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墓穴に入れない【チャペル】

《はじめに》

キリスト教会の牧師が大学のチャペルや幼稚園で話している2000字前後の短い聖書のメッセージです。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 マタイによる福音書28:16〜20

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》「墓穴に入れない」

昨日はイースターでした。イースターと言えば、イエス・キリストが十字架にかかって殺されてから、三日目に復活したことを記念するキリスト教の祭日です。2千年前、神様から遣わされたイエス様は、弟子の一人に裏切られ、残りの弟子にも見捨てられて、対立していた祭司長や律法学者に煽られてきた民衆によって、罵られながら殺されました。
 
けれども、イエス様は自分が殺される前、3回にわたって、一緒にいる人たちへ言いました。自分は侮辱され、唾をかけられ、鞭打たれて殺されるが、三日目に復活する……それに対して、イエス様に助けられ、教えられ、一緒についてきた人々は、様々な反応を見せました。
 
「そんなことがあってはなりません!」と言う人もいれば、「たとえ一緒に殺されようと最後までついていきます!」と言う人もいました。あるいは、イエス様が殺される話も、三日目に復活する話も、何を言っているのか意味が分からず、怖くて問いただせない人もいました。
 
確かに、イエス様は、多くの病人を癒し、水をぶどう酒に変え、パンを増やして空腹の人へ与えてきた。湖の上を歩いたり、嵐を静めて弟子たちを助けたりもした。それゆえに、嫉妬や危機感を抱いた人から殺されそうにもなるけれど、神の子なら、救い主なら、自分の死を回避して、みんなと一緒に居てくれないのか? なぜ、死を受け入れるのか?
 
そう思うのは当然です。身内から「自分が死んだら」という話をされて、まだ一緒に居たいのに、死ぬときの話をされるのが、どうしても耐えられない人は、決して少なくないでしょう。大切な話と分かっていても、怖くて聞けません。イエス様の場合は、自分が死んだ後、生き返ることも3回話していましたが、どういうことかは誰も聞けませんでした。
 
死んでから4日経ったラザロという人物を、イエス様が生き返らせた後でさえ、「あなたも生き返るんですか?」と聞く人はいませんでした。イエス様が死ぬ前に、イエス様が言おうとしたこと、伝えようとしたことを、正面から、ちゃんと聞こうとした人は、一緒についてきた人の中に、一人もいなかったんです。
 
それは、週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、誰よりも早く、イエス様のお墓を見にいった、マグダラのマリアも一緒でした。みんながイエス様を十字架につけるとき、何もできなかった。まともな葬儀さえしてあげられず、三日間、遺体を放置してしまった。せめて、香油と香料を塗って整えてあげたい。
 
そう思って、墓の前までやって来た彼女は、墓石がどけられ、入り口が開いているのを目にします。もし、イエス様が3回言っていた「自分は三日目に復活する」という言葉を思い出せたら、生き返ったイエス様が、墓から出て来たんだと気づいたかもしれません。起き上がったイエス様がいるかもしれないと、墓穴へ入ったかもしれません。
 
けれども、彼女は墓穴に入って、本当に遺体がないか、復活したイエス様がいないか、確かめることができません。それよりも、遺体を荒らしにきた悪人がいるんじゃないか、持ち去った人がいるんじゃないかと怖くなって、他の弟子たちを呼びに行きます。彼女の言葉を聞いて駆けつけた弟子たちも、すぐ墓穴には入りません。
 
一人目の弟子は、身をかがめて、中をのぞき、遺体を包んでいた亜麻布があるのは確認しますが、中へ入ろうとはしませんでした。彼も「自分たちに言われていたとおり、イエス様が生き返ったのかもしれない」と期待することはできませんでした。むしろ、墓を荒らしに来た人間と遭遇することを恐れました。
 
もう一人、後からペトロがやって来るまで、仲間が増えて安心できるまで、墓穴の中へ入ってイエス様を探すことは誰もできませんでした。彼らは、イエス様が生きているときも、死んだあとも、この方が告げた言葉に向き合うこと、思い出すことができませんでした。正面から話を聞くこと、見にいくことができませんでした。
 
しかし、イースターに起こった出来事は、そんな彼らへ、イエス様の方から声をかけられ、会いに来たことです。自分が3回告げた言葉を思い出せず、信じられず、受けとめられない人たちに、「約束したとおり帰ってきたよ」と姿を現したことです。甦ったイエス様は、「どうして信じなかったのか」「なぜ話を聞かなかったのか」とは言われません。
 
「婦人よ、なぜ泣いているのか」と慰められ、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけられ、「あなたがたを遣わす」と、新たに送り出していきます。自分の言葉を思い出せず、墓穴へ入れなかった人たちに「わたしを見たことを伝えてほしい」と、新たな使命を与えます。信じなかったことを責めるどころか、こっちを全力で信頼してきます。
 
もしかしたら、皆さんの中にも、再び会うことが難しい人と正面から向き合えなかった人がいるかもしれません。大切な話と分かっているのに聞くことができなかった。何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか、ちゃんと向き合えなかった。そしてもう、取り戻すことはできないと、後悔している方が、いるかもしれません。
 
しかし、神様は、皆さんが正面から向き合えなかった出来事を、そのままにはしておかれません。傷ついた関係を、壊れたまま放置されません。死を超えて、和解と回復をもたらす方が、皆さんと大切な人、一人一人の間に立って、つながっています。取り返しのつかない出来事に、後悔し、立ち止まっている人たちに、救い主は新たなスタートをもたらします。
 
新年度を迎えました。新しい生活が始まりました。これまでの関係も、これからの関係も、新しく始まり、新しく変わっていきます。どうぞ、皆さん一人一人に、イエス様の告げた平和がありますように。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。