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だれを捜しているのか?【墓前礼拝】


《はじめに》

華陽教会のイースター墓前礼拝のメッセージ部分のみUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 ヨハネによる福音書20:11〜18

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

イースターの朝、マグダラのマリアはイエス様の墓を見に行きました。イエス様が死んだ直後は、まともに遺体を整えることも、葬儀をすることもできなかったので、どうなっているか不安だったんだと思います。
 
ところが、墓に来てみると、墓から石が取り除けてあり、中が空っぽになっているのが見えました。マリアの脳裏に走ったのは「誰かが遺体を持ち去った」という考えでした。「イエス様が復活して、外へ出てきた」とは思いませんでした。
 
彼女は急いで、ペトロたちのところへ行き「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」と知らせます。彼女は遺体を持ち去った犯人を捜していました。復活したイエス様を捜すことはできませんでした。
 
ペトロともう一人の弟子は、急いで自分たちも墓の中を見に行きますが、そこには遺体を包んでいた亜麻布と、頭を包んでいた覆いが丸めてあり、それぞれ離れたところに置かれていました。もし、誰かが遺体を持ち去ったなら、普通、覆いは外しません。
 
誰も、遺体へ直に触れようとは思わないからです。亜麻布と覆いが外されて、離れたところに丸めてあるのは、包まれていたイエス様自身が、自分で覆いを取って、墓の外へ出てきたしるしでした。しかし、誰もそのことに気が付きません。
 
弟子たちは家に帰って行きましたが、マリアは墓の外に立って泣いていました。改めて、墓の中を見ると、イエス様の遺体の置いてあった所に、白い衣を着た2人の天使が見えました。それは、復活したイエス様が世に現れたことを示すしるしでした。
 
しかし、マリアは気付きません。天使を前にして、まだ、イエス様が死んでいると思って、遺体を持ち去った犯人を探しています。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」
 
そこに、後ろから「婦人よ、なぜ泣いているのか」と話しかける人が現れます。その方こそ、イエス様でした。イエス様はマリアに「だれを捜しているのか」と尋ねます。わたしならここにいるよ、あなたの前にいるよ、と呼びかけます。
 
しかし、マリアはまだ、遺体を持ち去った誰かを捜しています。すぐ側にイエス様がいるのに、イエス様ではない、別の誰かを捜します。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」
 
ペトロがイエス様を三度「知らない」と否定したように、マリアも三度、復活したイエス様ではなく、遺体を持ち去った誰かを捜します。けれども、イエス様は、自分を捜すことのできないマリアに呼びかけます。
 
「マリア」……知らない人だと思い込んでいた相手から、自分の名前を急に呼ばれて、ついに、彼女は気が付きます。それがイエス様の声だと……イエス様が後ろにいると……マリアは振り向いて、だれを捜しているのか答え直しました。
 
「ラボニ」……先生、あなたを捜しています。イエス様は、自分を振り向いて、自分だと分かったマリアに「わたしの兄弟たちのところへ行って」自分と出会ったことを伝えるように言いました。まだ自分を捜していない弟子たちへ、自分がやって来たと。
 
「だれを捜しているのか?」……これは、ヨハネによる福音書でイエス様が繰り返し、信じない者たちへ問いかけた言葉です。面白いことに、問われた者は全員「イエス様、あなたを捜していたんです」と答えることになります。
 
もともと、イエス様を神の子だと信じていなかった者も、救い主じゃないと否定していた者も、復活したことを理解できなかった者も、イエス様を振り返って、イエス様を指すようになります。だれを捜しているのか、自分でも分かっていなかった者たちが。
 
ここに眠っている人の中にも、復活を信じられないまま亡くなったり、家族と同じ信仰を持てずに亡くなったり、「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」という思いの中で、息を引き取った方がいるかもしれません。
 
しかし、そのような「信じる力を失っている者」へ、イエス様は現れます。振り返ることができるように、自分を見つけることができるように、希望を受け取ることができるように、全ての者へ「わたしはあなたと共にいる」と示されます。
 
ここに眠っている人たちは、イエス様と出会った人たちです。だれを捜しているのか、気づかされた人たちです。天においても、地においても、イエス様は新しく、私たちと出会い、新しい命を与え、神の国に招いていくださいます。
 
共に、イースターの恵みを味わいつつ、感謝と祈りをささげましょう。

《お祈り》

神様、あなたは、あなたを捜せない者の目を開かせ、あなたに気づかない者の心を悟らせ、あなたに出会えない者に、死を超えて出会ってくださいます。全ての者の手を取って起こされ、新しく立たせてくださいます。
 
どうか今、あなたの栄光が、ますます豊かに現されますように。目覚めて、歌い、声をあげ、キリストの復活を、みんなで喜び祝う日が来ますように。私たちを支え、導き、起こされるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。