。
もう卒業間近だったのですが、卒業式にも出たくないと夜な夜な泣きながら私に訴えてきました。

私は動揺し、なんとか学校に行って欲しくて、週末に楽しい計画を立て、それを目標に毎日なんとか学校に送り出していました。

こうしたらいいんじゃないか、などとありとあらゆるアドバイスをして娘を奮い立たせました。

卒業式の日、その日もあまり晴れ晴れとした顔をしてはいなかったものの、つつがなく式典をこなし、無事に卒業!

クラスメイトや先生と写真を撮って帰路につきました。

卒業後なんやかやあった友達とも連絡を取り合い、表面上落ち着いたように見えていました。ただ、彼女の心が傷ついているのはなんとなく感じていました。

◇◇◇

中学生になり、心機一転楽しく過ごしてほしいと思いましたが、本人は「もう友達はいらない」などと言っていました。

本心は、”新しい友達が欲しいけれど傷つきたくない”のだな
と思いました。

入りたい部活も決まり、次第に新たなお友達の名前も話題に上るようになりました。勉強は大変そうだけれど、勉強も部活も意欲的にこなしていました。私から見てまぶしいくらい中学校生活を謳歌していました。

しかしコロナ禍ですから、お休みの日に友達と思うように遊べるわけではありません。中学生ですが1年生なのでうちの子はスマホも持たず、スイッチも持っていない、友達との繋がりは学校だけです。

そうこうするうちに夏休みになりました。
彼女は一人の時間も好きなので、宿題をしたり、本を読んだり、部活に行ったり、のんびりと過ごしていました。1,2度家にお友達を呼んで一緒に宿題をしたり、遊んだこともありました。この時は私は何の問題も感じていませんでした。

そして2学期が始まりました。

緊急事態宣言下で、部活は極端に減りました。さらに試合に出るメンバーが決まり、娘は先輩と競り合うことを回避し、当然ながら出ないことになりました。

部活自体は好きだったのだと思いますが、先輩たちとメンバーに選ばれた1年生とは別に1人自主練の日々に、モチベーションを保つことが難しくなってきました。

さらに体育祭で娘はリレーの選手に選ばれてしまいました。
娘は残念ながらお世辞にも足が速いとはいえず、いわゆる大人しい子供でした。クラスに陸上部はおろか、そんなに速い子がいなかったのもあり速い方から5人の中にぎりぎり入ったのでした。その事に大変な落ち込みようでしたが、これは名誉なことだし、そのクラスの女子の中では5番目に速いわけだから、ちょっと失礼なんじゃない?などと諌めつつ精一杯応援していました。
娘も練習しなくちゃ!と夏休み中ダッシュしてみたり、頑張っていました。
今思えば、頑張りすぎていたのだと思います。

ある晩、友達も先生も嫌だ、学校が嫌だ、明日は学校に行きたくない。どうしても行けない。とさめざめと泣き出しました。

私はやっぱり動揺してしまいました。
しかし、少し前に塾の先生から勧められたトマス・ゴードンの「親業」を読んでいた私は、慎重に"能動的な聞き方"を心がけるようにしました。
自分の体験を話すことをグッとこらえ、意見せず、叱らず、諦めず、ひたすら共感しながら彼女の思いを聞き出そうとしました。

するとポツポツと自分の心境を話してくれましたが、それでもまだ何が原因だとか、解決策はさっぱりわかりません。
しかし娘は力なく、辛そうで、具合も悪いのです。実際めまいはするし頭痛はするし吐き気もするし、明らかに様子がおかしいのです。

結局、私は休んでもいいと言いました。

それは自然な流れから出たのですが、娘を安心させる一方、私はとても恐ろしく、不安で一杯になりました。
この時、私は1日休んで落ち着くかもしれないという淡い期待を抱いていました。
そう期待する一方で、昨今の不登校児童の増加、実際子供たちのクラスで見聞きする不登校の現状に、そら恐ろしいものを感じていました。
「このまま本格的に不登校になったらどうしよう」
これが娘の不登校のはじまりでした。

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