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探したところにいない神【チャペル】

《はじめに》

キリスト教会の牧師が大学のチャペルや幼稚園で話している2000字前後の短い聖書のメッセージです。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 マルコによる福音書1:35〜39

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》 「捜したところにいない神」

 聖書に描かれる救い主イエス・キリストは、度々、みんなの前から姿を消してしまう人でした。ガリラヤで伝道を開始してから、4人の漁師を弟子にして、あちこちで神の国について語っては、別の町や村へと移動していきます。どこかに拠点を置いて、集会所を作って、自分のもとへ、人々がやって来るようにすればいいのに、生涯動き回ります。

 カファルナウムという町では、汚れた霊に取り憑かれた人を助け、みんなの前で悪霊を追い出してしまいました。ペトロとアンデレの家では、熱を出していた姑を助け、みんなの前で病を癒してしまいました。当然、多くの人が集まってきました。悪霊に取り憑かれた人や病気にかかっている人が、大勢連れて来られました。

 イエス様に助けてもらいたい、イエス様を一眼見てみたい、イエス様の話を聞いてみたい……そんな人たちが増えていく中、イエス様は、弟子たちにも、どこへ行くのか告げないまま、度々、一人になりました。たいていは、人里離れたところへ行きました。人々が捜し回らなければ、見つからない場所で祈っていました。

 イエス様についてきた弟子たちは大変だったでしょう。いつ、どこで、イエス様がいなくなるか、どこへ行ってしまうか、分からない日々でした。どこか集会所を決めて、そこに留まってくれれば、もっとたくさんの人が、イエス様の話を聞きにきて、お世話をする人が増え、寄付や献金も蓄えて、財産を増やすことができたかもしれません。

 ですが、彼らは移動し続けていたので、寄付や献金の窓口も、仲間になりたい人が来る場所も、決まったところがありませんでした。「伝道して信者を増やそう」「大きくなろう」と考えるなら「留まる場所を持たない」というのは致命的なことでした。イエス様は、たくさんの人が、自分を探し求めて集まってくるのに、いつも急に居なくなります。

 「昨日、あの家にいたから」と思って戸を叩くと、既にその家を出ています。「さっきまで、あの岸辺にいたから」と思って探しに行くと、もう向こう岸へと渡っています。人々が捜した所にほとんどいない。自分を求める人がやって来ている、歓迎しようと集まっている……そんなこと一目瞭然なのに、イエス様は、絶好の機会に居なくなります。

 もし、どこかに留まっていたら、きっと自然に、高い地位や巨額の富を得ていたでしょう。イエス様を今までにない教師として、信奉している人もいました。イエス様をローマ帝国の支配からイスラエルを解放する指導者として、期待している人もいました。イエス様を新しい王として、担ぎあげようとする人もいました。

 でも、イエス様はするりと居なくなってしまいます。みんなが「先生!」と捜しにくると、部屋は空っぽになっています。舟から姿を消しています。足跡だけが残っています。あちこち捜し回って、ようやく見つけると、こう言われます。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」

 そして、私たちが行くつもりのなかった場所へ連れて行ってしまいます。「先生、ここは外国人の多い土地です。彼らと付き合いたくはありません」「先生、あそこはサマリア人のいる町です。あんな人たちと話をしたくありません」「先生、あっちは前にあなたを追い出した人たちのいる村です。どうしてそんなところへ行くんですか?」

 けれども、イエス様は出ていくことをやめません。「そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」……自分を求めてもない人に、捜してさえない人に、イエス様は近づいて、呼びかけ、出会われます。救い主が来るなんて、考えてもない空っぽの心に、イエス様は急に入ってくるんです。

 昨日から、岐阜県も「まん延防止等重点措置」が再び適用されました。定期試験、国家試験、入試、就活、論文等の作成に重要な時期、私たちの心から、余裕が失われていきます。こっちから、何かを探し求めたり、会いに行くことができなくなります。家の中、部屋の中、舟の中に閉じ込められる。

 ところが、いつも捜したところにいなかった神が、あなたの部屋に入ってきます。誰も訪ねてこようと思わない、入ってくるとは思えない、あなたの心に入ってきます。墓場で暴れ回っていた男のもとに、人目を避けて水を汲みに来た女性のもとに、自分ではどこにも行けない目の見えない男のもとに、突如やってきた神の子が、あなたのもとにも現れます。

 捜したところにいない神は、あなたがどこへも行けないとき、あなたが捜し回れないときに、あなたの中へ訪れています。あなたと同じように一人になって、神に祈っていたイエス様が、自らあなたの中へ入ってきます。どうか、扉を叩くイエス様との出会いが、あなたを力づけますように。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。